「 優しいだけでは国民の命は守れない 」
『週刊新潮』 2020年4月9日号
日本ルネッサンス 第896回
サッカー選手の香川真司氏が呼びかけた。
「ご存じのようにスペインでは本当にたくさんの人が苦しんでいます。日本もおそらく、これから感染が拡大されていくでしょう。それを止めるのはみなさん次第です。ワクチンもない、止める方法もない、一人一人の行動が、コロナに打ち勝つ唯一の方法です。今は自宅にいて待機することです」
“ステイホーム”のハッシュタグでメッセージを発信した香川選手は思慮深く、格好よかった。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手も京都産業大学の学生たちも、あんな風に格好よい若者であってほしい。
今は、自分の思い中心でいくより、慎む方がよい。自分の欲望を追求するより他者への思いやりを優先する方が大事だ。その方がすてきで品格もある。ジェントルマンであり、分別ある大人である。
東京都知事の小池百合子氏が3月30日、「若者はカラオケ、ライブハウス、中高年はバー、酒場、ナイトクラブなど、接客を伴う店に行くことは当面控えてほしい」と、訴えた。
彼女は25日夜、都庁で緊急会見し、不要不急の外出自粛を強く要請した。すると不要不急とは具体的にどういう場合か、などと疑問視したつまらない新聞もあった。
具体的に教えてもらわなければそんなことも分からないのか。人の暮らし方、おつき合いの仕方は各人各様だ。普段自由に生きている幾千万の国民、都民に対して、不要不急を具体的に示せとは、これはまた、大人の問いとは思えない。本来、一人一人が自分で考えて判断することだろう。
そんなところに30日の小池氏のメッセージである。ここまで具体的に語ったのは、若者たちの間でクラスターが発生してしまっているからだろう。京都産業大学の学生たちのイギリス、フランス、スペインなど5か国への卒業旅行、帰国後のゼミやサークルの懇親会やカラオケでの熱唱を知ると、21歳か22歳の君たち、十分大人でしょ、香川選手に学べ、と再度強調したくなる。
危機感に欠ける
ウイルスとの戦いは国民全員の協力なくしては制することができない。若い世代は感染しても症状が軽くて済むと考えているかもしれないが、自らの感染でウイルスを拡散し、周りの人々に感染させ、その人々の命を奪うことにもなる。そのことをどうか大いに自覚してほしい。
他方、政府は緊急事態宣言について、「まだその状況にはない」として慎重な構えを崩さない。無論事態が緊急事態宣言を必要とするところまで悪化しないのが最善である。しかし段々分かってきたのはこのウイルスとの戦いは本当に容易ではないということだ。何といっても感染後1週間から2週間は症状が出ないのである。症状が出た後の体調悪化は、あっという間のことだ。志村けんさんは倦怠感を覚えてから、12日後に亡くなっている。
症状悪化の速度も凄まじいが、ウイルス拡散の勢いも凄まじい。だが、米欧諸国が悲惨な状況に直面しているのとは対照的に、日本はまだ危機感に欠けるのではないか。緊急事態宣言で国民に自覚を促し、緊張感を持ってもらうことが大事ではないか。日本人は、一旦自覚しさえすればきちんと対処できる人々だ。
そもそも日本国の建てつけは、国民の自覚、徳、人品卑しからざることに依拠してようやく成立するものである。日本の憲法も法律も全て性善説で成り立っている。国家や政府が強い力で強制したり罰したりする形はとらず、あくまでも国民の善意、私利よりも他利の思想によって国も社会も運営されていく形である。
「緊急事態法」も例外ではない。決して強権発動の法律ではない。だが、性善説に基づいた国の形で、ウイルスに勝てるのか、といま私たちは問わなければならない。
3月13日に成立した改正特別措置法の32条1項に基づいて首相は緊急事態を宣言することができる。その条件は、➀新型ウイルスの国内での発生、➁全国的かつ急速な蔓延、である。
経済再生担当相の西村康稔氏は、➀の条件は満たされているが、➁の「全国的」な蔓延とまでは言えない、と語った(3月29日「日曜報道THE PRIME」)。
法治国であるからには法の厳格運用は大事である。しかし、ウイルスの全国的蔓延が確認されてからの緊急事態宣言では遅すぎる。にも拘わらず、政府のメンタリティは「権力による強権発動」を退ける優しい日本国なのである。
戦える国
そこで改めて、緊急事態を宣言すると実際に何が起きるのか、特措法に沿って検証してみる。首相が宣言すると、知事は、ざっと以下の権限を行使できるようになる。
・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を「要請」できる。
・学校、社会福祉施設、興行場等に対し、使用制限や停止等の措置を「要請」できる。
・しかし、応じない時は措置を講ずるよう「指示」できる。
首相からバトンタッチされた後、知事にできることはおよそ要請と指示が全てで、命令はできない。
朝日新聞などが度々指摘してきた「私権の制限」の危険性は特措法の次の部分に限られる。
・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要のあるときは、「所有者の同意」を得て、土地等を使用できる(49条1項)
・同意が得られないときは、同意なしに利用できる(同条2項)
万が一、日本で感染者が急増して、イタリアやスペイン、ニューヨーク州のような医療崩壊の危険性が見えてきたとき、病床をふやし、出来る限りの命を救わなければならない。新たな病院建設のために空いている土地の一時的提供を知事が求めるのはやむを得ないことであり、それに応えるのは国民の義務であろう。しかも、これは本当に緊急事態に対するための措置で、私権制限だといって危険視するのはおかしい。
日本大学名誉教授の百地章氏が指摘した。
「中国と違って人権を手厚く保障している欧米各国でさえ、国民の外出や移動の禁止、商店の閉鎖などを次々と行っています。フランスでは買い物などを除き全土で国民の外出を禁止しました。米国ではトランプ大統領が国家非常事態を宣言し、カリフォルニア州は実質的な外出禁止令を出しました。理由なく外出した人に罰金まで科す国もあります」
性善説に基づく、限りなく優しい法的枠組みだけで、ウイルスの猛威から国民の命を守れるのか。必要な時には強い力で指導し、戦える国にならねばならない。