特集 「 橋下市長『慰安婦発言』の是非を論じる 」
『週刊新潮』 2013年5月30日号
日本ルネッサンス 拡大版 第559回
橋下徹大阪市長の発言を聞いて、複雑な気持を抱いたのは私だけではないだろう。「歯切れのよさ」「わかり易さ」という氏の、いわば最強の武器を、語るには最大限の繊細さが要求される慰安婦問題で炸裂させたのである。当然、反応は凄まじく、安倍晋三首相の歴史問題に関する発言も霞むほどだった。
強烈な衝撃を与えた橋下発言を、私は改めて調べてみた。5月13日の発言は以下の点にまとめられる。
(1)侵略だと受けとめ、反省とお詫びが必要、(2)慰安婦への配慮は必要、(3)当時、世界の軍は慰安婦制度を持っていた、(4)なぜ日本だけが非難されるのか、(5)韓国などが日本を「レイプ国家」というが、証拠による裏付けはない、(6)日本の政治は謝るべき点を謝り、言うべきことを言うことが出来ない、(7)兵士には慰安婦制度が必要、(8)米軍普天間飛行場で司令官に風俗業を活用してほしいと言った、(9)司令官は、そのようなことは禁止していると言った、(10)そんな建前はおかしい、(11)朝鮮戦争のときも米軍の沖縄占領のときも同じようなことがあった。
問題は(7)以降の主張であろう。とりわけ沖縄の米軍司令官への助言は、政治家のみならず、一般人の常識としても想像を絶するものだ。
本来なら恥ずかしくて公表出来ないような申し入れだが、それをしたと、橋下氏が自ら公表したのは、政治という最も公の場で売買春を活用せよと言うことが、どれほど非常識でルール違反であるか、わかっていなかったということだ。
橋下氏周辺はいま、氏の主張をまず日本語で整理し、それを正確かつ、欧米の人々の機微に触れる洗練された英語に訳すべく作業を急いでいるという。本誌が出る頃には、英訳が完了する予定だというが、泥縄の感は否めない。
政治家としての発言のタイミングのはかり方、どの対象に向かってどのような状況で、どのような言葉で表現し、問題提起するのがよいのか、発言が大きな反響を呼ぶとして、それにどう対応するのかなど全く考えていなかったことは明らかだ。
下村博文文科大臣は橋下氏について「あえて発言をする意味があるのか。党を代表する人の発言ではない。その辺のおじさんではないのですから」とコメントしたが、まさにそれに尽きるだろう。
日本維新の会の中田宏衆議院議員によると、橋下氏は、日本が「レイプ国家」とされ、20万人の女性を強制連行したと証拠もなしに誹謗され続けることへの強烈な不満があり、そのことを解決したいという思いがあるという。氏はその思いを打ち消すことはせず、果敢に議論を展開したいとして、来日中の韓国の元慰安婦に会い、東京の外国特派員協会での記者会見にも臨む予定だという。
慰安婦問題の性格が変化
歴史問題を巡る状況は本稿執筆中にも日々変化しており、これからの展開には予測し難い面がある。なによりも橋下氏自身が慰安婦問題をより大きく、より烈しく世界に広げていく原因になるのではないか。氏は日本の国益を大きく損ないかねない局面に立っている。
それでなくとも、いま、慰安婦問題の性格が変化しつつある。加えて米オバマ政権内には日本に対して非常に厳しい見方が存在する。日本が過去に女性たちを強制連行したのか、20万人だったのか、仕事だったのか、奴隷だったのかという個々の事柄の真否を超えて、女性の性を弄び利用すること自体の是非を巡って、日本の過去を断罪する方向に議論が行きかねない動きがある。
そのような方向に事態が動く場合、人類普遍の価値観に照らし合わせて、永遠に日本を非難し続ける構造が作られる。日本の弁明は受け入れられず、かつて他国も同じことをしたではないかと言っても、通用しにくくなるであろう。橋下氏の発言は、そのような方向への変化を促しかねない危険な要素を含んでいるのだ。
歴史認識問題はこれまで主として、少なくとも正式には韓国、中国との問題だった。橋下発言で初めて米国務省が不快感を表明するなど、米国を巻き込んだ軋轢となりつつあることの深刻さを、橋下氏は責任ある政治家として考えなければならない。
それでなくとも歴史問題で日本非難を続けてきた中韓両国は、歴史について史実よりもイデオロギーや民族感情、そして政治的思惑を先行させる傾向がある。理屈だけでは中々対応出来ないのである。
歪曲され、捏造された歴史
米国のスタンフォード大学アジア太平洋研究センター(APARC)の行なった日米中韓台の5つの国・地域の歴史教科書比較研究は、満州事変からサンフランシスコ条約の締結まで、1931年から51年までの期間を、これらの高校歴史教科書がどう記述しているかを調べたものだ。その報告書で、APARC副所長のスナイダー氏は民族意識の高揚だけを意図している顕著な例として、韓国の教科書を挙げ、次のように報告した。
「高校生に教えられる戦時中の叙述は、もっぱら日本の植民地統治下での人々の苛酷な体験と抵抗運動である」
韓国の記憶は「日本が自分たち(韓国)に行なったことだけ」に集中しているというのだが、同件に関して氏は2009年3月25日号の『SAPIO』でもこう語っている。
「私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島・長崎への原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない」
氏は、歴史学の観点から見て最も問題が多いのは中国の教科書だとも断じている。
「中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている」と語り、すでに捏造であることが定着した田中上奏文を真実の歴史資料であるかのように04年まで教科書に載せていたことを驚きとともに指摘している。
私たちが闘わなければならないのは、このような、歪曲され、捏造された歴史教育で国民を育て、反日感情を醸成してきた無理無体な国々なのである。
韓国の最高裁は昨年5月、「強制徴用被害者の個人賠償請求権は消滅していない」との判断を示した。韓国政府が日本政府に賠償請求する道を開いたことがどれほど深刻な意味を持つか、弁護士である橋下氏には理解出来るはずだ。相手方は、日本を貶め、日本の力を殺ぐために国家の総力をあげて歴史問題に取り組んでいるのだ。勢いがよくても軽々に発言することは、橋下氏のみならず、日本の命とりになる。
しかし、日本が慎重に賢く、歩を進めれば、歴史認識の闘いに勝てないわけではないことを、最後につけ加えたい。韓国人の側から慰安婦制度についての真実を明かす研究が発表されつつある。そのひとつが、ハワイ大学名誉教授のジョージ・アキタ氏がこの夏に出版する『日本の朝鮮統合は公平だった』(仮題)の中で紹介されているサンフランシスコ州立大学人類学教授のC・サラ・ソウ(蘇貞姫)氏の研究だ。ソウ教授は、女性たちが「周旋業者に騙されて売春を始めたとの主張は間違っている」として、「ほとんどの場合、慰安婦になる過程は開かれたもので」あり、女性とその家族は、女性の運命を認識していたと研究発表した。
ソウ教授はこう書いている。
「当時、おびただしい数の朝鮮人女性が、父親または夫によって売春宿に売られたり、あるいは一家を貧困から救うために自ら進んでその道を選んだりしていた。朝鮮の儒教的父権社会にあっては、女性は使い捨て可能な人的資源として扱われたのだった」
事実は徐々にではあっても、顕れ始めている。冷静に賢く対処することが大事だ。