「 日本は「地球温暖化」防止の抵抗勢力か 」
『週刊新潮』'08年2 月14号
【特集】日本ルネッサンス・拡大版 第300回
いま、地球人口66億のうち約半分の32億人が都市に住む。都市人口は、食糧をはじめ生活必需品を基本的に、他者に依存する。増え続ける都市人口は周辺地域への負担を高め、世界資源の乱獲をもたらす。そして周辺地域の自然はさらに荒廃する。
地域に住めなくなった人々は、生活の糧を求めて都市に流入し、都市人口を押し上げる。都市は、夢をもって集まる人々というより、地域で暮らせなくなった人々によって、さらに膨張していくのだ。
人口増と、エネルギー消費の膨張によって、地球温暖化が目に見えて進行中だ。大気中の二酸化炭素(CO2)濃度は産業革命前の280ppmに較べ、35%も高い380ppmに上昇した。そうしたなかで、私たちはかつて経験したことのない事態に直面し続けている。
京都造形芸術大学教授の竹村真一氏が指摘した。
「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書で、北極の氷が今世紀末にはすべて解けてしまうと言われたのは、わずか2年前です。ところが1年前には今世紀半ばにはなくなってしまうと、前倒しされました。そしていま、北極の氷の消滅はいつ起きてもおかしくないと言われています」
さらに深刻なのはグリーンランドや南極での氷床流動だ。グリーンランドは平均高度2,000メートル厚い氷に覆われている。温暖化で解け出した水が浸透して、クレバスを深く抉る。気温の上昇で、水はより深く、クレバスを抉り、大地に達する。大地と氷の間に水が入り、氷層が大地から離れて、海中に滑り落ちる。それが氷床流動だ。
「IPCCの報告も、氷床流動を踏まえているわけではありません。地球環境は私たちの予想よりはるかに速いスピードで変化しているのです。地球環境の暴走を防ぐためにも、いま出来る限りの手を打たなければならないのです」と竹村氏は警告する。
科学者によっては、地球環境の危機回避にはあと10年のうちに行動を起こさねばならないという。もっと厳しく、あと5年との警告もある。時間軸の予測で異なるものの、これらの警告に共通するのは、地球温暖化の原因とみられるCO2の排出を大幅に減らさなければならないとする点だ。
本来なら、私たち人類は、地球環境を破壊することなく、生きていくことが出来る。活路は自然エネルギーの活用である。そして日本はその分野で、世界の中心を担う底力を備えていた。
太陽が地球にもたらすエネルギーは年間、17万テラワットにのぼる。石油換算で130兆トンだ。他方、人類が消費するエネルギーは年間12テラワット、石油で90億トンと言われる。計算すると、太陽が1時間に送り出すエネルギーで人類の1年分のエネルギー全てが賄われることが分かる。太陽エネルギー、17万テラワットの1万分の1でも利用出来れば、地球にエネルギー問題は存在しないことになり、CO2排出の問題もなくなるのだと、竹村氏は次のように語る。
「米ソ対立の時代から科学者は言っていました。昼と夜は米国とソ連に交互にくると。太陽光発電で作ったエネルギーを超伝導ケーブルで地球の反対側に送る仕組みを作れば、電力を必要とする全ての地域に供給することが出来ると」
たとえばゴビ砂漠の面積の4%に太陽光発電パネルを敷きつめれば、全人類の需要を賄えるというのだ。
自然エネルギーへの取り組み
このような世界規模でのCO2対策が実現する前に、私たちに出来ることは多い。CO2の削減は幾つかの段階を踏むのが合理的だ。まず第一は、現在使用している電力などのエネルギーを減らすことである。日本のCO2排出量のうち、産業部門と並ぶ大量排出者は電力業界だ。発電によるCO2排出は全体の30%を占める。だから、まず、省エネで電力業界のCO2排出を減らすことが大事なのだ。
そのうえで実際に使うエネルギーを太陽光エネルギー、生物及び森林資源を素材としたバイオマスエネルギー、或いは風力エネルギーなどの自然エネルギーに置き換えていけばよい。
実は日本各地の自治体やNPOが、すでに注目すべき実績を積んでいる。政府のCO2削減への動きは、鈍いの一言に尽きるが、政府よりもはるかに進んでいる人々が、日本には少なくない。
江戸川区のNPO「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」(足温ネット)は11年前の京都会議開催の年に発足した。事務局長の山﨑求博氏らが試行錯誤の末に辿りついたのが、省エネ家電購買の資金を融資し、排出するCO2を減らしていくことだ。
「家庭のエネルギー消費の1位はエアコン、以下冷蔵庫、照明、ビデオやテレビで、全体の3分の2を占めます。これらを省エネ家電に置き換えることで少なくとも40%の省エネが可能だと分かりました」
そこで山﨑氏らは2003年8月から、冷蔵庫の買い換え費用、最高10万円を無利子で融資し、買い換えによって節約される年2万円の電気料金で返済してもらうことにした。買う側の負担が軽減され、返済後は安い電気料金のままで、ずっと節約が出来るわけだ。政府は、たとえば道路特定財源を一般財源化して一部をこのような目的に回すことも、考えてよいのではないか。
自治体ぐるみでCO2削減に取り組んでいるのが沖縄県糸満市だ。同市の市庁舎は建物の屋上と南面がソーラーパネルで覆われ、鳥かごのように見えるため、鳥かご庁舎と呼ばれている。旧庁舎が道路建設用地にかかり、新庁舎に建てかえたとき、糸満市は96年に制定した「新エネルギービジョン」に則って自然エネルギーを積極的に取り入れた。同地域に最適なのは太陽光だ。ソーラーパネル2536枚で195・6キロワットを発電、市庁舎総電力需要の20%を賄う。パネルが太陽光から建物を守ってもくれるため、冷房に必要なエネルギーが25%も削減された。総務課主幹の上原竹次郎氏が語る。
「新庁舎を自然エネルギー志向にしたことで、数字には表われない効果も出てきました。地域の大人も子どもも、環境意識が高くなりました。抽象的に考えるのでなく、これだけの電力を化石燃料で発電したら、どれだけのCO2が出るかなど、極めて具体的かつ現実的に、エネルギーや環境について考えられるようになったと思います」
しかし、問題もある。
「すばらしいプロジェクトですが、経済的に元をとるには100年かかります。沖縄の海の塩害や台風を考えてのソーラーパネルですから、コストが上昇し4億円余りかかりました。NEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)から2億4300万円の補助が出て助かりましたが、それがなければ難しかったと思います」
逆行する日本政府の方針
糸満市のような事例に出会うと、昨年12月、インドネシアのバリ島で開催されたCOP13(気候変動枠組み条約第13回締約国会議)の会議場前で起きたことを想い出す。世界各国の代表が集い、地球環境の未来を討議する会場前で、沈み行くタイタニック号を連想させる船の甲板に、ブッシュ大統領、ハーパー・カナダ首相、それにわが国の福田康夫首相の3人が並んでいる意見広告のプラカードが掲げられ、参加者の注目を集めたのだ。
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏が語る。
「日本国内では、日本の環境技術は世界のトップ水準にあるとして、環境分野における日本の国際的地位は高いと考えている傾向がありますが、現実はそうでもないのです。何よりも、NGOが掲げたこのプラカードに見られるように、日本は、京都議定書を離脱した米国やカナダと同じく、地球温暖化防止の抵抗勢力ととらえられているのです」
温室効果ガスを1990年の水準から6%削減するという京都議定書の公約も守りきれず、逆に8%も排出を増やした日本とは対照的に、世界はいま、凄まじい勢いで省エネ、低炭素社会の実現に向かって走っている。ドイツが掲げる目標は、自然エネルギーの比率を2030年までに45%に引き上げるというものだ。EU全体では2020年に30%、中国や米国でさえも2020年に各々21%と15%を目標値として掲げた。対する日本は2014年で1・63%である。
「これでは余りにも低すぎます。経団連、経産省、電気事業連合会などが世界に向かって『自然エネルギーは増やさないぞ』と宣言しているかのようです」と飯田氏。
日本は他国に先駆けて省エネを実施し、すでに高いレベルに達しているのだから、将来の目標値が低いのは当然なのだという思いにばかり囚われていると全体像が見えなくなる。
日本での自然エネルギーの活用は、太陽光と森林資源の活用が適していると言われる。太陽光発電では、たしかにかつて、「世界一の成果」をあげていた。その裏には各家庭で発電して余った電力は電力会社に売ることが出来る仕組みや、「太陽光発電導入促進事業」によって発電装置にかかる設置費用を補助する政策があったからだ。
だが、その後、典型的な役所の発想で、世界に誇る成果を帳消しにするような政策がとられていった。
太陽光発電の設置費用は1キロワットで当初250万円もかかった。だが、技術は改良され、安価になり、現在、価格は約60万円に下がっている。家庭用の3キロワット発電の場合、かつて750万円かかったものが、180万円になったのだ。太陽光発電は、大きな波に乗って増えていくはずだったが、そうはならなかった。そのわけを飯田氏が語った。
「政府は補助金は平等にという立場で、設置費用が下がったのなら、補助金を削減しなければ、先に設置した人に不平等になると考えるのです。そこで段階的に補助金を下げ、2005年には1キロワット発電につき2万5千円程しか出さなくなりました。そして、これくらいしか出さないのだから、もう補助金がなくても変わらないとして、打ち切ったのです」
これから最も必要となるときに、打ち切り政策をとり、可能性の芽を摘みとってしまうのだ。なんという愚策であろうか。他国の事例とは文字通り天地の差である。
環境大国への道を
たとえばドイツでは、自然エネルギーを化石燃料由来の電力料金の3倍近くの価格で買い取るコストを電力会社と全ての消費者が負担している。全家庭が一律に約250円を負担し、自然エネルギーの発電を奨励する一方で、太陽光発電装置を設置した企業も個人も、余剰電力を高値で買いとってもらえるのだ。結果として約10年でコストが回収出来る。こうして国ぐるみで自然エネルギーの割合を高めたうえで、彼らはいま、買い取り価格を下げつつある。20年かけて、年5%ずつ、下げていくのだ。技術は普及によって改善され、コストが下がるために、年5%の値下げは理に適っているとドイツ人は考えた。
飯田氏が強調する。
「試算では、自然エネルギーに関する国民負担のピークは2014年で、世帯当たり400円弱です。以降は年5%の価格減によって、自然エネルギーがシェアを拡大しながら、コストは下がるという夢のようなことが実現するのです。これを日本がやらない手はありません」
だが、繰り返すが、日本は「やらない」のだ。余剰電力の買い取り価格は他の電力と同じに設定され、設備の設置に関して国の支援も全くないのである。かつての太陽光発電の日本の御三家、シャープ、京セラ、三洋電機は、そのまま、世界の御三家だった。それがいま、ドイツのQ―cellsが年毎に倍増という驚異的な業績で、2007年、シャープを抜いて世界のトップに立ったと推測されている。中国のSuntechも京セラを抜いて第3位の座を勝ちとるとみられる。日本政府の制度設計が余りにもまずいために、折角の企業の力も、国民の努力も、こうして潰されていくのだ。
太陽光発電以外にも、国土の7割弱が森林の日本では、バイオマスの可能性は大きいはずだ。豊かな水流を擁するだけに、水力発電も有力だ。これらの可能性が、日本でだけ退けられているのには理由がある。こうした可能性を知ったとき、それを夢物語だとして退ける官僚的思考に加えて、電力業界など既存の業界の利益擁護のメカニズムが深く根を下ろしているからだ。そのメカニズムの中では、電力を多く消費する大口ユーザーには割引き料金が適用され、小口ユーザーには割高料金が適用されるという、世界に逆行する料金体系が罷り通るのだ。
発想を変えるときだ。環境を守る自然エネルギーを作れば作るほど、使えば使うほど、利益に繋がり、料金も安くなるべきだと。そうして日本が環境大国になり、地球の未来を切り拓いていくのだと。この発想の大転換のなかにのみ、日本と地球の生きる道が担保される。忘れてならないのは、日本にその力は、まだ残っているということだ。