「 出でよ、第二の矢祭町 統一地方選は住基ネットと市町村合併見直しの好機 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年4月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 488回
今日は少し嬉しくなる話だ。福島県矢祭町の女性から手紙をいただいた。
「政治は特別の人のものというような日本のなかで、ここには本物の地方自治があるような気がいたしました。このことをお伝えしたく、失礼かとは思いましたが、新聞のコピーも一緒に送付させていただきます」
茶封筒の中身を読んで、しみじみと、日本にもこんなにしっかりした自治体があるのだと感心した。
矢祭町はあらためて紹介するまでもなく、全国に名を轟(とどろ)かせた名物町長がいる町だ。根本良一氏は20年前に町長となり、今年の統一地方選挙には出馬しないと決めていた。
20年間、氏が考え続けてきたことは、矢祭町なりの民主主義の実現である。
矢祭の歴史は古い。八幡太郎義家が奥州戦争で勝利し凱旋する途中、この景勝の地に感激して、背負っていた矢を岩山に祭ったという故事から“矢祭”の名前は生まれた。そうした歴史に育まれた町だからこそ、歴史や文化、風習、伝統、住民のまとまりを、町長は尊びたいと考えてきた。
総務省が今、飴と鞭で必死に進めている市町村合併を矢祭町が拒んだのは、上のような考えが基本にあったからだ。町長の眼前に出現したもう一つの課題は、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)だった。
根本町長は語る。
「人間は、犬でも家畜でもないのです。番号で管理するという考えはなじみません。少なくとも矢祭町の住民に番号を付けるなど、私はしたくありません」
全国3250の自治体のなかで、真っ先に住基ネット不参加の表明をしたのは周知のとおりだ。人間を番号で管理するのは、民主主義の精神を損なうと主張する町長の政治姿勢は、住民から圧倒的な支持を得た。町長の政治家としての清潔さと、町の自立を目指す努力を懸命に続けてきた実績も、強い支持の要因だ。
その根本町長は、3月14日の町議会で引退を表明することになっていた。そのつもりで前日に辞意を表明した。すると何が起きたか。それを、この手紙の女性は報(し)らせてくれたのだ。
14日早朝、町の消防団員たちは町役場に押し寄せ、町長が辞めるなら自分たちも法被(はつぴ)を脱ぐと言って翻意を懇願した。民生委員たちも、町長が辞めるなら自分たちも、と迫った。各種団体の役員らも同様に、町長に6選に応じてほしいと説得した。
こうした男性たちの熱心な説得よりも、さらに力を発揮したのが女性たちだった、と手紙の主は書いている。
「なんの肩書もない、本当に普通のおばさんたちが町長室になだれ込んで、涙ながらに、辞めるなんて言わないで下さいと訴えたのです。この町に男性はいないのかと思うくらいに、町長室は女性で溢れました」
女性たちによる町長の“監禁”は続いた。
町長が語る。
「町の小学校も町民会館も、必要なインフラ整備は完了しています。合併にも住基ネットにも矢祭町は参加せず、限られた予算でしっかりやっていくために、来年の町議選挙で現在18人の議員定数を10人に減らすことも、決定済みです。自分たちの首切りを法に定めることができる立派な町議が揃っています。だからこそ私は、引退を決意したのです。けれど、女性の力はまことに強いものですな」
手紙によれば、あの町長が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、翻意したという。
5選、6選の首長にはとかく癒着や利権の悪いうわさがつきまとう。だが、根本町長はまったく異なる。住民のための自治。その気概で市町村合併も住基ネットも拒絶した。こんな首長が増えれば、すばらしい国への日本の蘇りは地方から始まる。出(い)でよ、第二の矢祭町。この統一地方選を、住基ネットと市町村合併見直しの機会とせよ。