「 『安部英センセイ』無罪とは笑止千万 」
『週刊新潮』 2001年4月12日号
その瞬間、東京地裁104号法廷には、うめきとも驚きともいえない叫び声が上がった。永井敏雄裁判長が、薬害エイズ事件で業務上過失致死に問われている安部英被告に無罪を言い渡した瞬間である。足かけ5年にわたる傍聴のどんな時にも聞いたことのないこの驚きの声は、その日の傍聴者の多くが共有する思いでもあったと私は感じている。
判決文及びその理由を聞いた被害者の母親、水上秋子さん(仮名)は憤った。
「これは私の息子の裁判じゃない。あんな紙切れ同様の判決文!」
判決を読んで痛感するのは裁判所が被害患者を見事に置き去りにしたということだ。
また安部氏無罪を導き出すために、多くの医学論文の都合のよい部分を都合よく解釈したとの印象も拭えない。
この種の判決が許されれば、医療裁判で患者が救済されることは金輪際ないと思われる救いのない内容だ。
母親の秋子さんが語る。
「息子は1985年の5月から6月にかけて非加熱製剤を打たれてHIVにかかったのです。難しい医学論文や科学雑誌がどうだこうだということではないんです。あとひと月かふた月で加熱製剤が承認される時期に、なぜ安部医師は私の息子の、手首関節の出血という軽い症状に非加熱濃縮製剤を使わせたのかということです。しかも安部医師は、85年のこの時期よりずっと早くから非加熱濃縮製剤が危いと言っていたではありませんか」
秋子さんは裁判官への不信も語った。
「裁判官は最初から私の息子のことをほとんど考慮していなかったとしか思えません。じっと判決理由を聞いていても、息子のことはほとんど出てきませんでした。被害者無視の裁判、これで本当に私の息子の裁判なんでしょうか」
判決文が死亡した被害患者の水上健伍さん(仮名)に触れたのは、数えるほどの行数でしかない。永井裁判長は「結語」の部分で「本件の結果が、誠に悲惨で重大」と述べたが、裁判長にも右陪席判事として裁判長を補佐した上田哲判事にも、一体、その言葉の意味は理解されているのか。「悲惨で重大」が健伍さんと母親にとって、どれほど息絶え絶えの苦しみと哀しみであるかを、理解しているのか。そう問いたくなる程、判決文の言葉は上すべりしている。
判決は被害患者本人の個別的出血状況を含めて、多くの考慮すべき要素を切り捨て、臨床医有利の論となったが、それは永井裁判長のいう「検討に当たっての基本的視点」から始まっていると思われる。その中では「最先端の専門家がウイルス学的な解明をし、これを受けて血友病治療医が具体的な対処方策を模索していた」と述べられている。先端的な研究が一定の成果 を出し、それを待って具体的な治療策がつくられていったと言うのである。
だが、ウイルス学的な解明がなされるずっと以前から、たとえば83年9月には、患者たちは、非加熱血液製剤の危険を感じて、クリオ製剤の増産を頼もうとしていた。
血友病患者で弁護士の仁科豊氏が語る。
「患者会の東友会が中心になって、国産のクリオ製剤なら安全だから、クリオに治療薬を切り換えてくれるように厚生省に要望しようとしたのが83年8月でした。ところが、安部医師がクリオに戻すなんていう要望は出してはいけないと指示したんです」
氏の「指示」で患者会の要望は修正されたが、患者側は科学的解明以前の83年夏に対策をとろうとしていたのだ。
仁科氏の主治医、川崎幸病院の杉山孝博医師も語った。
「最先端のウイルス研究の結果以前に、血液製剤自体の問題に臨床医は留意すべきです。危険を少しでも感じたら、患者の出血状況を見つつ危険な製剤を排除することが必要です」
杉山医師はずっとクリオ製剤を使い、非加熱製剤はごく慎重な使用にとどめ、仁科氏を含め多くの患者の感染を防ぐことが出来た。
が、永井裁判長の基本的視点に沿えば、ウイルス学的な解明が終わるまで非加熱製剤を使わせ続けても医師には落ち度はないということになる。これを火災にたとえてみよう。
一軒の家から煙が出ていた。炎も見えてきた。が、原因はガスか、電気か、煙草の火か特定されていない。中の人間は焼死するかもしれない。消火活動は原因特定後に始めれば責任は果たされる。だから、まだ消火活動をしなくても責任は問わないというのが、裁判所の示した論理である。しかし、原因が解明されてからでは遅すぎる。あのとき素人の患者でさえ、五里霧中で、危険回避の努力をした。最先端のウイルス学的解明も大事だが、問うべきは臨床医として目前の危険を避ける努力をなぜしなかったのかということだ。特に安部氏は健伍さん以前に、83年から84年にかけて自らの患者2人をすでに死亡させ、23人もの感染者を出していたのだ。
科学的に解明されて、論文が書かれない内は、最低限の治療さえしていれば医師の責任は問われないと、事実上断言した「基本的視点」の先に、安部医師に求められる注意義務は「通常の血友病専門医の注意能力」との結論が導き出されたのは自然かもしれない。
だが、裁判所も認めたように、安部氏は血友病治療の「権威者」だった。
判決の致命的欠陥
健伍さんに非加熱製剤を投与した85年5月から6月当時の、「権威」としての安部氏の知り得た情報をよくよく想い出してみよう。
彼は加熱製剤の治験(臨床試験)の統括医だった。当時、加熱製剤の承認が急がれていたことはわかっていたはずだ。また同年3月、氏は『朝日新聞』に自分の患者のエイズ死について語り、スクープ報道となった。感染原因は言うまでもなく非加熱製剤だ。
非加熱製剤によるHIV感染の実例とその患者の死を実例として持っていた臨床医は、当時、安部氏のみである。彼はその意味でも「通常の」血友病専門医では断じてない。さらに氏には、それより前から、安全なクリオ製剤や加熱濃縮製剤に切り換えたらどうかとの進言が寄せられていた。弟子の松田重三、木下忠俊両氏のみならず、厚生省も助言した。
安部氏はどこからみても、特別の臨床医であり、そのうえ権威だった。その安部氏を「通常の医師」と同列にして、通常水準の治療でよしとするなら、患者は死なされても死なされても医師の責任を問うことなど、出来ない。
なぜ安部氏は罪を問われないのか。
薬害エイズの民事訴訟で原告弁護団の一員だった大井暁弁護士が語った。
「判決は予見可能性ではエイズの危険性を低くみて、結果回避可能性では非加熱製剤の有用性を重視したのです」
非加熱血液製剤を打てばHIVにかかって死亡するかもしれないという予見可能性の判断について、裁判所は50ページ強、全体の4分の3の分量を費やして医学論文を細かく分析した。医学部の教科書のようなマニアックな論を展開して非加熱製剤の投与で患者を死亡させ得ることは「予見し得た」、安部氏は「危険性の認識は有していた」が、「その可能性は低いと判断した」と結論づけた。
感染可能性は低く、治療の必要性のほうが勝っていたという論である。
となれば、少しぐらいの患者の感染と死亡は許されるという意味になる。患者の命を軽んずるこんな判決が一体、許されてよいのか。
そして結果回避可能性について裁判所はあっさりと記述した。大井弁護士の指摘である。
「手首関節内出血の患者さんに対して濃縮製剤が本当に必要だったのかに関して、単に非加熱濃縮製剤とクリオ製剤のメリットデメリットという形での比較しかしていません」
HIV混入の危険性については全く触れずに、非加熱濃縮製剤の使い易さや利便性を非常に高く評価し、非加熱製剤を使ったのは仕方なかったとしているのだ。ウイルス混入の危険性を抜きにした製剤の比較に、85年5月、6月当時、一体なんの意味があるというのか。わずかひと月後の7月1日には、非加熱製剤のHIVを避けるための加熱製剤が承認されるのだ。永井裁判長も上田判事も、85年5月から6月のこの投与時期をどこまで考慮に入れたのだろうか。
無視された犠牲者
この他にも安部氏に有利に働く視点が目立つ。判決は安部氏といえども医学界のコンセンサスなしには治療方針を変えることは難しく、変えなくても責任は問われないとの立場をとった。コンセンサスなしに変えれば、“かえって過失責任を追求される”かもしれない、従って2人の患者の死亡原因がエイズだと自分が考えていても、その「自身の見解の正しさについて、医学界のコンセンサスを得ようとするのが、通常の医師のとる行動様式」と述べている。安部氏がギャロ博士に血液検査を依頼したのも、帝京大の自分の患者のエイズ死を医学界に認めさせることを主な目的としていた可能性ありと書いている。
薬害エイズ事件を長年担当した伊藤俊克弁護士の指摘だ。
「では、裁判所は84年9月に発足した厚生省のAIDS調査検討委員会がエイズと思われる症例を報告してほしいと要望したときに、帝京大がすぐには応じなかったことをどう評価するのでしょうか。厚生省のお墨つき、つまりコンセンサスを得る絶好の機会だったはずです。ところが、この段階の対応は、とてもコンセンサスを得ようという態度ではありません。新聞発表のあとに促されてはじめて症例を報告したのです。どうして症例報告が遅れたのかも究明しなくては、この部分は公平ではないと思います」
判決はまた、「検察官の主張は、不確実な情報をもとに時々刻々、臨機応変の判断をし、実際に行動していかなければならない場合の困難を適切に顧慮していない」と断じた。
伊藤弁護士が語る。
「時々刻々、臨機応変に安部医師が非加熱製剤の危険情報や患者の出血の程度を考慮に入れて治療方針に考えをいたしていれば、健伍さんはHIVに感染していなかったはずです。我々がこの裁判で問いたいのもまさに、この点です」
繰り返し強調したいのは、健伍さんに非加熱製剤を投与したのは85年5月から6月である。加熱製剤承認を目前にした時期であり、当時すでに多くの情報が明らかになっていた。非加熱製剤の危険性は安部氏が「毒を打っているような思い」「(心配で)いても立ってもいられない」などと述べた83年に較べても、はるかに明確になっていた。
にもかかわらず、この時期にまだ、非常に軽い症状の出血、しかもまだHIVに感染していない患者に、非加熱製剤を投与させた。「時々刻々、臨機応変」に対処しなかったのは安部氏である。だからこそ、健伍さんが犠牲になった。このことを永井裁判長以下、担当判事はよくよく自覚せよ。
なぜ、安部氏が非加熱製剤の継続にこだわったのかをこそ、解明するべきではないのか。
終始冷静に見えた永井裁判長は、どういう理由でこんな判決を出したのか。なぜこれほど個別の事件としての健伍さんにまつわる事情を無視したのか。
裁判所は、非加熱製剤の投与が「高い確率でHIVに感染」を招くことを安部氏が予見しえたはずという検察官の主張も、「高い」確率の証拠が出来ていないために「認め難い」として退けた。
だが、「高い」とか「低い」というのは、その治療のもたらす結果の重大性を考えて評価すべきものだ。健伍さんは「高」くはないが「低い」確率で感染したから構わないと裁判官はいうか。だが、健伍さんにとって感染率は100%であり、彼は死亡したのだ。
伊藤弁護士が推測した。
「薬害エイズで500人を超える患者が亡くなっています。事件の全体像のあまりの悲惨さに引っ張られて、柱゙さんの個別の事件の判断を誤ってはならないとする余り、この事件を小さくし、その意識が1人の患者の死という取りかえしのつかない結果をも、非常に小さく見ることにつながったのかもしれません」
誰が命を守るのか
安部氏弁護人の弘中惇一郎氏はマスコミが安部氏に「魔女狩り」報道をしたと抗議した。安部氏への属人的要素への批判に引っ張られないようにするためか、裁判官は、安部氏にまつわるおカネの話にも、全く触れなかった。
だが、当時、クリオに較べて非加熱製剤がはるかに薬価差益幅の大きい儲かる薬だったことは明白である。大学病院の経営状況、薬価差益などの要素を全て排除して、果たして非加熱製剤の継続や医師の実態をとらえることは可能なのか、疑わざるを得ない。
元最高検検事で、筑波大学名誉教授の土本武司氏が語った。
「今回の判決はあくまで従来の過失犯罪の枠組みで論じられました。その枠組みでとらえれば、予見可能性が低いから、結果回避義務も低くてよいという論理になります。
しかし医療現場の場合、この過失理論では、被害者が死んでも誰も責任を負わないという誠に不思議な状況になります」
従来型から一歩も踏み出さない枠組みでの過失責任論は、時代の要請に合わないと土本氏は指摘するのだ。過失理論も時代に適応したものに進展させていくべきだと強調したうえで、検察官の主張についても批判した。
「検察官は時代に適応した過失理論で犯罪の立証をしようとしました。しかし、無罪となったのは検察の公判における説得が弱かったということです」
と同時に、裁判官は聞くべきことを聞いていたのか、見るべきものを見ていたのかと問いたい。
ロッキード事件でも、1票の格差の問題でも、裁判所は政治の領分を批判できずにきた。司法が司法の役割を十全には果たし得ず、政治の腐敗を事実上許してきた。
母親の秋子さんが語ったように、判決には被害者の健伍さんへの想いが希薄である。対照的に医療現場と臨床医への配慮はそこそこに滲んでいる。両者への裁判所の配慮のこの相違には胸を衝かれるものがある。
裁判所は「魔女狩り」などのレッテル言葉を意識する余り、被害患者への適正な配慮を欠落させ、臨床医擁護に傾いたのではないか。
人間の争い事や犯罪を裁くに際して裁判官に求められるのは、事実関係の正確な把握と共に、事実関係の間隙を埋める人間性への理解である。
検察官、弁護人双方の主張を単に書類の中で調べてみて、机上の論の中でもてあそぶことは許されない。
85年5月から6月にかけて、ごく軽い症状の患者に、権威者で、しかも死亡患者の具体的症例を2例も有していた特別の臨床医の安部医師が、2000単位もの非加熱製剤を投与させたことの是非を、この患者の個別的事情に沿って判断すべきなのだ。
土本氏が述べた。
「結論として本件は無罪は不当であり、有罪にすべきだと考えます。判決を吟味し控訴すべきだと想います」
政治の澱みにチェック機能を働かせることの出来てこなかった司法が、いままた、社会の不条理を正すことが出来ないとすれば、国民は何をこの国の最終的なよりどころとすればよいのか。
ひとりの患者の死を丹念に調べ、その患者の無念の死の構図を、被害患者の目線でこそ考えよ。それなくして、国民の司法への信頼はあり得ないのだ。