「 米朝決裂、追い詰められた金正恩 」
『週刊新潮』 2019年3月14日号
日本ルネッサンス 第843回
2月28日、ベトナムの首都ハノイで米朝首脳会談が決裂した。北朝鮮の大いなる誤算による決裂を、わが国の拉致問題解決の糸口にするには何をすべきか。首脳会談初日から2日目朝まで、うまくいっていた会談が突然決裂したのは何故か。
3月1日夜、私は「言論テレビ」特別番組で、前防衛大臣で自民党安全保障調査会会長の小野寺五典氏、朝鮮問題で第一線をひた走る「国家基本問題研究所」研究員の西岡力氏、気鋭の作家である門田隆将氏、毎号完売の実績を続ける「月刊Hanada」編集長の花田紀凱氏と共に、大いに語った。決裂の主因を小野寺氏が喝破した。
「金正恩氏がトランプ氏を甘く見ていたのです。両氏はハノイ到着後の27日に短いテタテ(一対一の会談)をし、その後夕食会に臨んでいます。翌朝、再びテタテをした。その時点まで金氏は、トランプ氏を経済制裁解除に導けると読んでいたと思われます。ところがその後に人数をふやして会議に入った。そこから雰囲気が変わったのです」
全体会議の写真には、米国側にトランプ大統領、ポンペオ国務長官らと共に、国家安全保障問題担当大統領補佐官のジョン・ボルトン氏の姿がある。小野寺氏が続けた。
「それまで参加していなかったボルトン氏が交渉の席に入ったことが、トランプ氏の『急いでやるより正しくやる方がずっといい』というコメントにつながったのだと思います」
ボルトン氏はブッシュ政権で国務次官として国家安全保障及び軍備管理を担当、リビアの大量破壊兵器の放棄を実行した。国連大使を務め、拉致問題にも理解が深い。氏は核、ウラン濃縮、ミサイル開発などの専門家で、それだけに北朝鮮に騙されはしない。また、原則を重視し、希望的観測に基づく安易な妥協を嫌う、米国保守派の中核的存在と言ってよい。
ボルトン氏の出席が米国側の原則堅持の姿勢を強めたとして、首脳会談決裂の具体的理由は何か。トランプ氏は28日午後2時(現地時間)からの記者会見で、北朝鮮は寧辺の核施設破壊の見返りに、経済制裁の全面解除を求めた、それは受け入れられない条件だったと述べている。
異例の会見
同会見から約10時間後、未明の0時43分に、北朝鮮の李容浩外相と崔善姫外務次官が茫然自失の体で異例の会見に臨んだ。
「我々が要求したのは全面的制裁解除ではなく、一部の解除だ。国連制裁決議11件の内、2016年から17年に決定された5件で、民需経済と人民生活に支障をきたすものだけだ」と、李氏は説明した。
同じ会談にいた片方の国の大統領と、もう一方の国の外相が異なる主張をする。正しいのはどちらかと迷うのは当然だが、ある意味、両方共、正しいのだ。西岡氏が説明した。
「国連制裁決議は李氏の言うように11項目にわたります。最初の頃の制裁は、北朝鮮への贅沢品の輸出禁止などで金王朝にとって痛くも痒くもない。鮪でも高級車でも金一家は手に入れていました。いま彼らを追い詰めているのは17年に決定された制裁です。これで輸出の9割までが止められました。だから、これらを解除せよというのは実質的に全て解除せよということなのです」
17年に採択された制裁の骨子は➀石炭・海産物の全面輸出禁止、➁繊維製品の輸出禁止、➂加盟国による北朝鮮労働者受け入れの禁止である。北朝鮮の主要輸出品目が全て禁輸となった。制裁違反の国や企業は、米国の第二次制裁の対象として米銀行との取引停止などの処分を受けかねない。
中露も賛成せざるを得なかったこれらの制裁の結果、北朝鮮の輸出総額は29億ドル(3190億円)から4億ドル(440億円)に減少した。それがどれ程の痛手か、制裁は効いていないとして強気で通してきた北朝鮮が遂に2月21日、国連に人道支援を求めたことからも明らかだ。
明らかに金氏は、寧辺の核兵器製造施設の恒久的破壊でトランプ氏が満足すると考えていた。だが、米国を甘く見ていた金氏を震えあがらせるようなことをトランプ氏が語っている。
「我々は北朝鮮を1インチ単位でくまなく知っている。必要なことはやってもらわなければならない」「まだ知られていないことで我々が掴んでいることがある」
記者が、2か所目のウラン濃縮施設以外にもあるということかと尋ねると、「その通りだ」、「我々は多数のことを取り上げた。彼らは我々がそんなことまで知っているのかと驚いたと思う」と答えた。
「木を森の中に隠した」
「言論テレビ」で西岡氏が明らかにした情報も、トランプ氏の自信を支える米国の情報力の一端を示している。
「米国を含む西側の情報機関は濃縮ウラニウムの設備として、3か所を疑っていました。原子炉はなかなか地下ではできませんが、濃縮ウラニウムの製造には電気があればよいので、衛星写真で見つかりにくい地下に作るはずだと考えたのです。そこで西側情報機関は疑わしい3か所の砂や土を取らせて分析した。しかし、何も兆候はない。周辺の住民にそれらしい怪しいことを言わせていたのですが、全てダミーだったのです。
ところが、平壌に近い地上の製鉄所の建物群の中に濃縮施設があることを米国はつきとめました。降仙の千里馬製鉄所内です」
衛星写真に写る製鉄所の敷地に何気ない建物がひとつ増えた。北朝鮮は「木を森の中に隠した」のだ。それでも米国はこの中で何がなされているかを正確につきとめた。
「ヒューミント(人的諜報)を持っているのです。地下工場だと疑った3か所の土や砂を運び出させて分析し、ダミーだと判断できたのも、ヒューミントゆえです」と西岡氏。
まんまと欺きおおせたと考えていたであろう金氏の耳に届くのを意識して、トランプ氏は、先述のように、まだ公にされていない施設を米国は掴んでいると語ったのだ。金氏にとってどれ程の恐怖だったか。
「時間は間違いなく北朝鮮に不利に働きます。中国の支援を受けることも容易でない。習近平氏の中国は、貿易や先端技術問題で米国から尋常ならざる圧力を受けており、米国に非常に気を遣わなければならない局面です。北朝鮮は、あまり擦り寄ってこられても困る厄介な存在になっていると思います」と小野寺氏。
金氏は習氏に会わずに帰国した。そうした状況下で金氏が米国との対決に向かえば命取りになる。
金氏の選択肢は限られている。米国と平和裡に交渉を行い非核化を進めること、拉致被害者の即時一括帰国を実現して日本の経済援助を受けることだ。日本は米国と共に、結果が出なければ制裁解除なし、という堅い路線を続けることが大事だ。