「 石破首相の怨念、安倍派の徹底破壊 」
『週刊新潮』 2024年10月17日号
日本ルネッサンス 第1118回
石破茂氏の組閣陣容を見たとき、その本質は「反安倍」で徹底的安倍派潰しだと直感し、「プライムニュース」でもそのように発言した。
石破氏が10月6日に示した政治資金不記載議員に対する新たな処罰の基準を見てその確信は深まった。新基準は以下の3点だ。⓵「選挙での非公認」より重い党の処分を受けた者は非公認、⓶役職停止の処分が継続している者は政治倫理審査会で説明責任を果たした者を除いて非公認、⓷処分された議員で説明責任が十分でない者も非公認、である。
また不記載議員は公認しても比例重複を認めないことも決定。前記3点とこの組み合わせで、安倍派は確実に力を殺(そ)がれる。
石破氏は「自民党にルールを守る倫理観をつくる」と言う。石破氏にだけは言ってほしくない言葉だ。総裁選期間、そして首相就任後1週間の短い期間に、氏ほどルールを変えた政治家は他に例をみない。確かに政治の世界は何でもありでルールや政策の変更も珍しくない。しかし、石破氏のルール変更の特徴は、そこに公益がないことだ。石破氏自身が助かりたいがために、世論に迎合し、朝日新聞などにほめられたいがための私益による変節としか思えない。
代表例が先述の不記載議員への対処策だ。総裁選で石破氏が真っ先に言ったことのひとつが、不記載議員一人一人に自ら事情を聴いて公認か否かを決めるという点だった。
だが、右の発言は一夜で引っこめ、「新体制が、どうするかを決める」に変わった。背景に二階派の重鎮だった武田良太氏の怒りがあったのは間違いないだろう。武田氏は不記載問題で1年間の役職停止中だが、総裁選当初から菅義偉元首相と共に、小泉進次郎氏・石破氏の支援に回った。石破氏が推薦人20人を集められていなかったとき、4人ないし6人の推薦人を石破氏に回したと言われる。石破氏はそれでようやく総裁選に出られたのだ。
だが、一人一人に事情を聴くことや公認問題についての発言は、武田氏に刃向かうことになる。氏の怒りに直面したであろう石破氏は、発言を引っこめるしかなかったのだろう。
萩生田氏にターゲット
決選投票で高市早苗氏を劇的に逆転すると、正式に首相に選ばれていない段階で、石破氏は10月9日解散、27日総選挙を宣言した。予算委員会を開いて、野党の質問を受け自分の考えを十分に開陳した上で国民の判断をあおぎたいと殊勝に語ったのはどこの誰だったか。
同件を含む多くの政策について立場を反転させ続ける石破氏に対し、朝日新聞などが公認問題を追及し始めた。自民党内にも「世論の反発」への懸念が生まれ、石破氏はまたもや方針を変えたわけだ。
公認か非公認か、石破氏の新基準で注目すべきは⓶の点である。処分が継続中の場合、「政倫審で説明しているかどうか」で線引きをするとの基準から、直ちに2人の大物政治家が浮かんだ。武田氏と萩生田光一氏である。石破氏が武田氏に刃向かえない理由は前述した。だが朝日新聞などの批判を考えれば、どうしても何かしなければならない。そこで安倍派重鎮の萩生田氏にターゲットが絞られたというわけだ。
共に役職停止1年の武田、萩生田両氏の唯一の違いは政倫審で説明したかどうかだ。武田氏は二階派事務総長として政倫審に出席、一方の萩生田氏はしていない。そこに石破氏は注目したはずだ。
なぜ萩生田氏は政倫審に出席しなかったのか、自民党中枢にいる人々、つまり幹事長の森山裕氏、副総裁の菅氏、小泉氏も石破氏本人も十分、分かっているはずだ。分かっていれば萩生田氏を咎めることなどできないはずだ。それでも今回非公認で罰した。これこそ究極のルール違反だ。
当時の報道からも明らかだが、萩生田氏は政倫審に出席するか否かを党の判断に委ねていたのである。萩生田氏に当時の状況を語ってもらった。
「国会の政倫審は、疑いを持たれた政治家にとって身の潔白を証明する場です。すべての議員に出席して説明する権利があります。ただそれは義務ではありません。私自身は政倫審に出てもよし、出なくてもよしと考えていました。私の当時のぶら下がり会見を振り返って下さればその点はよく分かってもらえるはずです。私は党の決定に従うと繰り返し述べています。出欠は党に委ねており、出席せよといわれれば出席するつもりでした。しかし、党の方から、政倫審の出席は各派事務総長経験者までとするという決定が伝えられて、私は出席しないことになったのです」
党のルールとは何なのだ
萩生田氏の政倫審出席はなしと決定した党執行部とは、総務会長の森山氏と国対委員長の浜田靖一氏だった。萩生田氏が続けた。
「私は政治資金が問題とされた5年間、ずっと、安倍内閣で大臣と政調会長を務めていましたから、閥務には携わっていないのです。質問されても分からないことが多い。それで党の決定にそのまま従いました」
かと言って、萩生田氏が全く、政治資金問題で説明を避けてきたわけではない。記者会見、自身のブログ、ネットテレビ、そして地元の数々の集会で詳しく説明してきている。
今年の1月22日夕方、氏は時間に制約を設けず記者会見を開いた。記者の質問が尽きるまで続けた会見では、過去5年間だけでなく初当選から今日までの還付金の合計を発表している。20年間で2806万円だ。
経験を積むに従って派閥のノルマは少しずつ増えた。その分、萩生田事務所はパーティー券を一所懸命売った。ところがコロナウイルスの影響でノルマの額が急に下げられ、還付金が増えた。しかし、派閥に納める政治資金を追加される場合もあると言われ、事務方は還付金を万一に備えて使わず保管していたという。
1月22日の会見で萩生田氏は、手元の残金は1897万9094円として、3月29日、その全額を清和会に寄付という形で戻している。
安倍晋三総理が暗殺された後、森喜朗氏が萩生田氏を含む「五人衆」なるものを命名して清和会を主導する勢力とした。他の四人は高木毅、西村康稔、松野博一、世耕弘成の各氏である。この中で唯一、閥務に関与していないのが萩生田氏だ。周知の通り、資金の取り扱いの違法性に気づいた安倍氏が西村氏、世耕氏らを複数回招集して止めさせようとした。萩生田氏は一度も呼ばれていない。
再度確認したい。政倫審に出席せずともよいと決めたのは自民党だった。それを今、政倫審に出ていないからといって、非公認にするのであれば、党のルールとは何なのだ。なぜ、当時と今で党のルールが異なるのか。
石破氏が武田氏を恐れて武田氏救済の道を確保したうえで萩生田氏を狙い撃ちにしたことも明らかだ。石破氏に「ルールや公正さ」を語る資格などないだろう。結局見えてくるのは、人材を含めて安倍氏の残した遺産の全てを破壊したいという石破氏の深い怨念のみである。