「 高裁判決での逆転敗訴はジャーナリズム全体への冒涜 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年3月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 485回
2月26日、東京高裁大藤敏(おおとうさとし)裁判長、高野芳久、遠山廣直両裁判官によって、私は逆転敗訴の判決を言い渡された。元帝京大学副学長安部英(たけし)氏から名誉毀損で訴えられていた件である。
高裁判決は、地裁判決とは正反対の内容だった。一審判決で真実、あるいは真実と信ずるに相当の理由があったとして認められた記述が、ことごとく否定された。
ひと言でいえば、このような判決を出されたのでは、調査報道は成り立たなくなる。事は私一人の問題にとどまらず、日本のジャーナリズム全体に影響する問題と言わざるを得ない。
大藤裁判長らは、私の取材した薬害エイズ被害患者の言葉も、信じられないとして退けたが、本当に彼らの言葉は信ずることができないのか。
取材した患者の一人高原洋太氏は安部氏の元患者で、血友病患者の団体「東友会」の副会長も務めていた。氏は1983年7月に、加熱血液製剤の開発で先行していたトラベノール社をほかの患者らとともに訪れ、担当者から、加熱血液製剤は「厚生省が許可してくれれば、もういつでも皆さんに供給できる」などの言葉を聞いた。
85年7月16日には、化学及血清療法研究所(化血研)を訪れ、化血研は、「本来もっと早くに加熱血液製剤を患者に供給したかったのだが、ミドリ十字の開発が遅れていて、それに合わせるために遅くなった」とも聞いた。
それから約1ヵ月後の8月15日、高原氏らは安部氏に会った。安部氏は高原氏らに、各社の加熱血液製剤の治験を自分が責任者として取りまとめたと語った。高原氏ら患者は、全社揃って加熱血液製剤を出すよりも、一社でもよいからできたところから出してほしいと考えていたため、「トラベノールなどは、もっと早く加熱血液製剤を供給できたのに」と反発した。
安部氏は立腹し、この場面では、両者の間でしばらく厳しいやり取りが続いた。このくだりは、安部氏が訴えた名誉毀損裁判の、東京地裁での証人尋問でも取り上げられた。安部氏代理人の弘中惇一郎氏は、83年のトラベノール訪問時の件などを尋問したが、トラベノールが加熱血液製剤の開発で先行していたという高原氏の証言を突き崩すことはできなかった。
それどころか、同じ83年7月ごろミドリ十字を訪れた別の患者代表の報告として、ミドリ十字は「加熱(製剤)の製造には至っていない」と証言されるありさま。証人尋問での、高原証言の信頼性は確立されたわけだ。
私は他の資料にも当たった。トラベノールにも化血研にも取材を申し込んだが、当時は東京HIV訴訟が進行中であり、メーカー側はいっさい取材に応じなかった。取材は困難だったが、他の情報と考え合わせた結果、高原氏の言葉は信頼できると判断して、私は拙著『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の中で伝えた。
東京高裁は、私の伝えた高原氏の語った内容を「伝聞」だとして退けた。そして「取材の申込みをしたにもかかわらず、これを拒否されて取材が実現しなかったことが認められる」としながらも、「いくばくでも合理的な疑問が残るのであれば、それを前提とする記述にとどめるべき」とした。
一連の取材で、私は高原氏の聞いた「トラベノールの先行」「ミドリ十字の遅れ」は間違ってはいないと判断するに足る情報を得た。大藤裁判長らはそれでも、「伝聞」として否定した。否定の根拠は十分に示されていない。
膨大な時間を費やして取材した薬害エイズ問題。そうした取材をことごとく退ける判決が罷(まか)り通れば、ジャーナリズムは息を潜めなければならない。
私一人の問題ではないと思うゆえんである。