「 日米同盟に欠落している両国で共につくる耐久性 」
『週刊ダイヤモンド』 2010年3月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 830
夢見る少年、鳩山由紀夫首相や岡田克也外相に薦めたい書がある。『同盟が消える日 米国発衝撃報告』(谷口智彦編訳 ウェッジ)である。
著者は米陸軍退役将校のマイケル・フィネガン氏、国防総省でアジア太平洋担当次官補の地域戦略特別補佐官を務めた。氏の論文に、リチャード・ローレス、ジム・トマス両氏が前書きを寄せている。ローレス氏はブッシュ政権で普天間基地移設問題の日米最終合意文書を作成した。トマス氏は米軍再編の世界戦略を構築した一人である。
同書の特徴は日米同盟を単なる戦略論からではなく、軍事の現場から論じている点だ。現場に立って、初めてリアルに見えるのは、日米安保体制には「元から亀裂があるという事実」と、それを「日米双方がこれまで許容してきた」ことだと、同書は指摘する。日米両国にとって「国益に関わる安全保障の選択肢とは、そもそも何か、全面的な再評価」が必要だと、問題提起しているのだ。
フィネガン氏は従来、日米双方が抱いてきた、日本はアジア・太平洋地域において米国の欠くべからざる同盟国だという考えには、危険な欠陥があると指摘する。同盟の二つの前提が間違っているという理由からだ。つまり日米同盟は今後のアジア・太平洋における変化にも対応可能であり、近未来に予想される状況変化にも、今の日米関係で対処出来るという二つの前提はすでに成り立たない、「政策形成上の死角である」との厳しい認識なのだ。
米国と他諸国との同盟には粘り強い耐久性がある。同盟の双方が加わってつくる機構やメカニズム、それを支える相互防衛に対するコミットメントがある。だが、そうしたもののいっさいが日米同盟には欠落している。
集団的自衛権は日本にもあるが、行使はできないというような非合理的主張を展開する日本に対し、現場を知り尽くしたこの軍人は、日米同盟は「言葉だけで見かけをきれいにしたようなもの」という厳しい指摘を突きつける。
米国はどうすべきか。フィネガン氏は断じている。「日米同盟は唯一の選択肢でもなければ、唯一のツールでもない、と考えてかかることだ」と。日本にもはや期待するなと言っているのだ。
さらに、範囲を広げて回避策(ヘッジ)を考えておくべきだと提言する。
同盟の枠に縛られずに幅広く検討するとき、中国への宥和的な道も、当然、選択肢の一つとなる。アジアにおける米国の利益がおおよそ守られると判断できれば、中国に「より包摂的なアプローチ」を取る可能性も合理的だとする考えだ。これは在日米軍の必要性がなくなることを意味し、「東京の安全保障の計算を大きく狂わせるのは明らか」だろう。
また、日本を世界規模の安全保障上のパートナーと位置づけることをやめる場合、韓国に、日本に期待していた役割を担わせることも考えられる。つまり、日本の地位は大きく沈下するということだ。
アジア情勢の大変化は、南北朝鮮の統一、台湾と中国の統一などによっても引き起こされ、当然、日米関係の根本的変化も誘発される。この変化する状況下で、米国が国益の視点から同盟の質を問うのも当然である。
フィネガン氏は、日米同盟を弱い同盟だと断ずる。そして、「弱い同盟とは他でもない、中国から見てここぞという絶好の瞬間、間違いなく倒壊すると確信できる類の同盟をいう」と書いているが、そのとおりであろう。
米国と対等な関係をつくると、鳩山首相は主張した。ならば、自分の手で日本を守ってほしい、米国は喜んで引くという時期は、意外に早くくるかもしれない。首相という責任ある立場で「対等」を主張するからには、本書に書かれている米国の本音も知ったうえで、言ってほしいものだ。
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