「 支離滅裂に映る細川元首相のインタビュー 闇雲な政権批判はメディアの真価にあらず 」
『週刊ダイヤモンド』 2018年9月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1247
雑誌「選択」があらぬ方向に迷走中だ。巻頭インタビューは控え目に言って無意味である。明らかな誤報や歪曲報道も目立つ。
選択の誇りは日本の大戦略を示し、論ずることで言論界に重きをなすことだったのではないか。闇雲な政権批判が物言うメディアの真価だと考えているとしたら、無責任な野党並みだ。
9月号の細川護煕元首相の巻頭インタビューはどう読んでも支離滅裂だった。氏は安倍晋三首相は「無私の心がない」「指導者として最も重要な歴史観を明確に語っていない」などとしたうえで、「地球温暖化防止の『パリ協定』に本気で取り組んでいるとは言い難い」とも批判した。
氏は自身の言動の意味を、全くわかっていない。小泉純一郎元首相と共に氏自身が推進する原発ゼロ政策や再生可能エネルギーをベース電源にするという主張自体が、日本をパリ協定から遠ざけていることに思いが至らない。
細川氏の「原発再稼働反対と自然エネルギーへの転換」宣言は、実は猛暑に見舞われた今夏、日本各地で事実上、実現されていた。原発再稼働が進まない中で、私たちは太陽光発電と火力発電でなんとか乗り切ったのだ。
だが、大きな代償も払っている。太陽光発電の出力は午後4時には半減し、日没時にはゼロになる。急激な出力低下を他電源で瞬時に補わなければ大停電を引き起こす。原発が使えないいま、火力発電の登場となる。必然的にCO2が大量に排出される。かくしてわが国はいま、1キロワット時の電気を生み出すのに540グラムのCO2を発生させている。スウェーデンは11グラム、フランスは46グラムだ。わが国は先進国の中の劣等生なのだ。
それでも火力電源で太陽光電源を補えたのは奇跡的だった。太陽光の出力低下を瞬時に補うには、戦闘機の緊急発進のような緊張のオペレーションが必要で、その神経をすりへらす操作を、たとえば九州電力では優秀な現場職員が担った。結果、現場はヘトヘトで、九電は遂に太陽光電力の買い取り制限を発表した。
将来に向けての再生可能エネルギーの研究開発は無論大事である。そのうえで強調したいのは、いま日本がCO2排出量を大幅に増やしてパリ協定に逆行している現象は、細川氏らの主張がもたらす結果でもあるのだ。
細川氏はまた、安倍首相が拉致問題解決を「自分の時代の成果」にしたがっていると論難したが、自己反省に欠ける同発言に、「選択」は全く斬り込めていない。20年以上拉致問題を取材した立場から、細川氏を含めて歴代首相の中で安倍首相ほど拉致解決に向けて力を尽くし続けている政治家はいないと断言できる。細川内閣の中枢を占めていた社会党系の閣僚や衆参議長は拉致問題に背を向け、解決に向けての協力など一切しなかったではないか。1988年、梶山答弁で北朝鮮が日本国民を拉致していると国会で明らかにされたにも拘わらず、細川氏も関心を示したことなどなかったではないか。
自身の責任は棚に上げて安倍首相を非難する細川氏に、その矛盾を質しさえしない「選択」の姿勢は一体、何なのだ。同じ9月号の99ページには横田滋氏を病院に見舞った首相への批判記事がある。滋氏の容態悪化で、横田家は首相の見舞いを「断りたかった」が「仕方なく受け入れた」と書いている。取材に妻の早紀江さんが語った。
「ご多忙の中、総理は主人の手を握って、政府も頑張っていますから、待っていて下さいと励まして下さった。主人は笑顔を見せました。総理のお見舞いを仕方なく受け入れたとか嫌がったなど、絶対にありません。私も拓也も哲也も本当に総理には感謝していると、雑誌の方にはっきりとお伝え下さい」
ニュースの判断基準を単なる反権力、反安倍の地平に置いては漂流する。「選択」の存在価値の全否定ではないか。