「 河野、谷野両氏を国会喚問せよ 」
『週刊新潮』 2014年7月3日号
日本ルネッサンス 第613回
6月20日に公表された河野談話作成経過の検証報告書は一歩前進だったが、最も本質的なことには触れずに終わっている。昭和史研究の第一人者のひとり、秦郁彦氏を交えた検討チームが表面的な検証しかなし得なかった理由は、報告書発表後の委員らのコメントから推測可能だ。外務省が、一貫して「穏便に穏健に」と、牽制したというのだ。
安倍晋三首相が語ったように政府は河野談話を見直すつもりはない。しかし、検証はするとした。その心は、検証を通して談話のでたらめさを明らかにすることであろう。それが国益である。にも拘わらず、外務省は牽制した。摩擦回避を外交と心得る彼らの保身外交によって、またもや国益が損なわれたのだ。日本外交の根本的立て直しこそ必要だと、報告書が告げている。
報告書の評価すべき点を、まず見てみよう。韓国政府が「韓国国内の慰安婦関係団体が納得するような形で日本側が真相究明を進めることを期待」し、事実を曲げてでも強制連行を明文化させたいと圧力をかけていた事実がわかったことだ。
当時韓国で活動していた種々の反日団体が納得する内容とは、日本政府の全面降伏しかない。慰安所の設置も女性の募集も、強制の事実はないのに、強制だったと日本に認めさせ、慰安所の生活は悲惨を極めたとして謝罪させることだ。でなければ韓国国内がおさまらない、韓国政府は「事態収拾のために国内を押さえつけることはなし得ない」、つまり反日の嵐が吹き荒れてもコントロールできないという〝脅し〟を日本に突きつけた。
韓国人を満足させるためには、慰安所の設置を軍が「指示」したと日本政府が認めることだと韓国政府が要求し、日本側が軍の「要望」という表現を提案した。女性たちの募集も日本軍が「指示」したことを日本政府は認めよと韓国政府が主張、日本が断ると、「指図」したと表現せよと言い、結局、日本が「軍の要請」で妥協したと、報告書は書いている。
「別物を同一視」
慰安所は日本人も設置したが、朝鮮人業者も多数設置した。募集に関して、日本政府は日本軍をかたって女性を騙す業者の取り締まりを念頭に警告を発していたのが現実で、日本政府や軍が強制的募集を指図、指示したなどとは言いがかりである。
だが、韓国側は絶対にそのような現実を認めない。一部の女性であっても、「自発的に慰安婦になったとの印象」を与えては韓国国内は納得しないと日本側に要求している。韓国側が絶対的に清く正しいという形にせよ、絶対的な悪は日本だと認めよ、さもなくば韓国国民は納得しないというわけだ。
ほとほと呆れるやりとりがあったわけだが、それでも日本政府は、「強制連行は確認できないという認識」に立ち、同時に韓国政府の意向や要望で受け入れられるものは受け入れたと、報告書はまとめている。
事実を歪曲してまで自国に好都合な物語を作文させようとする、韓国政府の対日外交の内実が明らかになった点で、検証報告書は評価すべきである。だが、韓国政府の認識が如何に間違った前提に立っていたかなどは、全く指摘していない。朝鮮問題の専門家で東京基督教大学教授の西岡力氏が語った。
「92年1月16日に宮澤喜一首相が訪韓して、8回も慰安婦問題で謝りました。その後の韓国政府の発表について、今回の報告書では、『韓国政府は挺身隊問題に関する政府方針を発表』と書いています―韓国政府は慰安婦と挺身隊を同一視している。しかし、両者は全く別物なのです」
挺身隊は勤労奉仕の若い女性たちの団体である。両者を結びつけて報道したのが、朝日新聞の植村隆記者である。その後、92年1月14日、韓国の連合通信の金溶洙記者が「12歳の小学生が挺身隊に連れていかれた」と報じ、これが12歳の少女が慰安婦にされたと解釈された。
西岡氏は、金報道の翌日の東亜日報の社説、「一二歳の挺身隊員」に愕然としたという。「天と人が共に憤怒する日帝の蛮行」、「人面獣心」、「非人道的残酷行為」などと日本を責める内容だった。
日本が挺身隊の少女たちを強制連行したことも慰安婦にしたことも、金輪際、ない。にも拘わらず、韓国政府は慰安婦問題の政府方針を「挺身隊問題に関する政府方針」として発表した。基本認識が丸きり間違っている。そのことを検討チームは指摘していない。この種の基本的間違いはその他にもあるが、一切触れられていない。
秦氏は、談話は見直さないという制約の中で、事実関係の当否の評価は一切していないと語った。しかし、間違いを指摘しない検証に意味があるのか。外務省に批判を封じられた氏らにとって、もどかしかったことだろう。だからこそ、同検証を第一歩とし、さらに事実究明を進め、韓国にも世界にも発信することだ。
摩擦を消すことを優先
報告書は、事実を曲げてでも強制を認めよという韓国政府の不条理な要求にも拘わらず、日本側は「強制連行は確認できない」という立場を守ったと書いている。石原信雄官房副長官が「強制性があったとは絶対に言えない」と発言したとも記している。政府の立場を反映して、河野談話にはたしかに軍の強制という表現はない。にも拘わらず、談話が軍の強制を認めたものとして世界に広がったのは、談話発表後に記者会見で河野洋平官房長官が語った発言ゆえだと報告書は指摘する。
「強制連行の事実があったという認識か」と問われた河野氏が「そういう事実があったと。(それで)結構です」と述べたことを報告書は記している。つまり河野氏が政府の立場を超えて独断で「強制」を認めたとしているのだ。
河野氏が強制性を認めるのに非常に前のめりだったことは確かだ。かといって、氏への責任転嫁で終わってよいのか。河野談話に至る道筋をつけたのは、当時の宮澤首相と河野官房長官、内閣外政審議室長の谷野作太郎氏と外務省ではないか。谷野氏と外務省も河野氏と同罪であろう。
谷野氏は当時、主だった言論人を呼びつけ、机上にうずたかく積み上げた資料を見せ、「これだけ証拠がある。慰安婦問題での日本政府の謝罪についての批判は慎まれたい」と警告した。だが資料のいずれにも強制を示すものはなく、慰安婦16人の聞き取り調査も杜撰だったのは周知のとおりだ。外務省も谷野氏も、強制説は事実に反するから絶対に認めないというより、韓国の主張を受け入れて、眼前の摩擦を消すことを優先したのではないのか。
疑問点をはっきりさせるために、河野、谷野両氏を国会で証人喚問すべきだ。その先に、河野談話を超える新たな談話の発表を目指せばよい。