「 英国人学者が高く評価した韓国併合 」
『週刊新潮』 2014年1月23日号
日本ルネッサンス 第591回
中韓両国の対日歴史非難について、最も強力な日本の味方は歴史の事実である。私はずっと、こう主張してきたが、今、『THE NEW KOREA――朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)』(桜の花出版)を手にして、その思いを強くしている。
695頁のこの大部の書は英国人のアレン・アイルランド氏が1926年(昭和元年)に出版したものを、桜の花出版が日本語に訳し、日英対訳の形で新たに世に問うたものだ。
アイルランド氏は当時、植民地政策の研究における第一人者の一人で、本書の他に植民地政策に関して3冊の本を出版している。なぜ、日本の朝鮮統治を研究したのか。氏は「ある文明化された民族がもう1つの文明化された民族を統治したという稀な光景を見せてくれる」からだと、書いている。
「1910年に日本が大韓帝国を併合した当時、半島の人々の生活実態が極めて悲惨だったというのは真実である」。但し、それは朝鮮半島の人々の劣等性故ではなく、「過去500年にわたってほぼ絶え間なく朝鮮王朝を特徴づけてきた愚かさと腐敗」、その間一貫して蔓延していた「王朝の残虐な行為と汚職にまみれた体制」ゆえだったと氏は分析する。
氏は、朝鮮統治の研究に臨んで客観的な視点に立とうとする。帝国主義又は民族主義のいずれにも片寄らず、日本政府が朝鮮統治で何を目指し、どのような方法を採用したのか、結果はどうだったのかを事実を通して明らかにすることを第一の目標としたと述べている。その結果、著書の題名が「新しい朝鮮」になったのであり、題名自体が本書の内容を読み解く鍵だとも書いている。
本書には幾つも感ずる点がある。そのひとつが朝鮮総督府の統治に対する高い評価である。私たち日本人は、韓国併合を苦い想いで振り返りがちだ。だが、日本統治の汚点を認めたうえで、第三国の研究者は、戦後教育の中で私たち日本人に植えつけられた「暴力と搾取の暗黒の統治」という見方とは全く異なるとらえ方をする。
日本への留学生の数
たとえば、氏は第3代及び第5代の朝鮮総督を務めた斎藤実に関して、こう書いている。
「誠実で人間味あふれる総督たち、その中でも1919年以来朝鮮総督府総督に就任している斎藤子爵ほど、この表現に相応しい人物はいない」
「誠実で人間味あふれる」という評価を、朝鮮総督に与えたのは何故か。氏は、斎藤が着任直後に爆弾による暗殺を仕掛けられながらも、総督府から軍事色を素早く消し去ったこと、強硬手段をとらずに果敢に改革を推進したことを評価する。また斎藤が朝鮮の人々の教育に関して「実に惜しみなく人々の教養に対する意欲に力を貸し」、政治分野では「熱心に地方自治を促進し」たことも評価する。
私たちはアイルランド氏の研究の延長線上に、当欄でも紹介したハワイ大学名誉教授、ジョージ・アキタ氏の『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』(草思社)を置いて考えることが出来る。アキタ氏もまた、日本の朝鮮統治を高く評価し、「同時代の他の植民地保有国との比較において」「『九分どおり公平(almost fair)』だったと判断されてもよいのではないか」と結論づけている。
斎藤の功績として、アキタ氏は朝鮮人官吏の待遇改善、警察組織の再編成と整備拡大、憲兵制度の廃止、地方の知事職の民間人官吏への開放、教育改革の断行、ハングルの新聞や雑誌の発行の許可などを挙げている。
アキタ氏の論点をさらに深めたのがソウル大学校経済学部教授の李榮薫氏であるのは興味深い。氏は2009年に日本で出版した『大韓民国の物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ』(文藝春秋)でこう記した。
「一九二〇年代の大衆向け教育は、学齢期児童の就学率を二〇%から三〇%の水準に引き上げ」「一九三〇年代の末になると、学齢期の児童の就学率が、男子の場合六〇%を超え」た。
李教授は、中学以上の高等教育機関が朝鮮半島では大いに不足していたために日本への留学が激増したこと、その数は42年で2万9,427名、内75%が中学生だったことを指摘する。
その上で、2004年、飛躍的に豊かになった現代の韓国で英語圏の小・中・高等学校への留学生が1万6,446名だったとも指摘している。二つの数字を較べてみると、日本統治下における日本への留学生の多さに驚く。それは即ち、日本統治下で如何に教育に重点が置かれていたかを示すものだ。
朝鮮半島の人々は、日本人が農地を奪ったと非難するが、この点について、アイルランド氏は朝鮮総督府は未耕作の国有地を少額の負担で小作農に貸し出し、開墾終了時には開拓した者に無料で所有権を移したこと、すでに開墾済みの国有地は、その土地を借りている小作農が10年の分割で地代を払えば所有権を持てるようにしたことを指摘している。
当時の価値観の枠
土地問題は李教授も詳しく研究した。韓国の土地台帳を実証的に調べた上で、李教授は、日本人が朝鮮人の土地を奪った事例は見当たらず、土地に関して総督府は「公正」だったと結論づけている。
アイルランド氏は、むしろ日本が行った土地制度は、貧しい小作農を援助することに眼目が置かれていたとも強調し、「今日(1926年)の朝鮮は李王朝時代とは比べ物にならないくらい良く統治されており、また他の多くの独立国と比較してもその統治は優れている」「(日本の朝鮮統治は)政府の行政手腕のみならず、民衆の文化的経済的発展においても優れている」と分析した。
このように、日本の統治を肯定する内容を書くと、必ず、植民地支配自体が間違っており、統治の内容にどれほど評価すべきものがあったとしても、認められないものは認められないという反論が返ってくる。
そのとおりである。同時に、そのような視点に立つ限り、日本がなぜ併合に乗り出したか、なぜ朝鮮は併合されたかを理解することは出来ないだろう。アイルランド氏は朝鮮半島は日本にとって次の要因で脅威だったと書いている。①李王朝の数世紀にわたる失政の結果、朝鮮は国家としての独立を維持することが出来なかった、②その結果、ロシアや清が朝鮮半島に触手を伸ばし、日本の国家防衛にとって許容し難い戦略的状況が生じかねなかった。
1926年の著書に記された右の考え方は、当時の国際社会の考え方を示すものだ。私たちは同じ轍を踏まないために、朴槿恵大統領が指摘するように歴史に学ばなければならない。つまり、冷静に、当時の状況を当時の価値観の枠の中に置いて考えることこそ必要なのである。