「 拉致問題解決には新たな体制が必要だ 」
『週刊新潮』 2014年11月13日号
日本ルネッサンス 第630回
第1次安倍政権で拉致担当首相補佐官を務めた中山恭子参院議員は、外務省主導の現在の対北朝鮮交渉は拉致問題を横に置いて国交正常化を優先するものだと、10月31日、「言論テレビ」で厳しく指摘した。
「外務省には、拉致被害者が犠牲になっても致し方ないという方針が従来からあります。2002年、平壌宣言を出した当時の国会論議で、たった10人の(拉致被害者の)ために日朝国交正常化が遅れるという声が外務省高官から出ました。国会議員の中にもそれ(拉致よりも国交正常化優先)で行こうという動きがありました。蓮池さんら5人が帰国するまでそうでした」
5人の帰国で、拉致被害者の存在とその悲劇が国民に浸透した。「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という当時の小泉純一郎首相の主張は、その段階で日本の世論となった。しかしいま、これが反古にされ、元の外務省の悪しき路線に戻っているとの氏の分析は、日朝交渉の現状を見れば極めて正しい。
5月29日に日朝両政府の発表したストックホルム合意には、日本側の責務として、①不幸な過去を清算し国交正常化を実現する、②北朝鮮の特別調査委員会による調査開始段階で、人的往来、送金、船の入港などの規制を解除する、などと書いてある。
他方、北朝鮮の責務として、①日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、日本人妻、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する全面的調査を行う、②調査は全ての分野を同時並行的に行う、とある。
日本が過去の植民地政策を反省、清算し、日朝国交を樹立することが先決だとしているのである。国交正常化に伴って、1兆円ともいわれる巨額資金が支払われるとの情報も流布されてきた。拉致問題を解決する考えなどなく、遺骨問題などを同時進行で調査することを隠れ蓑にして、まず日本の資金を手に入れようとする北朝鮮の狙いが透けて見える。
遺骨ビジネス
日本外務省は、そうした彼らの思惑に呼応するかのように、北朝鮮側の調査開始時点で、拉致問題のためにかけていた厳しい制裁措置を解除すると謳ったのだ。中山氏が指摘する。
「全世界が実行している対北朝鮮制裁措置は核、ミサイル問題で国連主導でかけたものです。日本はそれに追加して拉致問題ゆえに、人の往来や送金、船舶入港に関して制裁しました。ところが5月の合意後、北朝鮮が特別調査委員会を立ち上げただけで、結果も出していないのに、日本政府は制裁を解除しました。制裁本来の目的から外れ、北朝鮮の言葉だけの合意に心を許し、譲歩しているのです」
全懸案の調査が同時進行する中で、米国の遺骨収集の基準に準ずれば一柱2万ドル、約200万円とされる遺骨引き渡しが始まり、彼らの外貨稼ぎに利用される危険性がある。眠っているのは約2万柱、約400億円に上る。中山氏は、アメリカ政府も北朝鮮との遺骨問題を「遺骨ビジネス」と呼んでいると強調した。
「アメリカの方から伺った限りでは、もう本当に酷いというのです。お骨の一片を持って来て2万ドルを要求する。付き合い切れないということで、アメリカは遺骨探しを中断していると伺っています。アメリカに替わって、いま、日本がこのビジネスの対象になっているのです」
それにしても、理解し難いことがある。一連の事情の中で変わらない真実は、北朝鮮が喉から手が出る程資金を欲しがっていること、日本側が拉致被害者全員の帰国を目指していることである。
乗り越えなければ日本の資金など手に出来ないはずの拉致問題を、彼らはなぜ解決しようとしないのか。拉致問題が解決すれば、遺骨返還金どころか国交正常化で多額の資金が手に入る。対中関係の悪化、韓国の支援中止で、外貨獲得の可能性があるのは、日本との関係改善の道だけだ。この疑問は中山氏の説明で氷解した。
「今年初めの情報で、北朝鮮は拉致問題の解決を急がないと日本は動かないという相当な緊迫感を持っていると、私は承知していました。ところが外務省と交渉を始めてみたら、どうも違う。非常に甘い。どうやら拉致問題に手をつけなくても、相当な資金を手にする術があると彼らは感じ始めた。それで5月の日朝合意を押し切った。そのとき彼らは内々、勝利宣言をしたと思います」
今回、北朝鮮がゼロ回答で応じた理由であろう。
「外務省の対北交渉は完全な敗北の連続です。本当に弄ばれている印象を強く持ちます。外務省には拉致被害者救出はできません。正確に言えば、それは外務省の仕事ではありませんし、彼らには海外で問題に巻き込まれた日本人を救出するという発想もありません」
こう厳しく断言した中山氏は、02年に帰国した5人を当時の安倍晋三官房副長官らが中心になって「国家の意思」で残すと決定し、北朝鮮に戻さなかった状況を振りかえった。
日本は国家なのか
「たった12年前ですが、全国から大変な非難が起きました。今では考えられませんが、あのときまで、国家という言葉は日本では禁句でした。特に『国防』という言葉は使えなかった。政府が国として国民、国土を守るという表現は、敗戦後、全くできなくなっていたと言っても過言ではないと思います。外務省は非常によく出来る方々の集団ですから、現行憲法に則って、日本国とか国家という単語を使わずに、近隣諸国と友好関係を結ぶのが自らの役割だと考えていると思うのです」
その延長線上に今回の日朝合意がある。拉致問題が発覚したとき、横田早紀江さんが「日本は一体、国家なのか。国民を救うのが国の役割のはずなのに何故、救えないのか」と訴えた。それを聞いたとき、私は、戦後初めて日本人が国の役割を自覚させられたと感じたが、中山氏の指摘も同様の意味を持つ。外務省だけが、まだそれ以前の次元にとどまっているのである。中山氏が穏やかな口調で語った。
「拉致問題解決を外務省に求めるのは、或る意味、酷な話です。日本側の交渉担当者を交替させ、解除した制裁も再度かける必要があるでしょう。警察、公安、民間の専門家なども交えて共同で救出に当たらなければならないと考えます」
かつて、5人の被害者を北朝鮮に一旦戻そうとした田中均アジア大洋州局長(当時)らに抗って、国家の決断として日本に残したのは安倍現首相であり、齋木昭隆現外務次官だ。北朝鮮内部の複雑な事情もあり、拉致問題の解決は困難を極める。しかし、北朝鮮の場合、帰国させようとの決断がなされれば、一気に動き出す。それを促すために、これまで安倍首相は厳しい制裁措置を取ってきた。その原点に立ち戻り、態勢を整え直すことが大事である。