「 印露大接近で変わる世界の秩序 」
『週刊新潮』 2022年7月14日
日本ルネッサンス 第1007回
石油、天然ガスの供給を軸に国際関係に大変化が生じ、世界はパワーバランス再構築の時代に突入した。
中国がウクライナ侵略戦争の中で親ロシア路線を選んだのはすでに世界的な認識だ。しかし、私たちはユーラシア大陸のもうひとつの大国、インドにも注目しなければならない。中国は親ロシアの立ち位置に一ミリも揺るぎを見せない一方、なるべく目立たないように気遣っている。対照的にインドは誰の目にも明らかな形で親ロシア外交を深めている。
安倍晋三元首相の提唱したインド・太平洋構想は米国のアジア戦略の要ともなり、日米豪はインドを含めて中国に対峙する四か国戦略対話、QUADを進めてきた。だがインドの変化はQUADにも深刻な影を落としかねない。インドがロシアにより深く肩入れすることで、エネルギー供給をテコにロシアがアジアに影響力を広げる可能性もある。インドと中国の間には国境を巡って深刻な対立があるが、それを超えて両国の関係が深化すれば、日本は中印露の連携という、より大きな脅威と向き合うことになる。
プーチン露大統領は6月30日、「サハリン2」を事実上接収するという日本や世界の常識からは考えられない命令書に署名した。極東サハリン沖のこの天然ガス開発事業に日本は官民挙げて協力体制を敷き、ウクライナ侵略戦争勃発後も、同事業を継続すると表明していた。事実上の接収命令はこのような日本に平手打ちをくらわせたに等しい。
強引な手法を是とするロシア、同じように強引だが、実際にはロシアよりずっと狡猾な形で他国の権益や領土を奪う中国、近い将来には人口で中国を追い抜き、民主主義の力を発揮するかとも期待されたインドがひとつの勢力を築くとしたら、世界、そして日本はどうなるか。
北大西洋条約機構(NATO)が今後10年の指針となる戦略概念を発表したのは6月29日だった。岸田文雄首相は日本の首相として初めてそのNATO首脳会議に出席した。
プーチン氏にとっては紙くず
新戦略概念は、ロシアとの関係を「戦略的パートナーシップ」とした従前の定義を変えて、西側にとっての「最も重要で直接の脅威」と定義し直した。インド・太平洋地域の情勢は「欧州・大西洋に直接影響する」として、NATOはそれら諸国と対話及び協力を深めるとし、中国については、西側に「体制上の挑戦」を突きつけている国だと明記した。世界には価値観の異なる二つの勢力圏が存在し、双方が抜き差しならない対立関係に陥っているとの考えを世界に示したことになる。
インドのモディ首相は右のNATOの決意表明がなされると、2日後の7月1日にプーチン氏と電話会談を行い、経済協力を進めていく旨、発表したのだ。インドがウクライナ侵略戦争後の国際秩序構築において親露路線を強化するとの決断を示したと見てよいだろう。
サハリン2の例からも明らかなように、ロシアは勝つためには何でもする。国際条約や国際契約はプーチン氏にとっては紙くずに等しい。自国の権益しか考えない点において中国も全く同じである。まさにこうした価値観を異にする国々との対立の中では、西側がロシア産原油や天然ガスの輸入を段階的に削減しようと努力しても、或いは輸入禁止に向けて団結を固めても、ロシアに十分な制裁を科し、ウクライナ侵略戦争をやめさせるところには中々辿りつけない。
ロシアが持ちこたえているのは、中国とインドがロシア産原油の輸入を大幅に増やしているのが主要な原因だ。インドの場合、去年の輸入は日量3万3000バレルだった。ウクライナ侵略戦争勃発後の今年3月には日量60万バレル、6月にはさらに115万バレルに増えた。
ジャイシャンカル外相をはじめとするインド側の弁明はざっと以下のようなものだ。西側(米国)はイランやベネズエラに制裁を科し、原油輸入を制限せよと言う。しかしウクライナ侵略戦争で国際価格も上がった。どのようにして国内需要を満たすのか。原油価格の上昇と、それに伴うインフレを如何にして抑えるのか。隣国スリランカは燃料不足とインフレで全土にデモが広がり暴力行為が発生した。同種の混乱はインドとしては絶対に避けたい。ロシアは国際価格の3割引きの取引に応じてくれる。ならばそれを受けるのは当然ではないか、と。
このような考え方は、ロシアにとっても旨味がある。原油価格自体が1バレル=100ドル水準に上がっているため、3割引きでも十分な利益があるからだ。
馬鹿げた政策
私は当欄でこれまでニコラス・スパイクマンやブレジンスキーらの地政学の論理を紹介してきた。スパイクマンは1940年代に地球上の最大の大陸、ユーラシアの重要性について、ざっとこう論じている。
「米国の2.5倍の広さと10倍の人口(当時)を持つユーラシア大陸全体の潜在力は、将来アメリカを圧倒する可能性がある」
スパイクマンもブレジンスキーも、敵対的な同盟でユーラシア大陸が統一されるのを防ぐことがアメリカにとっての最重要課題だという。日本にも同様のことが言えるはずだ。ユーラシア大陸では近未来に中国が、ロシアを圧倒する形で主導権を握る存在になるだろう。そこにインドが加わればどうなるか。
インドは戦後ずっと旧ソ連(ロシア)と関係を深めてきた。元々非同盟を標榜して中立の立場をとってきたが、事実上向こうの陣営にコミットしてきた。その結果、インドは軍備・装備のほぼ6割をロシアに依存して今日に至る。その上ロシアへの原油依存を強めればインドはロシアから離れられなくなる。エネルギー問題が中露印の協力体制を強めるのである。このような事態の深刻さ、国際社会の力学の変化に岸田首相は気がついているか。
日本は猛暑の中、電力不足に喘いでいる。だからといってロシア産のエネルギーや中国主導のエネルギー供給体制を当てにするようなことはあってはならない。ロシアの天然ガスや中国の技術に頼らずとも、わが国は自力で十分に電力を生み出せる。100%国産の技術で支えられているのが原子力だ。野党の多くは原発は危ないという。しかし現場を取材すれば、3.11の事故を受けてわが国の原発の安全性が世界一の水準になっていることを実感するだろう。
岸田政権は経済政策「骨太の方針」で、脱炭素化実現のため風力発電を主力に10年間で150兆円も注ぎ込むという。太陽光発電同様、風力発電で日本のエネルギー需要を支えるのは不可能だ。おまけに風力の発電設備は中国が世界最大のシェアを持つ。日本の風力発電の投資は全て中国に注ぎ込まれる。こんな馬鹿げた政策は即刻見直して、日本の実力が発揮できる原子力発電の新増設を強く進めるときだ。