「 情緒に訴えた小保方氏会見 科学は涙ではごまかせない 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年4月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1031
2月8日号の当欄で、STAP細胞作製を発表した小保方晴子氏に私はエールを送った。「専門家が一様に、生命科学の常識を覆す革命的な発見と評価する成果を生んだのがこの若くて美しい、というより、若くてかわいらしい女性だった」などと書いた。
だが、氏の研究は多くの疑惑を突きつけられた揚げ句、所属する理化学研究所から「改竄」「捏造」という最も厳しい批判を浴びた。研究者としての道を、事実上閉ざされるに等しい評価に対して、小保方氏自身が科学に基づいて詳細な説明をしなければならなかったにも拘わらず、長い間、氏は沈黙を守り続けた。そのご本人が4月9日、71日ぶりに公の場に出て記者会見に臨んだ。
氏の研究に期待した私も会見を見た。感想は、STAP細胞の存在と作製法を科学的に説明するのが一番大事な記者会見でありながら、科学よりも情緒に訴える会見だったということだ。弁護士2人を左右に置いて彼女が語ったことは科学ではなく、彼女にかけられた疑いに対して、社会的、法的にどう闘っていくかということだった。私はこの会見で研究者としての氏への疑惑を強めざるを得なかった。
STAP細胞作製の証拠となるDNA解析画像が、実は2枚の画像を切り貼りして1枚に仕立て上げられていたことについて、氏は悪意を否定したが、日本人の常識では、2枚を1枚に合成すること自体、捏造である。ごく普通の事例でも捏造だが、科学の世界ではなおさら許されないことだ。
したがって理研が同件を「悪意」や「故意の不正」としたのも合理的に思える。理研の判断について尋ねられると、氏は答えず、弁護士が「法的解釈の問題だ」としてそれ以上の応答を遮った。科学的質疑の場ではなく、恰もスキャンダル抑え込みの会見であるかのような印象を受けたくだりである。
何よりも全員が知りたいのはSTAP細胞は存在するのかという点だ。小保方氏は「私自身200回も作製しています」「別の研究者も作製に成功しています」ときっぱり語った。真実なら本当にうれしい回答だ。うら若き「リケ女」の成果にエールを送った私は、200回作製の証拠とSTAP細胞を作製したという研究者の氏素姓を、ぜひ知りたいと思った。だが、氏は一切、この最重要の点についても語らない。
STAP細胞の作製には細かなこつがあり、それをすべてクリアすれば必ず作れるとも氏は語る。ならば作製法の詳細を発表すればよいだけだ。まだ作製に一人も成功していない世界中の研究者はさぞかし喜び、彼女への疑惑もきれいに晴れる。だが氏は、これから論文を書くと答えた。この期に及んで発表しないのは、出来ないのだと思われても仕方がない。
もう一つ、私的体験に基づく小さな疑問がある。3年間で200回も世紀の大発見と当初評価されたSTAP細胞を作製したというのに、氏の研究ノートは2ないし4~5冊だという。私のような取材者でも年間数十冊のノートを作成している。取材し、考えをまとめ、整理する作業を続ければ、記者の場合、そういうことになる。分野は違っても3年間で4~5冊とは、私の実感からすると、どんな研究をしていたのかと、本当に疑問である。
涙を流しながらも、後半になると余裕のほほ笑みを見せながら会見した小保方氏は、若さと美しさに敗北しつつあるのではないか。込み上げる感情を抑えるためか、長い沈黙を間、間に挟み、時折、涙を交えての会見の先にある彼女の将来は何だろうか。会見での可憐な佇まいは世間の同情を買うのに役立ったかもしれない。けれど科学者としての未来には暗い影が落ちた。涙で科学はごまかせない。本当に残念な気持ちで、私は2月8日号の私のコラムを取り下げる。