「手本となる先人に思いを馳せその学びを新しい年に生かしたい」
週刊ダイヤモンド』 2008年12月27日・2009年1月3日新年合併特大号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 770
どの断面で見ても、2008年は激動の一年だった。だが、危機は好機だ。すなわち、気概と心構えのある人にとっては、チャンスの年である。
にもかかわらず、日本のリーダーは好機を活用できていない。衆参両院のねじれ状態や政治の不安定ゆえだという解釈も成り立つ。しかし、それは違う、と私は考える。
政治家や中央省庁の官僚が危機を好機に転ずる発想を持てず、日本の力を発揮せしめていないのは、なによりも、自信が欠けているからだ。日本のリーダーたるべき人びとに己への自信、日本への自信がなければ、問題への対処は逃げの姿勢が基調となり、国際社会の激動にも受け身で対応するしかない。
日本が直面するあらゆる問題は、ここのところを正さなければ解決されないと思う。正すにはよいお手本を見ればよい。そこで政治家にもお役人にも、さらに多くの読者の皆さんにも、このお正月休みに幾冊かの本を薦めたい。
ご紹介したい本は、図らずも、すべて、明治の人の人生をたどった本だ。意識して明治人を選んだわけではないが、私自身、折に触れて繙く書物のなかから、高齢の方にとっても若い人にとっても読みやすく、読めば日本人の誇りと勇気を取り戻せるに違いない本を、と考えて選んでみたら、すべて明治の人の記録だったのだ。
まず、『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(中公新書)である。柴五郎は北清事変(義和団の乱、1900年)で活躍し、国際社会で「日本に柴五郎あり」と評価された人物だ。
彼は会津藩に生まれ、戊辰戦争を通じて戦争の本質を直視し、そこから歴史の見方、国家や指導者のあり方などを見事に洞察した。それは自分自身がどう生きるかという問いに直結し、後世の私たちに日本人としての見事な生き方を見せてくれている。
柴家の人びとは、会津落城後、本州北端の青森県下北半島に移され、餓死地獄の生活を続けたが、このときに青森県初代大参事(知事)の野田豁通(ひろみち)に認められ、この縁で五郎と野田の甥の石光真清(まきよ)との交遊が生まれた。
真清こそ、五郎の生涯を前述の一冊にまとめた人物だ。そして、真清自身の生活を描いた『石光真清の手記』(四部作 中公文庫)もぜひ読んでほしい。
真清の四部作については、小欄でも少しだけ触れたことがある。彼は、陸軍で出世が約束されていたにもかかわらず、そのコースから自ら降りて、明治、大正期を、シベリアと満州での諜報活動に身を投じた。
彼を駆り立てたのは、日清戦争後、日本に対して行なわれたロシア、フランス、ドイツによる三国干渉だった。ロシアの脅威に対して準備不足の日本の実情を懸念し、将来、必ずロシアと対峙しなければならないときが来る、その来るべき国家の危機に備えるのだという気概が彼を支えた。
大国、ロシアの前で、開国から二十数年しかたっていない小国日本の不安と、その不安や脅威に果敢に立ち向かっていく無私の日本人の生き方が、この四部作から見えてくる。
最後にもう一冊、杉本鉞子の『武士の娘』(ちくま文庫)も薦めたい。戦後の日本でいちばん大きく深刻に変わったのが女性ではないかと、私は感じている。家庭のあり方が妻や母たる女性の価値観や姿勢で決定づけられるように、戦後の日本社会の変化は、男性よりも、女性によってなおいっそう促されたと思う。だからこそ、かつて世界の人びとを感嘆させた日本人と日本社会のすばらしさの原点が、控えめながらも芯の強い、公の意識を持った女性たちであった面を思い起こし、その実例を知ってほしいのだ。
どれも小ぶりの新書や文庫本だ。お正月、思わず尊敬したくなる先人に思いを馳せながら、その学びを新しい年に生かしていければどれほどすばらしいことかと思う。
敗戦国民の焼き印――「浮雲」―成瀬巳喜男監督作品から
敗戦国民の焼き印――「浮雲」―成瀬巳喜男監督作品からもう1月も半ばを過ぎて、お正月気分ももうどこかへ消えかかっているが、お正月休みの時、テレビ番組も低俗でマンネリ…
トラックバック by 作雨作晴 — 2009年01月17日 14:52
敗戦国民の焼き印――「浮雲」―成瀬巳喜男監督作品から
敗戦国民の焼き印――「浮雲」―成瀬巳喜男監督作品から
もう1月も半ばを過ぎて、お正月気分ももうどこかへ消えかかっているが、お正月休みの時、テレビ番組も低俗でマンネリ…
トラックバック by 夕暮れのフクロウ — 2009年01月17日 14:53