「 中韓の影響、米国の日本批判 」
『週刊新潮』 '06年10月12日号
日本ルネッサンス 第234回
安倍晋三首相が今週末にも中韓両国を訪問する旨報じられた。小泉前政権を拒絶した両国が、いま新内閣を受け入れるのは歓迎すべきだ。だが、日本にとって大事なことは、歴史認識や靖国問題という国家としての価値観が問われる事柄については、決して主張を曲げないことである。
中韓両国も、日本が両国への内政干渉を避けてきたように、日本への内政干渉はしてはならないのである。
国内の権力闘争を反映して、中国の対日政策が変わりつつあることは小欄でも報じてきた。胡錦濤政権は、江沢民前政権より柔軟かつ前向きの対日姿勢をとるだろう。中国はそれでも、国際社会で展開してきた反日情報工作を止めることはない点を忘れてはならない。
さて、このところ米国議会で展開されている日本に関する議論には驚かざるを得ない。たとえば9月14日、下院の国際関係委員会で「日本と近隣諸国との関係」という公聴会が開かれた。“バック・トゥ・ザ・フューチャー”というタイトルで、アジア政策の研究機関APP(アジア・ポリシー・ポイント)の創設者であり強い反日姿勢で知られるミンディ・コトラー氏が意見を述べた。彼女は日中両国を、格差の拡大、所得の不公平、弱者救済システムの欠如、若年層の就職難、社会不安、官僚の機能停止、都市と農村経済の格差、犯罪増加と腐敗の8項目で比較し、“日中双方共に”失敗しているとして、両国が同じ状況下にあると主張したのだ。
たしかに、日本にも弱者を十分に救いきれていない面はあるだろう。格差もあるだろう。しかし、上の一連の点で日中両国を同列と見做す現状認識は余りに間違っている。明らかに中国への傾斜が激しい彼女は、日中摩擦解消の具体策も提言した。
氏は、まず第一に、日本が第二次大戦の敗戦を受け入れ、民主主義へのコミットメントを確認すべきだと提言した。第二に、日中双方が“帝国主義時代は終わったと認識すべき”でその観点から領土問題を現実的に解決せよと主張する。加えて日本は、アジアの理念的リーダーであるとの主張をやめなければならない(must end)という。日本の主張はアジアの民主主義諸国にはよく思われておらず、真実でもないからだそうだ。
情報戦に敗れた日本
これほど奇妙な主張があるだろうか。民主主義へのコミットメントを確認せよとは、中国にこそ言うべきことだ。アジア各国で日本がよく思われていない事実は存在しない。反対に日本は非情に高く評価されている。このことは、同公聴会に出席したマイケル・グリーン国家安全保障会議前アジア部長も証言した。
彼女の意見は噴飯物であるが、日本国政府が深く考えるべき点は、彼女のような公平さを欠いた明らかな親中国の人物が、公聴会に招かれていることの意味と背景である。
公聴会では委員長のヘンリー・ハイド共和党委員までもが、日本がロシアや韓国、中国、台湾と領土問題などを抱えているとしたうえで、「これら歴史及び領土問題が未解決な限り、米国のアジア太平洋の運命(卵)を日本のカゴに入れて托したままでよいのか」と疑問を提起した。氏は靖国神社の歴史博物館、遊就館は“問題だ”とし、同神社への公式参拝は米英豪などの諸国への“攻撃”に等しいと述べた。韓国、フィリピン、シンガポール、ソロモン諸島を訪れたが、これら諸国のだれひとりとして日本を“(植民地支配からの)解放者”と位置づけた者はいなかったとも語った。
このような委員長挨拶が冒頭にあって公聴会は始まったのだ。同会には前述の通りグリーン氏らも出席し、日中、日韓関係についての深い理解に基づく解説もあった。
だが、ハイド氏らをはじめ共和、民主両党の実力派議員から靖国神社や歴史問題についての、多くの事実誤認に基づく日本非難がこのように噴出すること自体、米国での情報戦に日本が敗れていることを意味する。
米国下院は9月13日、上と同じ国際関係委員会で「慰安婦問題」の決議案を全会一致で採択、10月上旬にも同案は下院本会議で可決される勢いだ。同案を読んで驚きかつ深く憂えない日本人はいないだろう。民主党のエヴァンズ議員と共和党のスミス議員が提出した同案の内容はざっと以下のとおりだ。
「日本国政府は1930年代から第二次世界大戦にかけて、日本帝国陸軍が直接的及び間接的に、若い女性の隷属を許可し、一部には誘拐を組織することを許可した」
「慰安婦の奴隷化は、日本国政府によって公式に委任及び組織化され、輪姦、強制的中絶、性的暴行、人身売買を伴っていた」
「慰安婦の中には13歳という若さの少女や、自分の子供から引き離され、拉致された(abducted)女性も含まれていた」
「多くの慰安婦は、最終的には殺害され、または交戦状態が終了した際に自殺に追い込まれた」
「20万人もの女性が奴隷化(enslaved)され、今日生存するのはその内僅かである」
日本が成すべき事とは
米国下院の委員会は上の“事実”を列挙し、日本政府は「この恐ろしい罪について、現在及び未来世代に対して教育し」、「(慰安婦問題はなかったとする)全ての主張に対して公に、強く、繰り返し、反論すべきだ」と決議したのだ。
これは北朝鮮や中国などの主張をそっくり受けついだものだ。選りに選って、それが同盟国の米国下院本会議で決議されようとしているのだ。
上の問題は90年代以降、日中、日韓間で大問題をひきおこし、日本国政府は全資料を集めて検証した。当時の河野洋平官房長官、石原信雄官房副長官らを含めて私は広く取材した。駐日韓国大使だった孔魯明(コンノミョン)氏には、ソウルで取材した。そして判ったのは、「日本政府が慰安婦を強制連行した」事実は全くなかったことだ。私は取材結果を『文藝春秋』97年4月号に詳報したが、かつて、政府の調査によって否定された“事実”が、いままた、亡霊のように、米国下院で蘇ろうとしていることに心底、驚きを禁じ得ない。
この間、一体、日本国政府は何をしてきたのか。歴史問題についてどれだけ、国際社会に事実を明らかにし、伝えてきたのか。政府、外務省の怠慢には許し難いものがある。
日米関係は日本にとって最重要の絆である。対中関係改善にも、日米関係が堅固に有効に機能することが必須条件だ。米国にとっても、日本の協力は極めて重要かつ不可欠なはずだ。互いに重要な存在であるのに、なぜ、事実に反するこのようなおどろおどろしい決議案が出されるのか。背後に米国議会への、中韓両国による強力な働きかけがあることを念頭に、日本は全力で反論し、進んで事実を明らかにするべきだ。