「 朴大統領、最大の危機を回避できるか 」
『週刊新潮』 2016年11月10日号
日本ルネッサンス 第728回
韓国の混乱が深まるばかりだ。朴槿恵大統領に与えられた問題処理の時間は極めて短い。この原稿を執筆中のいまも、大統領秘書官たちの自宅や事務所が検察の捜索を受けたなどの情報が入ってくる。
韓国で最も信頼されていると言われる言論人、趙甲濟(チョ・ガプジェ)氏は朴大統領が問題処理のタイミングを逃せば、左翼陣営のみならず、保守陣営もソウル市中心部の光化門広場に繰り出し、退陣を要求すると、警告する。
朴氏支持勢力の核心である保守系高齢層までが、朴氏離れを起こしつつある。事の発端は、朴大統領が崔順実(チェ・スンシル)という女性実業家に、機密漏洩をしていたことだ。朴大統領の親友である崔氏は、大統領の信頼を悪用して大統領府の人事に介入するのみならず、私腹も肥やしていた。メディアが不祥事を報じ始めると、彼女は娘を連れてドイツに逃亡した。
統一日報論説主幹の洪熒(ホン・ヒョン)氏の指摘である。
「崔氏の件に関しては複雑な因縁があります。彼女の父は崔太敏(チェ・テミン)という牧師で、朴槿恵氏の父の朴正煕大統領にも絶大な影響力を有していました。韓国のラスプーチンと呼ばれた男です」
ラスプーチンは帝政ロシア皇帝に取り入って、絶大な影響力を持った亡国の僧だ。崔太敏牧師は、朴槿恵氏の母が1974年に暗殺されたあと、急速に朴一家への影響力を強めた。再び洪氏の説明である。
「崔太敏牧師は、母親を暗殺された朴槿恵の心をあらゆる意味で掴みました。彼女が崔牧師に操られていることに危機感を抱いた中央情報部(KCIA)の金載圭(キム・ジェギュ)部長はこの件について朴正煕大統領に忠告したのです。しかし、大統領は金部長の忠告を聞かず、娘の方を信用しました」
不通大統領
内部告発サイト、「ウィキリークス」が同件に関する機密文書を早速、10月27日に公表。それを「朝鮮日報」が報じたのだが、そこには驚くべきことが書かれていた。2007年当時、駐韓アメリカ公使のスタントン氏が朴槿恵氏にまつわる状況を以下のようにまとめていたのだ。
「カリスマ性のある崔太敏氏は人格形成期にあった若い朴槿恵氏の身心を完全に支配していた。その結果、崔太敏氏の子息らは莫大な富を蓄積したという噂が広まっている」
右のスタントン報告書を、バーシュボウ大使(当時)は機密情報に指定して本国に送った。洪氏が語る。
「朴正煕大統領は79年10月に金載圭に暗殺されましたが、暗殺理由のひとつに崔太敏牧師と朴槿恵氏の関係に関する助言が聞き入れられなかったことがあると、金載圭の弁護人が控訴審で主張しました。或る程度高齢の韓国人はこうした事情をよく知っています。彼らは熱心な朴正煕の崇拝者で、その内の少なからぬ人々が朴槿恵氏が事実上父親の死を招いたと批判的にとらえています」
韓国の保守陣営は朴槿恵大統領に度々、崔太敏・順実父娘との関係を問い質してきたそうだ。
「その都度、朴槿恵氏は崔父娘は決して変な人たちではない。自分と特別な関係にあるわけでもない、と疑惑を全否定しました」と洪氏。
現実にはしかし、崔牧師が死亡したあとは娘の順実氏を重用し、機密情報まで渡し、彼女の関係財団に大企業から巨額の寄付が流れるようにしていたことがわかってきた。父親の死を招いた牧師との奇妙な関係がまずあり、牧師の娘との不透明な関係がその先につながる。他方、朴槿恵氏は大統領として青瓦台に入ったあと、大統領府で働く有能な官僚や、愛国精神に満ちた政財界の実力者には会おうともしなかった。
「それで不通(プルトン)大統領、話の通じない大統領と呼ばれるのです。あの広い公邸でいつも1人。しかし、彼女は実は、崔順実との会話は続けていたわけです」(洪氏)
朴槿恵氏を大統領に選んだ韓国国民にとって、彼女は元大統領の愛娘で、深窓の令嬢、大切に守り抜く対象だったはずだ。前述の駐韓米公使の報告が正しかったと認めるなど、屈辱そのものであろう。そうした彼らがいま直面している問題の本質を趙氏が以下のように分析した。
・朴大統領は崔順実氏について嘘をつき続けてきた。法治国家の法治国家たるゆえんは国家機関が基本的に誠実であること、それゆえに国民の信頼があることだ。その意味で青瓦台が崔氏の事案に関して嘘をつき覆い隠そうとしたことは、順実氏の国政介入よりも深刻な問題である。
・崔順実氏は娘と共に出国し帰国を拒否していた。彼女らの横着な振舞いは朴大統領の承認と助力があるからだ。大統領の行為は司法妨害であり、問題が長期化すれば弾劾の理由となる。
・歴代の大統領の中で朴大統領程、検察を政治的に悪用した例はない。大統領命令によって無理な捜査が行われ、それを苦にして自殺者も出た。朴大統領は検察の独自性と公正さを損ねたのであり、そのことは歴史的不名誉として記録されるはずだ。
本当の家族は崔一家
趙氏の分析は非常に厳しい。だが、朴大統領の支持率が14%に急落し、不支持率が74%にまで上昇したことからも、国民が趙氏同様、厳しい目を向けていることが見てとれる。政権発足以来最悪の状況に朴大統領は陥っている。
危機を回避するには、まず、如何なる捜査にも協力する姿勢が必要だ。帰国した崔順実氏を捜査に協力させることも欠かせない。大統領府の秘書室を一新し、朴大統領自身はセヌリ党を離党し、国務総理に日常的行政を任せる程の決意を見せなければ、事態はおさまらないと、趙氏は指摘する。
世論の厳しい逆風を受けて、朴大統領は10月28日夜、大統領府の首席秘書官全員に辞表の提出を指示した。これで問題解決につながるのか。洪氏は真っ向から否定した。
「朴大統領には19年間、秘書としてついてきた3人の最側近がいます。本来なら彼らをまず切るべきです。しかし、彼らには全く責任をとらせようとしていない。これでは事態の収拾などできません」
孤高に生きてきた朴槿恵大統領にとって、本当の家族は崔一家なのであろう。実弟や実妹を青瓦台に近づけない一方、何かあれば崔一家に相談するようにと朴大統領は言ってきた。この期に及んでも崔一家を排除できない程、朴大統領は心理的に崔一家に頼りきりだと言える。
特定の怪し気な人物に操られているかのような大統領の下で、韓国は二進(にっち)も三進(さっち)もいかない危機の淵に立たされている。今、大統領が下野すれば韓国は大混乱に陥る。このまま政権を維持しても、来年の大統領選挙までの1年間、指導力回復の見込みはない。韓国の危機は日本にも深い負の影響を及ぼすことになる。