「 戦中の教科書『初等科國史』に感動した 」
『週刊新潮』 2019年10月31日号
日本ルネッサンス 第874回
『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』(ハート出版)の著者、三浦小太郎氏から、同出版社の『復刻版 初等科國史』をいただいた。
これは、上巻が国民学校5年生用、下巻が6年生用として、週2時間の国史の授業で使用されていたものを復刻して一冊にまとめたものだ。
巻末にある三浦氏の解説によると、国民学校は昭和16年3月、それまでの尋常小学校が改組されて発足した。尋常小学校の教科書、『小學國史』の内容、文章、挿絵など全てを改めて編纂したものが、この度復刻された本書である。日本の子供たちは昭和18年4月からこの教科書を使っていたはずだ。大東亜戦争の最中に作られた教科書は、しかし、日本の敗戦、米軍による占領で教育の現場から追放された。
それが令和元年の今、復刻されたのは何と時宜を得たことか。国際情勢が大変化する中で、我が国はおよそすべての面で日本らしい力を発揮しなければ生き残れない。大事なのは一人ひとりの日本人の心構えだ。
「昔の日本人はしっかりしていた」と多くの人が言う。だとすれば、しっかりした日本人を育てたのは、まず家庭である。父母がお手本になっていたはずだ。家庭で基礎を身につけたうえで、子供たちは尋常小学校や国民学校に上がった。そうした幼な児が学んだ教科書が『初等科國史』である。
開いた最初のページから、不思議な懐かしさが胸を満たす。丁寧な言葉遣い、優しさがにじみ出ている表現、日本の歴史や古い物語にまつわる描写の美しさ、祖国への感謝と素直な憧憬が、日本の歴史を織りなす事柄毎に窺えるような記述だ。
それにしてもこの懐かしいという感情を抱かせる理由は何だろう。やがて私は気がついた。間違いなく、母その人がこの教科書のそこここにいるのである。私の母は昨年107歳で亡くなった。病を得て12年半、私は母と共に過ごす貴重な時間を神様からいただいた。病を得る前も、後も、母は穏やかで誠実な女性であり、何よりも立派な日本人だった。そして間違いなく、あの時代の平均的な日本人の一人だったと思う。国民の大多数がいまよりずっと素朴で、謙虚で、慎み深く、愛情深く、自らの役割を認識して生きていた。
歪んだ歴史観
母は尋常小学校の世代だが、国民学校とも共通項が多いはずだ。子供たちが当時学んでいた教科書を、いま、読んでみることで私たちは、先輩世代にあって現代の世代に欠けており、それ故にいまこそ必要とされている価値観に出会えるのではないか。
現在の日本の歴史教科書の多くは、読んで少しも楽しくない。それどころか我慢して読むほどに、日本が嫌いになるような記述で満ちている。対外的には中国や朝鮮半島で悪事を働き、国内において民を虐げた。民は圧政の下で苦しみ続けたという、暗く後ろ向きの内容が多い。
しかし、日本の現実はそうした暗黒の歴史とは対照的な美しさ、大らかさ、豊かさに満ちているではないか。国民を圧迫し、搾取ばかりする国でなぜ、世界に誇る平安文学や紀行文が生まれたのか。天皇から庶民まで和歌を詠んで世界に類例をみない「万葉集」はなぜわが国で生まれたのか。暗黒の歴史物語しか語らない人々には説明できないだろう。
『初等科國史』は右のような歪んだ歴史観の対極にある。日本国の基を定めた天照大神の下、日本はどんな国だったかが、こう書かれている。
「(天照)大神は、高天原にいらっしゃいました。稲・麦等五穀を植え、蚕を飼い、糸をつむぎ、布を織ることなどをお教えになりました。春は機を織るおさの音ものどかに、秋は瑞穂の波が黄金のようにゆらいで、楽しいおだやかな日が続きました」
機を織るのどかなおさの音、黄金のように波打つ見渡す限りの稲穂の輝き、その美しい天上世界から大神は孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を高千穂の峯にお降しになった。やがて大和の橿原宮で神武天皇が初代天皇となった。『初等科國史』は神武以来の天皇が民のために国の基盤を整え、民をいつくしんできたことを綴っている。
「御代御代の天皇は、民草を子のようにおいつくしみになりました。国民もまた、親のようにおしたい申しました。こうした、なごやかさが続いている間に、日本の力は、若竹のようにずんずんのび」ていったのである。
第16代仁徳天皇が高殿から村里の様子を御覧になり、民家から炊煙が立ちのぼらないのを見て、民の生活の苦しさを察し、3年間税を免除した話は余りにも有名だ。天皇は民と自身を一体としてとらえていた。
天皇と国民の関係
そのため民が貧しいときには自身も当然のこととして貧窮に耐えた。宮居の垣が崩れても直さず、こわれた屋根から雨風が吹き込んでも構わなかった。3年後、再び高殿から村里を眺めると幾筋もの煙が立っていた。この場面を『初等科國史』はこう描いた。
「今度は、かまどの煙が、朝もや夕もやのように、一面にたちこめています。天皇は、たいそうお喜びになって『朕すでに富めり』と仰せになりました」
「朝もや夕もやのように」とは、なんとしっとりとした情感表現であろうか。5年生や6年生に繊細な日本語表現で歴史を教えることは、何よりの情操教育となるだろう。
また、民のかまどの煙を見て「朕すでに富めり」と語ったのは民の豊かさを自身の豊かさとして感じとっているからこそである。天皇は常に民と共にいて下さることを示す言葉だ。さらにそのような天皇と国民の関係は現在に続いている。この教科書は、三浦氏の表現を借りれば「古人と今人をつなぐ」役割を果たしている。
『初等科國史』は、白鳥庫吉博士が昭和天皇の教科書として書いた『國史』同様、日本の歴史を歴代天皇を軸に書いている。この両書は、これから世界に羽ばたこうとする野心的な人々にこそ勧めたい。なぜなら、もはや止めようのない経済のグローバル化の中で、日本らしさや日本の価値観は否応なく殺(そ)ぎ落とされていくからだ。しかし、国々のひしめき合いの中で日本人としての特性を失えば、敗北の道しかない。日本的感性や価値観を大事にし、それを強さとすることによってのみ、私たちは敗北を回避できる。勝てないかもしれないが、決して敗れはしない。そしてやりようによっては勝てるかもしれないのである。
三浦氏は国史のより深い理解のために、歴史学者・平泉澄(きよし)の考えをざっと以下のように解説で引用している――日本の改革は、大化の改新、建武の中興、明治維新、どれをとっても原動力は歴史の中から汲み上げた。一連の改革の根本精神は日本本来の姿に戻そうというものだ。
混乱の中だからこそ、日本の立ち位置を強固にしたい。それはまさに、歴史を正しく知ることから始まる。