「 事故を科学的に見ようとしない政治が福島復興を妨げている 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 991
自民党政調会長の高市早苗氏が「東京電力福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら(原発を)活用するしかない」と発言し、民主党幹事長の細野豪志氏が18日、即反応した。細野氏は避難生活で亡くなった「震災関連死」に触れて高市氏を「当事者意識もなく原子力政策を進めるのは与党政調会長として失格だ」と厳しく批判した。福島県は18日、「震災関連死は1415人、現在も県民15万人以上が避難生活中」と発表した。
高市氏は同日、発言の真意は「被曝で直接亡くなった方は確認されていない」という意味だったとして、言葉足らずの表現を改め、後に撤回した。
一連のやりとりから、なかなか立ち直れない福島の問題の核が見えてくる。その第一は、原発事故を科学的に見ようとしないことであろう。第二は政治が福島の復興に貢献するのでなく、反対に状況を悪化させてきた点についての検証ができていないことだ。
確かに言葉足らずだったが、「被曝で直接亡くなった方はいない」という高市氏の発言は正しい。この点は、多くの死者を出し、福島の6倍もの放射性物質を拡散させたチェルノブイリ事故との大きな相違である。
放射能の人体への影響についても、チェルノブイリでは6000人の子どもたちが甲状腺がんを発症した。一方、国連科学委員会は5月27日、「福島の子どもたちへの健康被害は将来にわたっても見られないだろう」と発表した。これも彼我の大きな違いである。
こうしたことをまず基礎的情報として共有することが、復興を進めるのに欠かせない。右の科学的知見に立ったとき初めて原発事故、大地震、大津波の被害からどう立ち直り、どんな手を打つべきかが見えてくる。
ところが今回、高市氏を「当事者意識」もないと非難した細野氏はこれまで何をしてきたか。私は氏が原発事故収束・再発防止担当大臣として頑張ったこと、氏の表現を借りれば「当事者意識」を持ってたびたび福島に足を運び、被災者と共に時間を過ごしたことなどは知っているつもりだ。だが、「当事者意識」だけでは政治家の責任は果たせない。高市氏が語ったように、物事を理性的、全体的に把握して解決を導き出さなければならない。
いま福島にはいわゆる1ミリシーベルト神話が広がっている。それを創り出したのが細野氏らではなかったか。氏は放射線量が1ミリシーベルト以上のところは除染を徹底すると公約して、結果として1ミリシーベルトを超えると危険であるかのような思い込みを定着させた。
日本人は平均値で自然界から年間1.5ミリシーベルトの放射線を浴びる。医療行為によって年平均4.0ミリシーベルトを浴びる。そうした中で1ミリシーベルト以上は除染を徹底するとは非科学の極致である。
5月末に浪江町の住民、約1万4000人が町主導で東電に1人毎月35万円の慰謝料の支払いを求めて紛争解決センターに仲介を申請した。夫婦と子ども2人の家族の場合、月額140万円の慰謝料を求めるという驚くような要求である。どういう事情でこうなったのか、浪江町町長の馬場有氏は浪江町の現状の厳しさを、政府も誰もわかってくれていない、現状の厳しさの中には当然、放射能問題も入っていると述べた。氏は、浪江町全域が1ミリシーベルト以下になるまで除染してほしい、それができないなら、慰謝料での解決を求めるしかないというのだ。
非科学的な1ミリシーベルト神話が訴えの一要因になっているのは明らかだ。細野氏は「当事者意識」に溢れているかもしれないが、それだけでは解決にはならない。高市氏を批判するより、共に知恵を出し合って真の復興を進める力になるべきだ。それには、一ミリシーベルト神話の誤りを細野氏こそがいま認め、福島の人々の不安解消に努めるべきだ。