「 日本はデフレ先進国として足跡を前向きに生かすとき 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年9月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 462回
2~3周遅れのランナーだった日本が、世界のトップランナーに返り咲く大逆転が可能かもしれない。
ドイツ証券の武者隆司氏が語る。
「1970年代終わりからの日米株価指数の推移を見ますと、両国の動きが同じ構図で繰り返されているのに気づきます。バブル、無責任な経営、デフレなどの現象は日本特有の現象と考えられてきましたが、じつはそうではなく、この時代とこの世界に共通する現象なのかという気がします」
日米両国の株価指数は、10年前後のズレでよく似たパターンをたどっている。日本は70年代末から株価が急上昇し、85年のプラザ合意を経てバブルを加速していく。円高ドル安を容認し、にもかかわらずドルの相対的な魅力を失わせないためには、金融緩和を実施しながらドル安を進めていく米国に劣らぬ低金利を、日本が実施する必要があった。こうして日本は必要以上に金融を緩和し、80年代後半の不動産ブームを起こしていった。
米国では95年にルービン氏が財務長官に就任し、強いドル政策を実施した。米国の為替対策のこの大きな変更は、大幅な金融緩和措置とともに、世界中から資金を掻き集める効果を生んだ。米国の株式市場に世界の資金が集中し、天井知らずとも思えた株高が続いた。87年にはブラックマンデーで株価は大きく落ち込み、それを乗り越えるために、日本はさらに金融を緩和した。日本にとって最後の大きな落込みは、湾岸戦争である。そしてバブルがはじけたあとは、多少の上下を繰り返しつつの低迷が続いている。
一方、米国はこの間、株価を上げ続けるが、98年のロシア通貨危機、米国大手のヘッジファンドの危機に直面して、これまた必要以上の金融緩和に走った。落込みと盛り返しを繰り返しながらも、全般的な株安のなかで9月11日のテロ攻撃に直面、落込みの幅は、湾岸戦争で悲観的になった日本の株式市場のそれと匹敵する。
そして今、米国で日本と同様、金融緩和が、株価の下げ止まりにも、また銀行の貸渋り解消にもつながらない現象が起きている。武者氏が語る。
「米国の商業銀行のビジネス向け貸出しは2000年後半からマイナス、現在はマイナス7%で、猛烈なクレジットクランチです。伸びている不動産貸付けは債券化されており、結局、政府の保証に支えられているのです」
米国の銀行も、リスクを負わなくなっているのだ。リスク回避は日本を蝕(むしば)む元凶で、日本特有の欠点だと思っていたら、米国も同じ問題を抱えている。
米国を軸とした一つの資金フローによって、世界が同時繁栄を楽しんだ時代は去ろうとしている。バブルが起こり、つぶれてゼロ成長とデフレに入り、金利がゼロになり、金融政策がまったく効かなくなっていく世界だ。
20世紀の高度経済成長による繁栄は、日本が最初にバブル崩壊で失い、その他の国々もおのおのの国の経済規模に見合ったバブル崩壊でそれを失い、最後に、米国の大きなバブルがはじけて失われていくのではないか。
とすれば、99年3月からもう3年以上もゼロ金利を続け、その前からも異常な低金利とデフレ経済のなかで暮らしてきた日本ならばこそ、デフレ先進国としてのモデルを示しうるのではないか、と武者氏は問うのだ。
新しい時代への回答は、価値観の転換から生まれてくる。高度成長でなくてよいと納得し、新しい環境のなかでの過去何年間かの足跡を分析することから、回答が生まれてくる。それは、アジア諸国との同質性の競合関係から抜け出て、日本にしかできない技術や工夫を製品化していくことしかない。
先進国で、かくも長くゼロ金利を経験し、デフレのなかで生きてきたことを、せめて前向きに生かすのだ。