「 ワクチン後に必要な日本の防衛努力 」
『週刊新潮』 2021年6月17日号
日本ルネッサンス 第954回
6月4日、日本が寄贈したコロナウイルスワクチンが台湾の桃園国際空港に到着した。アストラゼネカ製、124万回分である。
「ものすごい反響で、僕は何もしていないのに、日本人だというだけの理由で、『ありがとう』のメールがどんどん入ってきます」
こう語るのは産経新聞台北支局長の矢板明夫氏である。
当初武漢ウイルスを完璧に抑えこんだ台湾だが、今年5月頃から感染が急拡大した。手持ちのワクチンは80万回分しかない。そこに素早く中国がワクチン提供を持ちかけた。だが中国の誘いは毒入り蜜だ。
中国政府は5月18日、共産党の機関メディアを通して「台湾同胞を支援したい」「島内の人為的な政治的障害を排除して台湾同胞の生命、健康、利益、福祉を保障したい」などのメッセージを発表した。台湾国民を同胞と呼び、台湾を島と言う。中国が台湾の母国、或いは盟主のような表現である。
上意下達の視線で台湾を助けたいと言う。そう言いながら、ワクチンに関しては必要最低限の情報さえ示さない。中国衛生部の基準を満たしているから大丈夫だというが、そんないい加減なワクチンに台湾人の生命と健康を預けるわけにはいかない。
周知のように中国は台湾独立絶対阻止、武力を用いてでも台湾併合をやり遂げると世界に宣言している。そんな横暴な中国にワクチン供給で依存すれば、台湾支配を狙う中国共産党の「ワクチンの罠」にはまる。
蔡英文総統が中国の誘いを頑なに退けるのは当然だ。中国ワクチンを拒否しつつ、蔡氏は全力で複数のルートを使い西側のワクチンを確保、契約上は3000万回分以上に達した。だが、ワクチンは全く届かない。中国の妨害ゆえだ。
中国に圧迫されている台湾を助けようと、日米台が秘密裡に連携してワクチン作戦が進んだ。ワクチンが実際に日本航空機に積み込まれて飛び立つまで、関係者は事実関係を認めなかった。こうして、中国には妨害の隙を一切与えず、ワクチンを無事に届けることができたのだ。それは奇しくも6月4日、血塗られた惨事が起きた天安門事件の日だった。
10年前に受けた友情
日本のこの素早い援助には、ワクチン不足を助けたという以上の大きな意味があると矢板氏が語る。
「台湾人は精神的にも孤立しかけていました。ワクチンも医療物資も不足し、中国が圧力をかける。もう台湾は持たないかも、と不安になっていたところに日本からワクチンが届いた。みんな勇気百倍、精神的に立ち直るきっかけになった。ワクチン自体も本当に感謝されていますが、台湾人の心を鼓舞したことの意義は遥かに大きいと思います」
中国の習近平国家主席は5月31日、共産党幹部の会議で講演したが、これまでとは異なる講演だった。
「国外の人々に、中国共産党が真に中国人民の幸福を図って奮闘していることを認識させるために、その理解を助けなければならない。(中国には)自信だけでなく、謙遜・謙虚もあり、信頼され、愛され、尊敬される中国のイメージ構築に努めなければならない」
人権弾圧、債務の罠、戦狼外交。中国がどれだけ忌み嫌われているか、氏は少しは自覚しているのであろう。だから愛されるイメージを創れと言うのだ。しかし、台湾人の命にかかわるワクチンを悉(ことごと)く邪魔立てして、愛される外交はないだろう。
米国も6月6日、上院の軍事委員会などに所属する民主党のダックワース議員らが訪台して、75万回分のワクチンを約束した。だがこれはCOVAX(新型コロナウイルスのワクチンを世界各国で共同購入して分配する国際的枠組み)経由で、いつ台湾に届くか、はっきりとはわからない。現物を素早く届けた日本の即決即断は本当に意味あることだったのだ。
日本ではワクチン接種が進み始めたとはいえ、まだすべての高齢者に行き渡っているわけではない。それでもほとんどの日本人が、ワクチンで台湾を助けることは当然だと考えている。10年前の3.11で大きな被害を受けた宮城県出身の小野寺五典元防衛大臣が語った。
「宮城県南三陸町も壊滅しました。町にあった唯一の病院、公立志津川病院は津波で流され、入院患者さんたちの多くが亡くなりました。そのとき台湾の人たちが助けて下さった。22億2000万円のご寄付に、国と県の補助金33億6000万円を合わせて病院を再建しました。それが南三陸病院で、いま、地域医療の拠点となっています」
10年前に受けた友情を日本人は皆、鮮明に記憶していると小野寺氏は強調する。そのことに加えて台湾は昨年も日本を助けてくれたと、自民党の古屋圭司氏は語る。
「昨年4月、日本はコロナウイルスの急拡散で窮地に立たされました。マスク、防護服、みんな足りなかったとき、蔡英文総統の判断でN95マスク200万枚、防護服5万枚が送られてきました。これを我々は直ちに、全国の感染症指定病院や特別支援学校に配布しました」
韓国の国防費よりも…
ワクチンの寄贈はこうした諸々の好意への恩返しだ。また、台湾を大切にすることは日本の為でもある。中国は言葉では「愛され、尊敬され」たいと言いながら、共産党の指示に従わない国や民族、個々人を徹底的に弾圧する。その中国を暴走させないために私たちは力を養わなければならない。一国だけの力では間に合わない。出来るだけ多くの国々との連携が必要なのは言うまでもない。強い国の前では物も言えず、苛められるのを恐れて態度を曖昧にしがちな東南アジアの国々に対して、アジア諸国が国難に直面するとき必ず力を貸すということを、日本も米国も実際の行動で示していかなければならない。その意味でも台湾へのワクチン供与は大事なことだった。
さらにこれから問われるのは、台湾海峡の安全と平和をどう守っていくかである。菅義偉首相は4月の日米首脳会談で、台湾海峡の平和と安定にコミットすることを明確にした。その約束を如何にして実行に移すかを示すときだ。小野寺氏が語った。
「何よりも防衛力の強化が必要ですが、防衛省は非常に遠慮がちです。長年国防の意義が認められてこなかったのですから、仕方がありません。その分、政治家が国防力強化の強力な案を出さなければなりません」
まずGDPに占める日本の防衛費を、現在の0.9%から各国並みの2%に引き上げる必要がある。しかし、いきなりの倍増は現実的に無理である。そのため小野寺氏ら国防の専門家は、何年かかけて当面1.5%を目指すという。韓国の国防費よりも少なくなりつつある日本の防衛費を迅速に、かつ大幅に増やし力をつけることで、台湾海峡を含めたアジア全体の安定と安全を守るのである。