「 80歳の現役科学者が世界を変える 」
『週刊新潮』 2023年9月21日号
日本ルネッサンス 第1065回
ノーベル賞候補にも挙げられている山本尚氏の『80歳・現役科学者感動の履歴書』(産経新聞出版)が面白い。今、氏は、自身が「破壊的イノベーション」と確信する研究に燃えている。
岸田文雄首相の好む語彙のひとつが、持続的社会、持続的成長などと使われる「持続的」だ。日本では「破壊的」であることよりは「持続的」が重視されているのは明らかだ。対して山本氏は、世界は「破壊的イノベーションか、さもなくば死か」という時代にあると断言する。
氏のとらえ方こそ鋭い。なぜなら現実の世界情勢がまさにそうなっているからだ。世界情勢の在り方は政治は無論、経済、人々の行動、安全保障、科学や学問研究の全てに影響する。ロシアによるウクライナ戦争、中露の暗い連携、ロシアと北朝鮮のならず者連帯。平時から有事へと移ってしまった時代状況に加えて、物事の進化が異次元的に加速している。だからこそ、科学者も研究者もあっと驚く変化を世界にもたらすイノベーションに励まなければならないと、山本氏は言うのだ。
20歳で研究を始めて60年、氏はようやく全人類に恩恵をもたらす破壊的イノベーションの研究に出遭ったという。蛋白質の構成要素であるペプチドの合成である。ペプチドは未来の創薬のエースだ。現在のペプチドの合成工程は「60年来の持続的な改革」の果実なのだが、山本氏は従来の手法を根底から覆した。古典的有機合成化学の世界を数年以内に一変させる鮮やかすぎる大転換だ。
具体的に何が起きるのか。ペプチドは極めて短期間で合成され、価格も以前とは比較にならないほど安くなる。全人類の使う薬が想像を超える安さになり、開発途上の国々の幾十億人をはじめ全人類にとっての福音となる。
氏の研究には日本学術振興会が5年間で5億円と、個人に拠出する研究費では最高水準を出した。「美しい化学」を追い求めてきた山本氏は80歳の今、自らの破壊的イノベーションの見通しに人生最高の喜びを感じている。体の細胞のひとつひとつが粒立って喜びに満ちている。
ハーバードで破格の給料
氏はどんな人生を生きてここに至ったのだろうか。鍵のひとつが既存の制度や物事の在り方に安住しなかったことだろう。憧れて入った京都大学で、4年生のとき化学の実験室に行くと、後にノーベル賞を受賞する当時新進気鋭の野依良治氏をはじめ、先輩たちが興奮していた。アメリカ化学会誌に掲載されたハーバード大学のウッドワード先生の論文に沸き立っていたのだ。
たしかに論文は当時の有機化学の域を飛び越えた発想で書かれ、その後の化学の研究動向を左右するほどの内容だった。ハーバード発の論文を掲載したアメリカ化学会の雑誌には当時、日本人の論文はほとんど掲載されていなかった。
山本氏はここでおかしい、と感じた。日本の化学研究がこんなにも遅れているのを悲しいと思った。そして臍(ほぞ)を噛んだ。「こんなことなら、京都大学などへ入らない方がよかったと本気で思った。京大は世界一ではなかった」。その瞬間に彼は決心した。ハーバードにゆかねば、と。世界一の場所で勉強しなければ、世界一にはなれない。こうして氏は研究室内全員が反対する中で、ハーバード大の大学院に進んだ。
ハーバードでの勉強はひたすら深かった。大学を代表する気鋭の学者の一人、ウッドワード先生は月に一度セミナーを開く。開始は夜7時頃、大学院生、博士研究員のほとんどが出席する。先生が問題を黒板に書き、皆がその反応のメカニズムを考えるのだが、同セミナーが終わるのが深夜1時頃だという。約6時間、皆、真剣に問題について考える。「誰一人話さない、しんとした会場はまるで座禅堂のようだ」と書いている。
実は氏はハーバードの大学院に入学したとき、各学生の能力を見る4科目、有機化学、無機化学、分析化学、物理化学の試験を受けた。氏は日本でトップクラスの京大の卒業生だ。京大でも将来を嘱望された優秀な頭脳ではあったが、ハーバードの第一歩ではなんと4科目ともに最低の成績だった。ウッドワード先生に「いつ日本に帰るのか」と問われた。つまり、君の能力ではここでは無理かもしれないから、帰国したらどうかと言われたのだ。そこで氏は奮起した。ものすごく勉強した。やがて学術誌に掲載される氏の論文数は研究室中でぶっちぎりのトップとなった。そして院生生活3年半という異例の速さで博士号を取得した。
氏はハーバードで破格の給料を提示されたが、断り、帰国した。その後の日本での活躍は本書に譲る。
氏は問うている。一体全体、科学者として人類に貢献するとはどういうことか、と。ハーバードの教授らはいつもトップでないと納得しない。他方、いつも世界一でありたい、世界で一番を走ろうという意欲は日本では中々感じられない、と。だがこの感覚と矜持なしにはトップに立てず、人類への貢献も果たせない。
悠長な日本式の徒弟制度
日本はどうしたらよいのか。米国の大学のようにノーベル賞受賞者が次々と輩出するにはどんな秘訣があるのか。氏の解決策は発想の転換によって実現可能なものばかりだ。
第一点は博士課程修了者の処遇である。まず、新人研究者を自由にしてやることだ。研究テーマの選択は本人に完全に任せる。日本の大学は講座制度を採用しており、若い研究者は教授のもとで研究を始める。この「教授のもとで」が曲者だ。若い研究者は教授の影を宿したプロジェクトから始め、数十年経って独立するが、独立時にはすでに年をとり、その頭脳は若い頃のような斬新なアイデアを生み出せない。
研究の進度がゆっくりだった昔なら、日本風のやり方でも大きな成果が出た。しかし、スパコンを初めとする技術革新で研究分野の改編は加速し、悠長な日本式の徒弟制度では追いつけないのだ。
もう一つ重要なのは教育法だ。日本では全員が同じことを同じペースで勉強する。米国では一人ひとりにあった教育を受けられる。破壊的イノベーションを起こすには、ある意味「鼻持ちならないほどの若者が必要」だと山本氏は言う。そんな若者世代を日本の学界が大らかに受け入れることが大事だ。文科省の官僚の研究テーマへの口出しなど絶対にやめなければならない。そして政府は教育行政において日本人の感性の限りなく豊かであることにもっと自信を持ち、希望を託すのがよいのだ。
「破壊的イノベーション」は、実は最も繊細で豊かな感性から生まれる。これまでの発想を飛び越えて、新しい感じ方の中から閃きを得る。論理を超えた感性と情緒が鍵なのだ。日本人はこれらすべての要素を備えていると山本氏は断言する。結果、日本人は持続性の保持よりも、思い切った飛翔に長けていると言う。この山本氏の指摘に、私は大いに幸福な気持ちになった。