「 蔡英文氏敗北、台湾は真の敵を見よ 」
『週刊新潮』 2022年12月8日号
日本ルネッサンス 第1027回
11月26日の台湾統一地方選挙で蔡英文氏の民進党が「大敗」した。日米共に極めて憂慮すべき事態だ。
統一地方選では直轄市6つと、市、県、合わせて22の自治体の首長が選ばれる。民進党は選挙前、7つを保持していた。国民党は14、その他が1だった。今回、民進党は首長ポストを5に減らした。
台湾民意基金会が10月18日に発表した支持率調査では民進党の支持率は33.5%と、18.6%の国民党より相当高い。それでも敗れた。なぜか。産経新聞台北支局長の矢板明夫氏は選挙前、11月25日の「言論テレビ」で蔡氏の戦略ミスを指摘していた。
「地方選挙で一番問われるのは物価、失業率など生活に密着した問題です。蔡氏は総統就任から6年、台湾も含めて世界には疫病が蔓延し戦争とインフレが同時にやってきています。どの国の与党にとっても厳しい。そうしたときに蔡氏は中国の脅威と戦う姿勢を前面に出し、外交・安全保障で台湾を守れるのは民進党だと主張しました。そのこと自体は正しいけれど、国民の関心はもっと身近なところにある」
今回最も注目されたのが台北市長選だった。民進党はエース、陳時中氏を立てた。彼は蔡政権で衛生福利部長としてコロナ対策で陣頭指揮をとり、世界が賞賛する結果を出した。台北市長として十分通用する人材だが、国民党が立てた43歳の候補者、蒋介石のひ孫の蒋万安氏に大敗した。万安氏は米国の弁護士資格を持ち、将来の総統候補と目されている。
蔡氏に対しては、中国の脅威を争点化した戦略が適切ではなかったとの批判があるのも確かだが、私は矢板氏の以下の指摘に注目したい。
「中国は間違いなく台湾を攻めようとしているのですから、台湾世論の圧倒的多数は本来なら中国大嫌いでよいはずです。しかし事実は違います。日米欧諸国では中国嫌いの人が8割前後を占めているのに対し、台湾では6割強にとどまります。元々中国から来た外省人に加えて、中国マネーやフェイクニュースの影響で、中国は悪くない、信用できないのはアメリカの方だと思っている人が35%くらいいるのです」
「台湾有事は日本有事」
選挙の争点は確かに国内問題だったかもしれない。しかし、それは表面上のことで、内実は中国による介入が影響したと見るべきだろう。台湾人が戦う相手は中国なのだ。真の争点はどの党が中国に最も厳しいか、外交安保で揺るぎないのはどの政党かという問題なのである。
中国は台湾への介入をあらゆる分野で続けており、台湾側は防戦一方だ。介入を強化し続ける中国に対抗して日米にはもっとできることがあるはずだ。米台両国はすでに緊密に連携している。一番立ち遅れているのがわが国だ。そうした中で政治が鋭い意識さえ持てばすぐにできることのひとつが、狙いを定めた発言を発信することだ。
安倍晋三元総理は「台湾有事は日本有事」と発言して日台関係の真髄を喝破した。その言葉で多くの日本人が覚醒した。その言葉を台湾人はこの上なく心強く受けとめた。米国は日本がきちんと事態を認識していると歓迎した。中国は不快感を抱き、同時に日本国の台湾擁護の固い気持ちを汲みとったはずだ。こうして中国に対する強い抑止力が働いた。
狙い定めた政治的発言を岸田首相も積極的に表明するのがよい。1円の予算もかからない。発せられた日本国首相の言葉は光のような速度で世界中に広がる。国家の意志をあまねく示せるではないか。そのようにすべき事例の筆頭が台湾のTPP(環太平洋経済連携協定)への加盟を支持することだ。中国が2021年9月16日に加盟申請し、1週間後に台湾が申請した。日本政府は、すぐにTPP加盟諸国に働きかけて台湾加盟の可否を審査する委員会を立ち上げるべきだった。今からでもよい、急ぎ立ち上げの努力をすべきだ。
委員会を設置したからといってすぐに結論が出るわけではない。また日本が委員会設置を提案してもすぐに実現するわけでもない。中国に気兼ねして他の加盟国が反対し、委員会を設置できない場合もあり得る。しかし、日本国政府が努力をしたということ自体に意味がある。台湾人は日本の台湾支援の気持ちを実感できるだろう。その先に蔡氏の外交を前向きに評価し、民進党支持の世論も高まるはずだ。
蔡氏はTPP加盟申請の前に福島産などの海産物・農産物の輸入禁止を解除した。日本側から見れば、中国でさえも福島産の食品輸入を一部解除したのに台湾が輸入禁止を続けるのは如何なものかという感情があった。福島産の食品は厳しい放射能検査に合格して初めて出荷されるため、日本一安全だ。にもかかわらず禁止を続ける台湾の姿勢は日本側にとって大いなる不満だった。
「日本精神」が大事
他方、台湾側にも福島産食品は危険だとする民意がある。その強い反対を押し切って、蔡政権はわが国の食品輸入を全面解禁した。その決断が台湾のTPP加盟を後押ししてくれるという解釈があった。
TPP加盟は無論、日本一国の意思では決められない。それでも台湾側には日本への強い期待感があった。だからこそ蔡氏は解禁に踏み切ったのだ。しかし日本政府の対応は期待外れだった。前述のようにピクリとも動かなかったのである。台湾側は失望し、それは蔡氏への批判につながった。「蔡英文の対日外交は実っていない。日本を動かすことなどできなかった」というわけだ。
台湾の民意が親中派の国民党になびかず、日米両国の側に毅然とつくことが日本の国益だ。だからこそ、民進党と蔡氏への支援で明確に政治の意志を示すのがよいのだ。わが国は米国と異なり軍事的な貢献には限りがあるが、政治的に賢く動きさえすれば、その点を大いに補完できる。
台湾の人々にも期待したいことがある。台湾人はよく、「日本精神」が大事だと語る。その言葉には多くの意味が込められているが、敢えて言えば、「立国は私なり、公にあらざるなり」(福沢諭吉)ということではないか。
国は独りで存在するものではない。国民各々が志を立て、その志を遂げることで社会の基盤は強化され、国の安定と繁栄がもたらされる。そのとき初めて国は盤石となる。国民は盤石な国に支えられて、自分の一生を全うできる、国を造るのも守るのも国民一人一人の志と生き方だという覚悟が大事である。
台湾人は日本精神を忘れるなと言って現代日本人を勇気づける。だから日本人と台湾人はいま、共に日本精神を思い起こしたい。国は独りでは存続しないことを理解し、各々の祖国を守るために共に力を尽くしたい。国の運命を方向づける選挙で中国系の候補者に票を入れるなど最悪だと認識したいものだ。