「 『悠仁親王』ご誕生でも低調な世論 皇室への無関心こそ最大の危機 」
『週刊ダイヤモンド』 2006年9月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 658
秋篠宮家にお生まれになったお子さまは、9月12日、悠仁(ひさひと)と名づけられた。悠久の日本の伝統を継がれるのにふさわしいお名前である。お印の高野槇は日本固有の常緑樹で高くまっすぐに育つ。皇室の未来が、お名前とお印の示すように、悠久の歴史を偽りなくまっすぐに貫き、続いてほしい。
注目された皇太子と雅子妃は、オランダから帰国後、10日には愛子内親王を伴って大相撲を観戦、雅子妃はお元気な笑顔を見せられた。その笑顔はオランダでの静養の“治療効果”を示すとともに、悠仁親王ご誕生が雅子妃のお気持ちをも軽くする効果があったのではないかと思わせる。ご自分が男子を生まなければ幾百世代も続いてきた天皇家の伝統が途絶えるかもしれないという事情に、雅子妃ならずとも、重圧を感じられるのは当然であろう。悠仁親王ご誕生で、ともかくも、現世代の次の世代への最小限の責任は果たされたことになる。そのようにお考えになって、気分が軽くなったのかと思えたのが、10日の晴れやかな笑顔だった。どの人にとっても、少しのあいだ息をつくだけの時間的余裕が、皇位継承問題について生まれたのだ。
しかし、9月6日以降の動きには、懸念材料も目につく。その一つは、皇室への無関心である。むろん、紀子妃の男子出産という喜ばしいニュースを熱烈に歓迎した人びともいる。けれど、どう見てもその喜びが全国民的慶事として盛り上がったようには見受けられないのだ。皇室の求心力は明らかに落ちていると思わずにいられない。その大半の責任はおそらく国民の側にある。戦後の国民教育の責任だといってもよいだろう。同時に、皇室の側にも努力が求められる。
皇室の歴史を見ると、時代によって天皇の果たされる役割は変化してきた。明治天皇は、天皇であるとともに大元帥として君臨し、開国して欧米列強の力に直面せざるをえなかった日本国の求心力となった。昭和天皇は大東亜戦争を戦い、敗北を受け入れ、戦後の復興に当たって国民を勇気づけつつ立憲君主の立場を守ろうとなさった。今上天皇は国民とともにあろうと各地にお出かけになり、国民のための祈りを大事にされてきた。次の世代の天皇は、どんなかたちで国民の信頼と尊敬を得、どのように絆を深めていかれるのか。その答えは、少なくとも皇太子ご夫妻からは見えてこない。
ご夫妻について、ご成婚以来記憶に残るのは、ご結婚前の雅子妃のキャリアをどう生かすか、妃の能力を皇室の伝統と責任のなかにどう織り込んでいくかという苦悩である。
その苦悩は、雅子妃のために皇室の伝統をどう変えるかという点から発しているかにさえ見える。対して、皇室の伝統的な役割と存在意義を強調する議論のせめぎ合いが続いてきたのが、ここ数年の現実である。雅子妃と同世代の、仕事を持つ女性たちを含めて幅広い人びとが前者の考えを支持すれば、保守の人びとは日本国の基盤に天皇を戴く皇室があると見なし、雅子妃の“人格”も重要ながら、日本には変えてはならない守るべき大切な価値観があると考える。
今、雅子妃がお元気な笑顔を取り戻されたことはなによりである。だが、合理的な価値観の持ち主である雅子妃が、西欧風の合理精神では測れない皇室の伝統、この国の文明としての皇室のあり方に、どこまで協調していけるのか、あらためて考えざるを得ない。
もう一つ、皇室全体にとっての問題は、悠仁親王誕生による皇太子と秋篠宮の力関係の接近である。昭和天皇は弟宮たちを警戒し続け、高松宮にはあからさまな批判もなさった。この種の皇室の人間関係をおおらかに乗り越えることも、皇族全員の重要な課題となる。国民がその存在意義を前向きに大切に受け止めていくことが出来るような皇室であってほしいものだ。
部落解放同盟との交渉議事録不開示で福岡県庁に凸をした回答
2ちゃんねるのハングル板に匿名の方から次のような県からの回答と電凸をした結果が掲載されていました。
http://dentotsu.jp.land….
トラックバック by なめ猫♪ — 2006年09月30日 23:07
親王殿下ご誕生を祝う集い1
9月30日、東京・日比谷公会堂で「悠仁親王殿下のご誕生をお祝いする集い」が開催された。私は同僚とともに参加してきた。当日の様子をご報告したい。
去…
トラックバック by ほそかわ・かずひこの BLOG — 2006年10月05日 11:29
朝夕のお勤め大変そうですね”緑のおばさん……
あめの日も、風の日も子供たちを見守る、みどりのおばさん。
どうせすずめの涙ほどのお手当てで、あんな大変なお仕事”子供たちの誘導”をしているんだろうな…..
トラックバック by 烈堂だるめし庵 hermitage — 2007年04月01日 09:38
朝夕のお勤め大変そうですね”緑のおばさん……
あめの日も、風の日も子供たちを見守る、みどりのおばさん。
どうせすずめの涙ほどのお手当てで、あんな大変なお仕事”子供たちの誘導”をしているんだろうな…..
トラックバック by 烈堂だるめし庵 hermitage — 2007年04月01日 09:38