「 不安が残る対応の出発だった田中外相に思慮ある外交を望む 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年5月19日号
オピニオン縦横無尽 第396回
小泉内閣の田中真紀子外相ポストは、本人が強く望んだ人事だという。他ポストを拒否して外相に固執したといわれるだけに、外相就任後の早業人事は、田中氏の抱えていた“想い”を強く反映しているようだ。
彼女の意欲にもかかわらず、その外交には不安がつきまとう。
たとえば、「金正男」氏に対する措置である。5月1日に家族と共に偽造パスポートで入国し、直ちに身柄を押さえられた。政府が極秘に緊急会議を開いたのは翌2日である。2日、2度、その会議は開かれたという。
古川官房副長官の招集で官邸に集まったのは、外務省、法務省の局長と警察庁の警備局審議官だった。彼らは当然、おのおのの組織、つまり、そのトップの意向を反映させるかたちで会議に臨んだはずだ。
4者の話合いのなかで終始、リードをとったのは、外務省アジア大洋州局長の槙田邦彦氏である。李登輝総統へのビザ発給に最後まで強硬に反対したあの官僚だ。
槙田氏の意見は当初、「極秘のうちに」何も問わずに「金正男」を送り返すということだったそうだ。不法入国を問わないどころか、そんな事件は発生もしていないというかたちで、国民にも報せることなく闇に葬り去ろうとしたというのだ。
さすがに、警察庁が異を唱えた。きちんと取り調べをすべきであること、しばらく“泳がせて”背後関係を調べるべきだとの意見も出たそうだ。
こうした意見を抑え込んだのが外務省の槙田局長だった。日本側が不法入国を問題にすると北朝鮮からの“報復”も考えられる、と槙田氏が発言したことはすでに報じられている。報復や軋轢を恐れるあまり、極秘裡に出国させれば北朝鮮が“恩義”を感じてくれるとの主張も槙田氏の意見だった。
こうして、腫れものにさわるような特別扱いで「金正男」は送り返された。その特別 扱いぶりから小泉首相も田中外相も不法入国者の正体を知っていたことが明らかに伝わってくる。
日本国の主権を侵された事件で、これが“適正な法的対処”だったという首相らの感覚は理解できるものでない。また、田中外相が就任時に外務官僚に言い渡したことは、「情報は自分に上げなさい」「右か左かは自分が判断する」ということだった。人事問題に関する強い措置をみても、「金正男」の件について、外相のまったく与り知らぬ ところで外務省の方針が決定されていたとは考えられない。むしろ、一連の槙田発言は、当然、田中外相の了承の下に、否、田中外相の意向によってなされたものと考えざるをえない。となると、田中外相の外交に関する能力ににわかに不安を抱くのは自然なことだ。
そして8日、外相はアーミテージ米国国務副長官との会談を土壇場でキャンセルした。新聞に報じられた“ドタキャン”の理由は「断れない私用があった」「一連の人事問題の調整に時間がかかった」「首相が会うことになっていた」などである。
第1と第2の理由は、最重要のパートナー、米国からの“大統領の使者”としての国務副長官を退ける理由としては受け入れられないものだ。
第3の理由も整合性に欠ける。アーミテージ副長官と首相は同レベルではなくカウンターパートとはいえないため、首相との会談を見送るようにと、ほかならぬ 外相自身が指示していたと報じられているからだ。
日本の国益は、なによりも今、そして見通せる限りの将来、米国との同盟を基軸にして、中国とのバランスをとっていくことによって保たれる。北朝鮮に対して国家らしい対処ができず、同盟国の米国軽視の姿勢をとることはどんな理由であれ、国益に反する。田中外相の思慮ある外交を望むものだ。