「日中戦争、日本より中国に戦意」
『週刊新潮』’09年1月15日号
日本ルネッサンス 第345回
日本の政治的不安定を嘲笑するかのように、中国政府は、1月4日東シナ海のガス田「樫」(中国名・天外天)の掘削は「中国固有の主権の行使」と宣言した。また、昨年末には、東シナ海においては「実効支配」こそ必要で、「今後、同海域の管轄を強化する」と発表した。
いま、どんな強硬策をとっても、政治的混乱の続く日本は手も足も出せないと、中国政府は踏んでいるのだ。軍事的にも、日本は中国に対して手も足も出なくなりつつあることを、中国は十分認識しているだろう。日本に対する軍事的優位は、彼らが現在進めている航空母艦の建造によってさらに強められる。
1月5日の『産経』は中国軍が今年から初の国産空母の建造を本格化させると伝えた。旧ソ連から購入し、改修した空母「ワリャーグ」と合わせて、3隻体制で空母を基盤とする軍事大国としての新たな一歩を踏み出すとみられる。
さらに深刻なのは、これら政治的、軍事的要因に加えて、日本が精神的要因によって中国に手も足も出せないでいることだ。日本は中国を侵略した、戦争責任は中国にはなく、すべて日本にあるとの考えゆえに、たとえ政治的、軍事的に力が整っていたとしても、中国に精神的に立ち向かうことが出来ないのだ。
だが、はたして中国は100%の被害者だったのか。現在の中国は、何が何でも領土領海を拡張し、資源を獲得しようと躍起である。それが日本固有の領土領海であり、日本に属する資源であっても、お構いなしだ。彼らのこの侵略性はいまだけの性格なのか。かつて゛一方的被害者″だった中国は、戦後どこかで豹変していまの侵略性を身につけたというのか。
中国とナチス・ドイツ
そうではない。中国はかつても戦争を熱望していた。日中戦争は日本よりも、むしろ中国が望んでいた。中国は日本よりも戦争をしたがっていた。こう強調するのは林思雲氏だ。氏は北村稔氏との共著『日中戦争』(PHP研究所)で書いている。
「当時の(つまり、1920年代から30年代の)日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」と。
氏はさらに続ける。
「日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた5千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)」
中国の主戦派は以下の理由で対日勝利を確信していたと林氏は指摘する。①中国軍は人数において優る(中国陸軍は191個師団、加えて1,000万人の徴兵が可能だった。日本は17個師団、兵力は25万、徴兵は最大で200万人)。②日本は資源が貧弱で、中国の「寄生虫」にすぎないから、経済断交によって容易に日本を締め上げることが出来る。③列強諸国は中国側に立っている。
にも拘らず、たとえば06年8月13日放送のNHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したのか」などに見られる日本側の歴史解釈は、日本の主戦派にのみ責任を帰結させ、中国側にはなんの関係もなかったとする。そこには、「傲慢さが含まれている」と林氏は断ずるのだ。
日中戦争は、決して日本の主戦派だけが遮二無二進めた侵略戦争ではない、むしろ中国が望んだ戦争だったという刮目すべき氏の指摘は、当時の中国社会、国民党、共産党、コミンテルンの動きなど幾多の具体的な事実によって支えられている。
『日中戦争』には、もうひとつ、中国とナチス・ドイツの相互扶助という驚くべき事実が描かれている。
同書第3章の北村氏の記述をざっと纏めてみると----。日中戦争勃発以前からドイツは国民党に多くの軍事顧問を入れ、駐華ドイツ大使のトラウトマンは活発に日中仲介に動いた。これらの事実は周知だが、この和平斡旋の背景にナチス・ドイツと中国の軍備刷新をめぐる驚くべき緊密な関係が存在したというのだ。
1920年代後半から蒋介石はドイツから武器装備を調達したが、1933年、ヒトラーが政権を握ると、中独武器貿易は急増した。前述した上海の日中攻防に、ドイツは74名の軍事顧問を派遣し、中国軍をドイツ製武器で武装させ、ドイツ式の防衛陣地を築かせて、日本と戦った。ドイツの軍事援助の見返りに、中国は自国のタングステンなど希少金属を提供したというのだ。
日中両国の逸史
タングステンの硬度は非常に高く、武器製造に欠かせない。ドイツにタングステンは産しないが、中国は現在でも世界産出量の9割を誇る。北村氏が強調する。
「国民党政府が提供したタングステンがドイツの軍需産業を支えたのであり、これにより生み出された軍事力がヨーロッパでのドイツの勢力拡大を可能にした」
ヒトラーは1936年に中国に1億マルクの借款を与えた。中国は同借款を活用し、5年間、毎年2,000万マルク相当の武器を購入。一方で、10年間にわたって毎年1,000万マルク相当分の鉱物資源をナチス・ドイツに提供すると合意した。
中国とナチス・ドイツのこの緊密な協力関係は、中国側の歴史資料では殆ど扱われていない。理由を北村氏は、「『日本のファシズム』を抗日戦争により打倒したと主張する国民党には、『日本のファシズム』の盟友で『歴史の罪人』となったナチス・ドイツとの親密な関係は、第二次大戦後には『触れてはいけない過去』になった」からだと、解説する。
一方、この事実が日本で殆ど取り上げられてこなかったのは、日本の歴史研究では「『日本の侵略戦争』を批判することが大前提」となっており、その「大前提に立つ限り、『日本の侵略戦争』と戦った中国の国民政府がナチス・ドイツの軍需産業の発展に大きく貢献し、この軍需産業の発展がナチス・ドイツのヨーロッパ侵略の原動力となった事実は、『説明できない歴史の皮肉』である」からだと喝破する。
日中戦争はひたすら日本の侵略戦争だったという日本に蔓延する見方が、どれほど偏ったものかを痛感させられる指摘である。年毎に明らかにされる一連の事実を正視し、全体像を踏まえた歴史認識を身につけることが、日本にとっての急務なのだ。
中国は、かつてそうであったように、日本を圧倒する力を保有すると、彼らが思い込み始めたいま、何が何でも攻め、戦うという姿勢を崩さない。日本人の私たちは、いい加減に目を醒まし、中国の本質を肝に銘じるときだ。
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トラックバック by TEL QUEL JAPON — 2009年05月10日 17:12