「 飛行場移設反対派が勝利した名護市長選の奇妙な票の動き 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年2月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1023
一連の地方自治体選挙から反米軍基地、反原発を旗印とする人々の凄まじい戦いぶりが見えてくる。だが彼らの戦いはほとんど表面に出てこないために、問題の深刻さにもかかわらず、一般の人々の注意を引くことは少ない。
一例が1月19日の沖縄県名護市長選挙だった。米軍が使用する普天間飛行場の名護市辺野古への移設を争点とした右の選挙では、周知のように受け入れ拒否の稲嶺進氏が約1万9,800票(下2桁四捨五入、以下同)を獲得し、容認派の末松文信氏に4,200票差で勝利した。
辺野古への移設は米軍再編問題だけでなく、眼前に迫る中国の軍事的脅威に日本がどう対処し得るかという問題に直結する。日本国の主権を中国の侵略から守り切れるか、鍵は日米両国がスムーズに連携できるか否かである。その際の最重要拠点が辺野古である。
この重要な問題を争点とした名護市長選挙で、奇妙な票の動きがあった。沖縄の人々が異口同音にこう訴えるのだ──。「有権者の数が市長選のたびに不自然に増えています。名護市は寂れこそすれ人口が増えるような所ではありません。なのに、突出して増えています」。
統計を見てみよう。まず、2002年と06年の選挙のときである。左の2回の選挙では移設容認派が勝利した。そのときの(1)有権者総数、(2)投票者総数、(3)移設に賛成の票、(4)反対の票を、以下に並べてみる。
02年は(1)約4万1,000人、(2)3万2,000人、(3)2万票、(4)1万1,200票だった。(3)と(4)から移設受け入れ派が反対派の約2倍だったことがわかる。次に06年の数字である。賛成・反対両陣営の差はぐっと縮まった。賛成派候補は勝つには勝ったがその差はわずか1,400票だった。
ところがこの年の有権者総数は前回との比較で約2,200人も増えていた。有権者総数4万人規模の町で、4年間に2,200人、約5・5%も増えることの異常は、他の地方自治体の人口動態と比べれば明らかである。この異常事態はその後も続き、今日に至る。
反対派の稲嶺氏が勝った10年と今年の選挙では、(1)は、10年が4万4,900人、今年が4万6,600人だった。有権者数はそれぞれ前回比で1,800人、1,700人ずつ増えた計算だ。
数字ばかりで申し訳ないが、沖縄出身の兼次(かねじ)映利加氏が「八重山日報」に報じた02年から14年までの総人口の推移も重ねてみよう。総人口は5万6,300人から6万1,300人へと、5,000人規模の増加を示している。だが、おかしなことに20歳以下の未成年者は02年から今年までに、633人も減っているのだ。
全体像をもう一度整理してみよう。過去12年間、名護市では未成年者が減り大人ばかりが増えた。大人の増加率は12%、その正確な数は5,619人だ。そして今回の勝敗の差は4,155票だった。こうして見ると、不自然としか言いようのない有権者の増加が反対派の稲嶺氏を勝たせた強力な要因だったと言って間違いないだろう。
沖縄の関係者らが口々に訴えた。
「本土から基地反対勢力が住民票を移してきたと思います。一軒の家に10人単位で住民票が移されたりして、選挙管理委員会に調査を要請しても取り合ってもらえなかったのです」
これは推測だが、本土でほとんど相手にされなくなった運動家たちが沖縄を最後の戦いの場と見なして集結しているとみてよいのではないか。しかも、彼らは住民票を移して何年間もずっと選挙権を保有し続けているのだ。
いま、沖縄の人たちは心配している。9月の名護市議会議員選挙、11月の沖縄県知事選挙でも同じことが起き、往年の成田闘争が沖縄で再現されるのではないかと。政府は真剣に構えて対策を打つべきであろう。