「 倫理を失った雪印は解散せよ 心ある社員で新たに出直せ 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年2月2日号
オピニオン縦横無尽 431回
文化は生き残るが文明は死ぬ。文明とともにそれが培った心性も死ぬ。雪印乳業の子会社、雪印食品が豪州産の輸入牛肉を国産の牛肉と偽って、国の牛肉在庫緊急保管対策事業から1460万円を騙し取っていたとの報道がそんな思いを抱かせる。
江戸時代の文明が生きていた明治初期に日本を訪れた英国の女性旅行家イザベラ・バードが、日本人の倫理観の高さについて書いている。奈良県の三輪から伊勢へと3人の人力車夫を雇って旅をしたときのことだ。
「この忠実な連中は、疲れを知らぬ善良な性質とごまかしのない正直さと、親切で愉快な振る舞いによって私の旅の慰めとなった」と。
仕事を終えた日本の男たちは「心づけを求めてうろうろしたり、一杯やったり噂話をするために足をとめたりせずに」手早く片づけて家路についた。彼らは見かけは「醜い」が「礼儀と親切に輝く顔」だったと絶賛し、「イエスが幼な児について『天国にあるはかくのごとし』と語られたように、ある日彼(車夫たち)について語られることがあるように希むものだ」とまで書き残している。
バードだけでなく、明治初期のジャパノロジスト、B・H・チェンバレンも英国商人アーサー・クロウも、多くの外国人がかつて、日本人のワークエシックスについて絶賛した。
人の目がないところでも手を抜かず、きちんとした仕事をこなし、「驚く程のささやかな給金」でも、チップなどの余分の収入を得ようという心根は持ち合わせていなかったと書いている。
ところが現代日本のワークエシックスはどうか。日本の伝統企業のひとつ、雪印のことだ。伝統は悲しいほどに消え去り、表現できないほどの失望を抱かせる。雪印とは切っても切れない縁のある北海道に、過日取材に行った。零下17度の寒さのなかで、若くて仲のよい酪農夫婦に何組も会った。広い土地を活用した大型経営の農家が多い。
牛舎に入ると牛が人間のほうに寄ってくる。顔を突き出すと、生あたたかい大きな舌でこちらの鼻をなめる。
BSE(狂牛病)のもたらした、すさまじいまでのマイナスの影響で、廃業していった酪農家も少なくない。
そんななかで、少なからぬ人びとが苦境をじっと耐えて、切り抜けてみせると頑張っていた。酪農農家や肉牛を育てる肥育農家にとっての悩みは、牛肉の消費が落ち込んだままなことだ。政府が買い上げて保管している牛肉は全国で1万2600トン。政府は昨年10月18日に、市場に出す牛も処分して焼却するだけの牛もすべてBSE感染の検査をすると決定したが、政府預りの上の牛肉は、10月18日以前のものだ。これは順次焼却される予定で、現在少しずつ処分が行なわれている。
だが、この肉の処理が終わっても、肉牛生産者の救いにはならない。なぜなら、今も毎日牛は育っているのに、農家は出荷したくてもできないからだ。飼料代はかかる、牛の代金は入らないという八方詰まりのなかで、大規模農家であればあるほど、困り果てている。
日本の畜産農業を背負っていく立場の農家が危機に瀕しているのだが、この人たちをかろうじて支えているのが調整保管という制度だ。生産者と県と国が資金を出してつくった基金から、補填するかたちで下落した牛肉の値段をカバーし、市場が回復するまで肉を預かる制度である。
雪印が騙し取ったおカネはこの制度の資金だ。畜産農家に支えられて育ってきた伝統の企業が、ここまで倫理を喪失したとなれば、親会社も子会社もいっしょに、雪印は解散して消滅したほうがよいと思う。心ある社員は互いに集まり、新企業で出直すのもよい。かたちだけ残っても、それは死んだ心の抜け殻なのだ。