「 不要なポストを大幅増設! 官僚の天下り先拡大を狙う国立大学法人法の卑しさ 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年5月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 494回
全員ではないが、官僚には許しがたい人びとが多い。法案立案で彼らが目指すのは、自己利益以外なにもないとさえ思えるからだ。
一例が、今、国会で審議中の国立大学の法人化だ。「国立大学法人法」を読み、遠山敦子文部科学大臣の国会発言を検証して見えてくるのは、信じがたい偽善の構造である。
遠山大臣は、「高い理想を狙いとして」「束縛から大学を解放し」「自律的、主体的」に大学を機能させたいと、述べた。
東京大学卒、文部省出身の遠山大臣が、国立大学法人法を読解できないはずがない。理解したうえでの右の発言なら、国民への背信だと言わざるをえない。なぜなら、同法案は、遠山発言とは正反対の結果をもたらすと思われるからだ。
法案どおりに国立大学が法人化されれば、大学はさらに自律性と主体性を失い、強い束縛を受けることになる。大学は文科省はじめ各省庁からの天下り集団の定着先ともなりかねない。
たとえば役員会である。役員会は学長と監事2人および法に定められた数の理事によって構成するとされている。驚くことに、文科省は各大学が役員会に入れるべき理事の数まで決めて、法律で明記したのだ。
ここまで決めて、なにが「自律的、主体的」大学運営なものか。国立大学の幹部が憤慨した。
「なぜ、役員会の理事の数まで文科省が指定するのか。学長も監事2人も、文科大臣が任命する人事です。文科省は学長の任命権のみならず解任権も握ります。学長は文科省の思惑に沿う人物でなければクビにされかねないのです。また、各大学に2人ずつ置かれる監事も文科大臣の任命です。これが官僚の天下りポストにならない保証はありません。理事は学長が任命しますが、文科省の意向を忖度(そんたく)して、官僚OBを入れないとは限りません。じつにこの人事制度は、天下りポストの拡大と定着につながると疑われても仕方がないのです」
大学の意思決定機関は、この役員会だけではない。別に経営協議会と教育研究評議会が設けられる予定だ。
経営協議会は、学長を頂点に学長の指名する理事と職員で構成されるが、学外者が半分以上でなければならないとされている。同協議会は法人化された国立大学の経営をチェックする役割だが、大学経営と企業経営は決して同列には論じられない。他分野の企業と同じ考えで大学経営を評価しようとすれば、すぐに結果や効果を生み出さない分野、たとえば京都大学のインド哲学などは真っ先に篩(ふる)い落とされるだろう。歴史学も同じである。
大学の予算は、教育、研究の特質において、一見壮大なムダと思われるものを包含するものでなければならない。今行なわれている研究が今役立たなければならないというような考え方では、高等教育も研究も、真の成果を上げることはできないからだ。
後者の教育研究評議会は、教員人事、学生の指導などとともに大学の教育研究に関する重要事項を手がけることになっている。だが、役員会、経営協議会、教育研究評議会の三つの組織が大学の業務をどのように切り分けて担当するのか。研究、教育、経営がきれいに切り分けられるはずがなく、3つの組織は屋上屋になることが十分、考えられる。
また、成果を評価するのに2つの評価委員会を設けたのも、屋上屋である。加えて、大学共同利用機関法人を新設して、研究のための施設や設備を共同利用するのだそうだ。
「大学の自律と言いながら全大学で共同で物資を購入したりせよと言うのです。言動の不一致もはなはだしい」(前出・国立大学幹部)
国立大学法人化から見えてくるのは、不必要な機関とポストの大幅増設である。そこには、遠山大臣の言葉とは裏腹の、官僚たちのポストを増やそうと企(たくら)む卑(いや)しい心が見えてくるのだ。