「 岡っ引国家にはなるな 」
『週刊新潮』 2002年2月7日号
日本ルネッサンス 第5回
BSE(狂牛病)、日本人拉致事件、工作船。
3つに共通するのは日本の情報能力の欠落である。情報がとれない、分析が出来ない、あえて情報をとらないといういびつな姿である。
情報の世界にはヒューミント、シギント、エリントなどという一般の語彙では聞き慣れない言葉がある。ヒューマン・インテリジェンス、シグナル・インテリジェンス、エレクトロニクス・インテリジェンスの略称で各々、人間から取る情報、潜水艦のスクリュー音など、特定の信号からの情報、そして電波情報をさす。
どの国の情報活動も上の3つが柱になっている。片や日本の情報収集活動を支えているのはシギントとエリントの二要素であり、ヒューミントは存在しない。
その結果、相手方が信号や交信の発信を中止すれば情報は取れなくなる。つまり、構造的に常に受け身の情報活動なのだ。加えて、情報活動などということは世に憚る(はばかる)べき悪いことだという意識が、つい先頃まで色濃く存在した。政府に「情報本部」が設置されたのはわずか5年前の97年のことだ。必然的に、日本の情報活動には常にある種の後退性と消極性がつきまとう。
ヒューミントを欠きながらも日本は、ほかの2つの機能で、それなりの情報を収集してきた。
たとえば昨年12月22日に奄美大島沖の東シナ海で沈没した工作船が、朝鮮労働党の周波数で北朝鮮本国と交信していたことの突きとめだ。すでに報じられたが、同交信の傍受は喜界島に置かれている防衛庁の通信傍受施設で行われた。
日本側がそこまで確認出来たのなら、日本近海に出没し、拉致事件などの許し難い国家ぐるみの犯罪に走る相手方の動きをもっとキャッチ出来ているのかと思えば、そうではない。今回の工作船の動きを情報提供したのは明らかに米軍である。
最新技術を駆使して行う情報活動は日本の情報収集の重要な柱でありながら、日本や日本人に迫り来る危機を察知するには、やはり不十分なのだ。シギントやエリントに日本が秀れているといっても、多数の情報偵察衛星を打ち上げて地球上のあらゆる国々のはるか上空から情報収集する米国には較べるべくもない。
だが、日本の情報収集で懸念すべき欠落は、ハードの機器の欠落ではない。先述のように、むしろソフトの問題である。情報に対する意欲の欠落である。情報の意味を読みとろうとする気力と、現行制度の下で集め得る情報を最大限集めて国民を守るという意気込みがないのだ。
すでに当欄でもお伝えしたが、BSEの日本での発生は情報の無視と軽視が原因だ。医原性のクロイツフェルトヤコブ病の発生も、薬害エイズの発生も、同じ構造の中でおきた。2桁の数の日本国民が拉致されたままの事件も、同じ構造の中で解決されないできた。
たとえば、なぜ、沈没した工作船を引き揚げないのか。その海域から北朝鮮製の煙草の箱やお菓子の袋が回収されたことで、北朝鮮の工作船だと判明したことで十分だとでも言うかのように、日本政府は引き揚げを決断せずに無為なる時を過ごしている。
引き揚げを促しているのはむしろ米国側だ。アーミテージ国務副長官が工作船は北朝鮮の船だと明言し、バウチャー報道官が引き揚げに全面的に協力すると述べたのは、なぜ引き揚げないのかとのあからさまな問いかけである。
工作船の引き揚げによって得られる情報はかなりのもののはずだ。それに多くの日本人が同じような船で拉致されていったと推測されるだけに、確認するのは政府の国民に対する責任である。また引き揚げれば積み荷から工作船の目的がわかる。目的がわかれば、北朝鮮の行動の意味もより鮮明にわかる。
北朝鮮をとり巻く国際情勢はこの1年大きく変化した。米国の共和党政権は北朝鮮をテロ国家と見做し、韓国の金大中大統領の太陽政策も色褪せ、韓国からの経済援助はもはや望み得ない。日本では朝銀及び朝鮮総聯本部が捜索を受けた。日本からの資金の仕送りは、朝銀事件と日本全体の不況によってかなり難しい。その一方で金正日総書記の誕生日が2月16日と目前に迫っている。
工作船はそのための資金調達のミッション途上にあったのか。工作船の引き揚げは北朝鮮の切迫した現状分析に大きく貢献するはずだ。
なのに、煙草の箱とお菓子の袋で満足しようというのが日本だ。他方、入手出来得る情報は全て入手し、吟味し、対策をたてよというのが米国だ。BSE問題でも、最悪のケースを想定して手を打った米国と、問題意識もなく殆んど手を打たなかった日本は鮮やかな正反をなしていた。結果として日本政府は国民も国民経済も守りきれなかった。
手を打たない、最小限の対策しかとらないというもうひとつの事例は2000年、海上自衛隊萩嵜繁博三等海佐がロシアの駐在武官ボカテンコフに情報を提供して発覚、逮捕された事件だ。
当時の海上自衛隊は萩嵜三等海佐が大した情報を持っているはずがないと楽観的に構えていた。結局彼がロシア側に売り渡した情報は「戦術概説」という教材と「将来の海自の通信体制の在り方」という内部資料の2件だったと報じられたが、それ以上の重大情報が流出していた場合を、防衛庁は明らかに想定していなかった。それが日本なのだ。
一方、米国側は日本側の楽観視を非常に疑問視していたと考えられる。なぜなら、このような場合、米国側の対処は、萩嵜三等海佐の立場で入手可能な情報は全て、ロシア側に流れてしまったという前提から始まるからである。
今では定着したかにも見える危機管理の考え、その方法論の研究は米国で始まったものだが、基本は、常に最悪のケースを予測して準備を整える点にある。危機管理の第一段階が情報活動なのだ。
情報を取ることは、取られることでもある。そのために取られた場合のダメージアセスメントも非常に重要になる。
日本は情報収集も不十分で、取られた場合の対処も空白状態に近いことを示したのが、先の萩嵜事件である。弛緩状態ともいえる漠とした楽観主義の国なのだ。国家としての情報収集能力不十分な日本は、重要な国家情報を守ることについても能力不十分なのである。
そんな日本政府が、先週お伝えしたように、いま国民を改正住民基本台帳法で世界一厳しい監視システムの下に置こうとしている。国家単位で考えるべき情報には極めて杜撰(ずさん)で疎く、一方で国民監視の番号体制を敷こうというのだ。米国は反対に、国家単位の情報収集には恐るべき厳しさで臨み、驚嘆する実行力で対処策を実行していく。その一方で、国内においては国民に最大限の自由を赦(ゆる)している。
外に向けては臆病なほど情報収集の行動をおこさず、内なる国民に向けてはゆきすぎた情報収集政策を有無をいわさず実行しようとする。根性曲がりの岡っ引国家のような仕組みは、私の愛する日本の品格には相応しくない。