「 行政個人情報保護法案こそプライバシー侵害の元凶 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年7月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 455回
国民に11ケタの番号を振る住民基本台帳ネットワークに対する反対論が急速に高まっている。すでに三重、奈良、鳥取、福島の4県が県として実施延期の意見書を採択しており、同様の意見書を採択した市町村は全国で約60に上る。市として最大の350万の人口を抱える横浜市もその一つである。
地方自治体は、住民に11ケタの番号を振って住民の個人情報を管理する直接の担当者である。その彼らが、システム上も技術的にも、個人情報を守り切れる体制にないことを懸念しており、準備不十分で住基ネットを稼働させることに反対しているのだ。
住基ネットの技術的な欠陥は、部分的な手直しで直る類いのものではなく、システム全体を最初からつくり直していくことが必要だ。
住基ネットを何がなんでも始めたいという総務省の官僚や、この制度の予定どおりの施行を望んでいる政治家たちは、たとえば、プライバシーとは何かについて考えたことがあるだろうか。
住基ネットに問題ありと言うと、彼らは、セキュリティへの配慮は十分にしていると答える。しかし、セキュリティとプライバシーは異なるのだ。
今、米国やカナダでは、患者が薬を買いにいくと、患者本人が暗証番号を入力しなければ、現在どんな薬を服用していて、新たにどんな薬を処方されたのかを見ることができない仕組みが採用されつつある。医師は処方箋をコンピュータに入力するが、ライセンスを持つ薬剤店とはいえ、患者自身が暗証番号を入力しなければ、その情報にはアクセスできない仕組みなのだ。
プライバシーに配慮し、それを守るということは、このような情報保護の小さな仕組みを積み重ねていくことなのだ。日本の住基ネットのように、一万件を超える行政事務を番号を使ってこなし、結果として個人情報を山と積み上げ、それが盗まれないようにセキュリティをかけるという方法は、順序が逆である。発想が間違っているのだ。
住基ネット推進の人びとは、この問題はセキュリティのみ考えていては不十分だということ、プライバシーの概念についても考えなければならないことを認識すべきである。
加えて、住基ネットはこのままいけば法律違反の可能性がある。改正住民基本台帳法では、個人情報の保護に万全の措置を講ずることが施行の前提となっているが、“万全の措置”と位置付けられている個人情報保護法案が成立しそうにないからだ。
公明党は今、頓挫(とんざ)している個人情報保護法案を修正して再提出し、可決して「個人情報保護の措置」を整えたというかたちをつくり、住基ネットを稼働させるべく新たな提案をした。
だが、公明党が再提出を目指しているのは民間個人情報保護法案のみである。行政の持つ個人情報をいかに守るかを定めた行政個人情報保護法案にはまったく触れていない。そして問題なのは、メディア規制だと喝破された民間個人情報保護法案よりも、官による情報のコントロールを可能にする行政個人情報保護法案のほうなのである。
同法案が成立すれば、行政の入手した個人情報は、当初の目的以外の目的に自由に使うことができるようになる。また、一つの役所が入手した個人情報を他の役所、独立行政法人、あるいは地方自治体に提供し、行政府内部で使い回しすることも可能になる。
行政府が思う存分、個人情報を使い回すことを法律で担保するのが、行政個人情報保護法案である。
したがって、この点の修正なしに、民間個人情報保護法案のみを修正してもなんの意味もない。共同通信の調査を見ても、住基ネットが国民の支持を得ていないのは明らかである。拙速を避け、凍結することが賢明な道である。