「 『誇りに思う』と賞賛される矢祭町町長の“離脱宣言” 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年8月10・17日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 457回
福島県矢祭町(やまつりまち)に行ってきた。周知のようにこの町の長、根本良一氏は、住民基本台帳ネットワークには町の住民情報はつながないと宣言した人物だ。全国3300弱の地方自治体のなかで真っ先に“離脱宣言”をした。
矢祭町はどんな町なのか。住民はどう考えているのか。離脱宣言をしたものの、8月5日から住基ネットが稼働した場合、その後の対応はどうするのかなど、知りたいことは山ほどあった。
7月28日夕刻、町の多くの人たちと話し合った。人口7225人の小さな町が、国に公然と歯向かうのであるから悲愴感が漂っているかと思えば、まったく事情は違った。皆が寄り合った会場の雰囲気は非常に明るいのだ。
根本町長は言う。
「私の町では、隣町や他所で住民票を取るケースは年に10件内外です。全国どこでも住民票が取れるのが便利になることの柱だとすれば、そんな便利さはたいしたことではありません。そんなことのために、町の予算から2年間で2000万円もの歳出が必要です。だれが見たって、費用対効果は釣り合っていません。住民に説明しても納得してもらえるようなことではありませんよ」
地方自治体は、住基ネットすべてのコストを地方交付税で払わなければならない。補助金とは異なり、地方交付税は本来、地方自治体が独自に使い途を決められるフリーハンドの歳入だ。にもかかわらず、総務省の指示で否応なくやらなければならないのだ。
地方分権の時代とか、仕事だけでなく税収も地方に分けていくべきなどと総務省はアピールしてきた。そんな議論が空しくなる中央省からの押付けが、住基ネットである。地方に分権され、地方が自立しているなら、2000万円をかけてたかだか10件内外の住民票を取りやすくする企画などに、地方自治体が応ずるはずがないのである。
「だから反対しているのサ」
根本町長は福島なまりで説明した。
「住民のことを考えれば、住基ネットへの答えは一目瞭然だ。私はこの町の決断がこんなニュースになること自体、不自然だと思いますよ。首長が住民のほうさえ向いていれば、多かれ少なかれ、私と同じ決断をすると思います」
その後、東京・国分寺市の星野信夫市長も、根本町長と同じく離脱宣言をするなど、どの自治体の首長も、悩み、決断を迫られているのが現状だ。
矢祭町役場に行ってみると、その建物の貧弱さに驚いてしまう。今日日(きようび)、地方自治体の庁舎は、おしなべて不似合なほどに立派なものが多い。田園地帯に突然、高層の建物が現れ、それが市役所だったりする。
だが、矢祭町役場はまったく違う。
「40年以上も前の建物です。雨漏りがするようになったら屋根にシートでもかけにゃいかんと思っとりますが、まぁ、まだ当分は大丈夫ですよ。
小学校も中学校もお年寄りのための施設もみんな、必要なものは新しい立派なものを造りました。だからこの町には、当分、大きな建築物はいらないのです。住基ネットのことで交付金が減らされるなんて忠告する人もいるけれど、なんの、法律で決まっているもんですから減らされることはないでしょう。万が一、国の補助金が減らされるとしても、うちは、おカネや物で動かされるような町ではありません。貧しくても自分たちの力の範囲内で、しっかりやりますよ。それが本当の日本人ちゅうもんじゃないですか」
根本町長の言葉はまっすぐにこちらの胸に響いてくる。根本町長の元に、全国から膨大な数のメールが入っていた。ほとんどが、「誇りに思っている、意思を貫徹してくれ」という内容だ。貧しくとも貴い生き方、筋を通し、真に国民、住民を見た政治を、それだけ多くの人が渇望しているということだ。