「 拉致問題の解明どころか日朝交渉に新たな火種 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年10月05日号
ダイヤモンドレポート
日朝首脳会談で金正日がいとも簡単に認めた「拉致」の事実と謝罪に、小泉首相は功を急ぎすぎたか。8人死亡説の根拠もその事実関係もなんら解明されていないなか、北朝鮮側は難色を示しながらも調査団派遣を受け入れる。ジャーナリスト・櫻井よしこ氏が検証する「日朝平壌宣言」調印をめぐる政治判断の是非。
調査団派遣は成功するか
早くも小波立つ対北朝鮮外交の行方
福田康夫官房長官は、田中均アジア大洋州局長を「パーフェクトだ」と非常に高く評価しているらしい。
小泉首相もプーチン大統領から「望みうる最高の成果を日本側は挙げた。お祝い申し上げる」と絶賛されたと、フジテレビ「報道2001」で語っていた。
だが、こうした見方は自画自賛にすぎる。小泉訪朝は、日本外交の失点ともなる基軸のなさが目立つのだ。
訪朝の成果は、2つの面から見る必要がある。国際戦略における評価と、国内問題の評価である。
国際社会の北朝鮮に対する潮流の変化が米国主導で生じたのは指摘するまでもない。クリントン政権時代のソフトランディング政策は、ブッシュ大統領によって大転換された。
2001年6月6日発表の新北朝鮮政策で、ブッシュ大統領は3項目の要求を突き付けた。核およびミサイル開発を中止するとした1994年の米朝合意の遵守、武器輸出の禁止、そして通常戦力の削減である。
第3点は、これまでどの国のどの政権も求めたことのない厳しい要求だ。北朝鮮の陸上兵力は100万人と推測されている。中国の陸上兵力183万に次ぐ軍事大国だ。韓国軍の56万に比べても大きい。
ブッシュ大統領は、その大部分が38度線に展開されている地上軍の削減を要求したのだ。米国の攻勢は続き、昨年11月15日には、ラムズフェルド国防長官と金東信韓国国防相が会談し、北朝鮮がテロ活動を行なっていると厳しく非難した。今年1月29日には、一般教書演説で北朝鮮を「悪の枢軸」国の1つとし、テロリスト国家への先制攻撃を軸の1つとする米国国家安全保障戦略を9月20日に発表した。
1ミリたりとも譲歩せず力で攻めていく米国の前で、イラクは強硬に拒み続けてきた国連の核査察受入れを表明した。北朝鮮の金正日総書記もまた、譲歩なくしては存続が危ういことを痛感しているはずだ。
加えて、北朝鮮経済の疲弊ぶりははなはだしい。日朝間を往来して不法な資金と物資を運んできた万景鋒号は、ひと月に3度ほど往復してきたのが、一航海60万円かかる油を調達できずに、9月に入って以来、往来が止まっていると伝えられる。経済改革で給料が10倍になっても、主食のコメは400倍に跳ね上がった。かたちのうえだけの配給制さえ維持できないところまで、経済が破綻したのだ。
国民の窮乏ぶりは凄まじく、WHOの報告によると、緊急治療を要する結核患者は100万人、うち外国からの医薬品で治療を受けられるのは5%にすぎない。コレラ、腸チフス、パラチフスが広がり、80年代に撲滅されたはずの真性天然痘が江原道地方で発生していると伝えられる。事実なら、生物兵器として培養した天然痘ウイルスによる汚染だとみられている。
こうした流れのなかに日朝関係の変化を置いてみれば、首脳会談への誘いは、崖っぷちに立った金正日総書記の生残りと背中合わせである。
米国が危惧する日本の北朝鮮戦略における落とし穴
尋常ならざる脆さと暴発の危険性を内包した政権の門戸開放を促すかのような日朝合意は、韓国、中国、ロシアから熱烈に歓迎された。しかし、日本にとって最重要の同盟国米国の反応は、明らかに否定的である。日本の国益を計るうえで最も重視しなければならない米国の、明白な否定的受止め方を、小泉首相は理解できていないようだ。
首相は自身の訪朝を踏まえて、ブッシュ大統領に、北朝鮮と話合いをするように助言したと伝えられた。大統領は黙って聞き、返事をしなかったそうだ。
米国から見れば、米朝の話合いが進まないのは、北朝鮮側が94年の米朝合意をはじめ約束事を守ってこなかったからである。クリントン政権は、約束不履行の金正日総書記に柔軟外交を適用した。ブッシュ氏は先述のように、約束事を守らないほうが悪い、守らない相手には力ずくで守らせるという構えだ。この現実のなかに小泉首相の“助言”を置いてみると、それがお節介以外の何者でもないことが分かる。
今米国は、共和、民主両党が協調して国土安全保障省を創設、職員約17万人、予算約4兆8000億円を投じてテロ対策の徹底を図りつつある。イラクへの攻撃の準備も整えつつある。
こうした米国の攻勢の前に、イラクはあれほど拒んでいた国連の核査察受入れを表明した。米国の力による戦略は結果をもたらし始めているのだ。そんなところに急きょ実現した日朝交渉は、米国の基本戦略からはずれている。米国は、同盟国であるからこそ、表面的には小泉訪朝に支持も歓迎も表明した。が、小泉首相の北朝鮮政策の戦略の欠如に、危惧を抱いているのも確かだと思う。
米国の危惧は、北朝鮮のとらえ方から生じている。米国の北朝鮮不信はきわめて根深い。クリントン政権下のカートマン北朝鮮担当大使でさえ「北朝鮮は数えきれない謀略を仕掛けてきた」「1から10まで信用できない」と語っていた。
小泉訪朝および、北朝鮮との話合いに臨めという首相の助言に冷ややかなのは、落とし穴に注意せよとのメッセージである。折しも9月28日、拉致被害者家族の求める真相究明のため、調査団が派遣される。北朝鮮側は十分な協力を確約したとはいうが、高く評価された小泉首相の訪朝成果に影を落とす小波が、早くも立ち始めている。
では、家族にとって今回の共同宣言とその署名はどういう意味を持つのか。横田めぐみさんの母親の早紀江さんがいみじくも語った。
「拉致事件とその徹底究明は、娘のめぐみや拉致された被害者の問題にとどまらず、日本の国のあり方を問うています。日本と北朝鮮、その2つの国について大きな問いを突き付けていると考えるようになりました」
めぐみさんの消息が北朝鮮の元工作員によって初めて日本に伝えられたのは、77年の年初だった。翌年、元工作員の安明進氏は家族らによって日本に招かれ、各地で北の工作員としての体験について語った。
めぐみさんや市川さんについて語る安明進氏を、外務省は嫌った。阿南惟茂アジア局長は、オフレコ会見のなかで「亡命者は亡命先の国の聞きたい話をすることがある。発言は信用できない」と述べたのだ。
早紀江さんが怒る。
「家族はどんな断片情報でもワラにもすがる気持ちで入手しようと懸命です。外務省の役割は、失跡した国民が北朝鮮で生きているという情報を家族に代わって確認することではないですか。にもかかわらず、事情を確かめることもなく、否定し去るのです。外務省への働きかけはいつも私たちの側からでした。外務省が進んで私たちに情報提供したことはありません。日本はその点で、国家のかたちをしていないと思います」
信頼関係が著しく欠落するなかで今回の訪朝は断行され、首相は共同宣言に署名した。
金正日総書記が拉致を認め謝罪したことは、首相の指摘どおり、大きな前進である。だが、事実だとすれば、8人もの被害者が非常に若くして亡くなっているのだ。息を飲む残酷な結果を突き付けられて、そのまま共同宣言に署名したことは正しかったのか。
功を急いだとしか言いようのない共同宣言への調印
確かに、拉致情報と謝罪は引き出した。が、共同宣言は一言一句、あらかじめ合意された文言のままである。拉致の言葉さえ入っていない。
この点について、首相は強い自己主張を展開している。22日フジテレビの「報道2001」で、「(日本側の)これだけの言い分がほとんど通っている」「(拉致について金正日総書記が)よくここまで言ったなと。大転換だなと」感じ入ったというのだ。そのうえで、会談のなかで金総書記が拉致を認め謝罪したことから、宣言に拉致の文言が入っていなくてもよいと主張する。
「宣言というものはそういうものですよ」という首相の発言は、明らかにおかしい。国家と国家の関係を規定する共同宣言は、正確に文言によって表現される。文言として入れられなければ、宣言ではなく、したがって効力もない。
功を急いだとしか言いようのない共同宣言調印で、小泉首相はそのほかにも重要な点を押さえていない。たとえばミサイル発射の凍結について、首相は「凍結の無期限延期を金総書記が約束した」と帰国後に述べたが、宣言には「2003年以降もさらに延長の意向」とのみ、書き込まれている。
国際原子力機関(IAEA)の核査察受入れについて首相は、「全面的に受け入れると金総書記は表明した」と述べたが、宣言には「関連する全ての国際的合意を遵守することを確認した」とのみ書かれている。詰めるべき点が詰められていない。そして疑問なのは、日本国の首相として日本人の生死にかかわる問題についてどこまで細かく問うたか、だ。
「報道2001」で、拉致問題について「強く抗議したというところを具体的におうかがいしたいのですが」と尋ねられ、首相は「だからこれは、きわめて遺憾なことであると。2度と起こらないように、これの、継続の調査、全体の雰囲気で、抗議しなくてはならないでしょう」と答えている。
首相の頭のなかにある拉致被害への認識は、おそらく、一人ひとりの被害者の顔や家族の顔が浮かんでくるような切実さを伴っていなかったのであろう。だからこそ、「きわめて遺憾」という抽象的で便利な言葉で終わってしまったのだ。首相は、すべてはこれからの協議のなかで問うていくと答えている。だが、最悪の情報を提示されて、予定調和のなかにとどまって共同宣言に署名した首相の決断は、日本国民に対しては冷たいものだった。自国民を大切にし、守り通すことをせず、米国や韓国や他国の要望に気配りするとしたら、そんな国の外交は、しょせん悔られていくのである。
拉致問題重視の姿勢を感情的という声もあるが、決してそうではない。国の政治も外交も、自国民を守るという原点をはずしてはならない。政治家は自国民のために怒り、悲しみ、喜ぶ心を基礎に置かない限り、人間の集合体としての国家など、真の意味で守り統合していくことなどできないのだ。
国際関係では、今回の訪朝は最重要の同盟国との緊密な連携を欠いていた。家族と被害者のことを考えれば、あまりに配慮が不足していた。首相が功を焦りすぎた、と言わざるをえない。