「 子息の安全を案ずる自衛隊員の父へ 」
『週刊新潮』 2015年9月3日号
日本ルネッサンス 第669回
平和安全法案を「戦争法案」と決めつけ、法案反対を唱え続ける人々がいる。私には全く理解できない。むしろ平和安全法案は、戦争を防ぐためのものであり、その意味で戦争抑止法案に他ならない。
社民・共産両党や一部メディアが自衛隊に関する政策や法案について、実態とは正反対の非難キャンペーンを張ることはこれまでにもあった。彼らは23年前の国連平和維持活動(PKO)協力法成立のときも、日本が侵略国になると批判した。しかし、23年間の自衛隊の実績は国際社会で高く評価され、野党及びマスコミの批判は的外れだった。今回も同様であろう。
彼らの主張が余りにもひどいので、私は彼らとは正反対の立場から、法案の内容を事実に沿って見詰め、国際情勢の激しい変化を認識し、平和安全法制の早期成立を求めるために、多くの人に呼びかけて国民フォーラムを設立した。平和安全法制の早期実現こそ日本国民を守り、戦争を抑止するとの認識を共有した学者、有識者、経済界の人々は318名に上り、うち約90名が同席して8月13日、憲政記念館で記者会見も行った。
すると、私のホームページには賛否両論の意見が殺到した。その中に「昨年自衛隊に入った息子の父親」という人物からのメールもあった。趣旨は以下のとおりだ。
〈中越地震などに際して、身を粉にして人々を守り……人命救助に徹する自衛隊員の姿に憧れて、息子は入隊した。しかし、今回の安保法制で自衛隊員の活動範囲が広がり、死のリスクが高まるのは明白だ。これ以上息子を自衛隊に置きたくない。父親として毎日心配している〉
子息の無事を願う父親の心情が窺われる。この気持ちは自衛隊員の子息をもつ他の多くの父や母、或いは小さな子供を持つ若い親たちも共有しているかもしれない。そこで右の内容について考えてみたい。まず問題を2つに分けて考えることが大事だろう。日本国民と国の安全と、自衛隊員の安全である。
戦争を抑止する法案
前者については少し長くなるが、大別して4つの柱を考えればよいと、元統幕議長の西元徹也氏は指摘する。Aグレーゾーン、B重要影響事態、C国際平和協力活動、D集団的自衛権の部分行使、である。
Aのグレーゾーンは、平時と有事の間の防護体制の隙間が広すぎる問題だ。現在、自衛隊は組織的、計画的攻撃に対してでなければ防衛出動が許されない。たとえば多数の中国の漁船が尖閣諸島に押し寄せた場合、漁船員らが武装もしておらず、粛々と上陸すれば、自衛隊は手を出せない。海上保安庁を助ける形で中国人の上陸を防ぐこともできない。
自衛隊が対処できるのは、中国側が明らかに事前に組織し、計画し、武装して攻めてくるときである。そうではなく、漁船が「たまたま」大挙して押し寄せる場合などには、自衛隊は何もできないのだ。これでは日本防衛は不可能だ。そこで今回、海保に代わって自衛隊が動けるよう、電話閣議で迅速に海上警備行動を発令できるようにした。
国民も国も守り切れない防護の穴が多数あり、敵対勢力の侵略に打つ手がない現状をこのようにして変え、改善するのが今回の法制である。
Bの重要影響事態は朝鮮半島を考えればわかり易い。朝鮮半島有事が勃発し、事態が収拾できなければ、わが国も危険に晒される。危険を防ぐために、米韓同盟に基づいて行動する米軍への補給を効率的に行えるようにした。米軍への物品、役務の提供は現在、日本の領域でのみ許されており、その都度、日本の領域に引き返してもらわなければ支援できなかった。今回、その場でできるように改正し、日米連携をスムーズにした。
但し、米軍への武器供与は禁止されている。
Cの国際平和協力活動にも多くの問題点があった。自衛隊は武器使用が厳しく制限され、海外では外国軍に守ってもらわなければならない。カンボジアPKOではフランス軍に、イラクでは当初イギリス軍、その後はオランダ軍、そして再びイギリス軍に守ってもらった。だが、自衛隊を警護する外国の部隊が攻撃されても、自衛隊が彼らを守るために一緒に戦うことは許されず、有り体に言えば逃げるしかない。どう考えても卑怯である。そこで今回は、共に行動している部隊が攻撃された場合、自衛隊も彼らを守れるようにした。
そして最後のポイント、Dの集団的自衛権である。日本を除くほぼ全ての国々が行使する集団的自衛権は、友好国が共同で防衛する権利である。尖閣諸島などを窺う中国、核攻撃の構えを見せる北朝鮮などに対し、限定的ではあっても、日本が米国などと共に集団的自衛権を行使することは、対日侵略を思いとどまらせる大きな効果を生む。集団的自衛権の一部行使は、戦争をするためではなく、戦争が起こらないように抑止するものなのである。
以上4つの柱を見たが、これらはすべて日本と国民を守るためだ。日本が戦争をしかけたり、他国に戦争をしに行くためではない。
身を賭して公益の為に
さて、「自衛隊員の父」の、隊員の死のリスクが高まるとの懸念についてである。まず、安保法制の有無にかかわらず、自衛隊にリスクは付きものである。消防隊員も警察官も同様である。今も、日常活動で自衛隊員の尊い犠牲は生じている。悪天候下、離島の患者の緊急搬送作業で亡くなる隊員もいる。訓練中の事故で命を落とす場合もある。
そのような危険を認識したうえで、それでも強い使命感を抱く人々が自衛隊に入隊する。だからこそ、自衛隊員は国民と国家を守るために、究極の場合、命を賭して任務を遂行すると宣誓して職務に就いている。
国防に危険は付きものだと指摘したが、私は国防に携わる人々への感謝と尊敬の念が、わが国に全く欠落していることを非常に残念に思う。感謝と尊敬どころか、長年、国民の多くは自衛隊員を偏見に満ちた差別の目で見てきた。
しかし、長期にわたる自衛隊の地道な働きが少しずつ国民の心を溶かした。現在、自衛隊に寄せる国民の信頼度は92・2%と比類なく高い。圧倒的多数の国民が、身を賭して公益の為に働く自衛隊員の有り難さを実感し、彼らがいて初めて国民も国も守られると感じ始めた。自衛隊への尊敬と感謝の念が国民の間に漸く生まれてきたと思う。
私は、国民を守り国を守る責務を自らの使命とする自衛隊員たちこそが、国民と国との一体感の中心軸を成すと考えている。だからこそ、今回、私にメールを下さった自衛隊員の父のように、隊員に近い人ほど、平和安全法案を正しく理解し、それが決して戦争法案などではないことを知ってほしいと願っている。