「 ポスト・フセイン政権での主導権争いに動く各国 その冷徹な外交に学ぶとき 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年4月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 490回
サダム・フセイン政権の象徴の一つ、バグダッドの共和国宮殿に4月7日、米軍が進攻した。
戦いが予想よりも早期に終結するとの観測が流れ、米国では、フセイン後のイラク復興計画における責任者の人選が進行中だ。
米英軍の勝利が近づきつつある今、イラク戦争に強く反対したフランスなどは、ポスト・フセイン政権での主導権争いへと焦点を絞り始めた。
この際、外交下手の日本は、こうした各国の動きをよく観察し、冷徹な外交の本質を学んでおくことが重要だ。日本のメディアで“世界の理性の声を代表する”などと称えられたシラク仏大統領の動きは、感心するほどの狡智に満ちている。好きにはなれないが、国益を賭けた外交の実態を識(し)ることは、日本人が久しく忘れ去ってきた国家というものの姿をも見せてくれる。
シラク氏とフセイン大統領との出会いは1974年に遡(さかのぼ)る。当時首相だったシラク氏がバグダッドを訪れ、当時の副大統領フセイン氏に会ったのだ。
翌年の夏、フセイン氏はソ連を訪れ、プルトニウム型原子炉の購入を申し入れた。ソ連は、プルトニウム抽出によってイラクが核兵器を所有する危険を見て取り、拒否。フセイン氏は同年秋、パリを訪れた。シラク氏は大歓迎し、自ら原子炉にフセイン氏を案内、週末には自宅で“個人的友人”としてもてなした。両者の親密な関係から、ジャック・シラク氏はジャック・イラクと呼ばれた。
フランスはイラクにプルトニウム型原子炉二基を売り、技術者集団を派遣して建設を開始したが、原子炉は完成直前にイスラエルの攻撃で破壊された。
シラク氏は、この攻撃をさらに新たな売り込みに活用した。フランスの誇る戦闘機シュペールエタンダールに最新鋭のエグゾゼミサイルを装備して、イラクに輸出したのだ。以来、イラクがクウェートに軍事侵攻する90年まで、フランスはイラクに武器を売り続けた。総額は最低でも250億ドル(120円換算で3兆円)と見られている。
91年の湾岸戦争でイラクは敗れ、国際社会は厳しい監視の目を注いできた。特にイラクには、ある種の武器や兵器の類いは売ってはならないことになった。世界はこうした輸出規制が守られてきたと思っていた。ところがそうではないと、具体的に指摘されたのだ。
3月14日、21日の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」(IHT)紙に掲載された、ウィリアム・サファイア氏の記事である。
フランスはシリア、中国を巻き込むかたちで、国連制裁で禁じられている軍需物資を大量にイラクに輸出していた、と同記者は報じた。
“フレンチコネクション”によって2002年8月にイラクに輸出されたのは、末端水酸基ポリブタジエン(HTPB)という化学薬品20トン分だったとされる。これは、最新鋭の長距離地対地ミサイルに使われる固体燃料用だと見られている。加えて昨年4月には、フランス製の非対称ジメチルヒドラジン(UDMH)というミサイル用燃料5トン分の売買契約が交わされたことも、報じられた。
サファイア氏は、ニクソン元大統領のスピーチライターとしても知られる論客である。米国の論壇の重鎮である氏は、このような取引があるからこそ、その背信行為の曝露を恐れてフランスは米国のイラク攻撃に反対した、と厳しく批判した。シラク仏大統領は早速同記事を全面否定したが、サファイア氏は、シラク氏の全否定が偽りであることを示す情報をまたもや報じた。結論からいえば、サファイア氏の指摘は正しかったのである。
言葉のうえで戦争を否定する者が正しく、理性的であるとの日本のメディアの評価は、短絡に過ぎるというゆえんである。