「 教科書問題にみる日本の危うさ 」
『GQ』 2001年7月号
COLUMN POLITICS
「新しい歴史教科書を作る会」による扶桑社出版の教科書の内容に、中国や韓国が再修正を求めてきている。日本の政治家の中にも民主党の鳩山由紀夫党首や、いまや話題の閣僚田中真紀子外相ら、扶桑社の教科書に批判的な人々がいる。
鳩山氏は扶桑社の教科書を“偏狭なナショナリズム”に基づくものと批判し、田中外相は“歴史をねじ曲げる”ものと断罪した。
この種の烈しい言葉が飛び交う中で、民主党1年生議員の小泉俊明氏が非常に興味深い調査をした。扶桑社の教科書と従来使われてきた日本の教科書の比較、及び、日本と諸外国の教科書の比較である。カバーした外国の教科書は、米、英、独、仏、豪、中、韓、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンなどである。
小泉議員の比較を読むと、むしろおかしいのは扶桑社の教科書ではなく、その他の、鳩山氏や田中真紀子氏が批判し断罪した教科書のほうだというのが見えてくる。
たとえば伊藤博文と安重根についてである。周知のように、日本の元勲であり、1909年当時枢密院議長だった伊藤博文は、ハルビン駅で安重根に暗殺された。1904年、日露戦争に辛うじて勝った日本は、ロシアの脅威を非常に恐れ、それが朝鮮半島を日本の支配下に置いた大きな理由のひとつだった。が、朝鮮半島の人々の支配者としての日本に対する憎しみは強く、伊藤博文を暗殺した安は、韓国では今も秀吉軍と戦った李舜臣と共に英雄である。
この安重根について、日本の従来の教科書はどう教えているか。教育出版社の中学社会歴史教科書は「掛軸のなぞ」として1頁を割いて記述した。
なぜか、この記述は徳富蘆花の記念館から始まる。教科書には蘆花の住んでいた家、書院の写真と共に、韓国の切手になった安重根の肖像と、蘆花の書院に掛けられていた安重根が書いた掛け軸の写真まで掲載されている。この掛軸について教育出版の教科書は次のように書いている。
「明治時代、日本による支配に抵抗し、当時の韓国統監府の責任者だった伊藤博文を射殺した安重根という人が書いたもの」
まず伊藤博文が「射殺」されたという記述のおかしさに気付く。政治的立場やイデオロギーの違いによる殺害行為は「暗殺」である。射殺と書けば、犯罪者やヤクザ同士の抗争と同じような意味合いになる。伊藤博文の死の位置づけとしては、政治的意味合いをこめて暗殺と書くべきではないか。
教育出版社の教科書はこのあと、なぜ蘆花が安の掛軸を所有していたかについて「安重根という人に、何か心ひかれるものを感じたからかもしれない」と書き、「暗殺犯」としての安重根への思い入れを表現している。そのうえで、「これから日本の歴史と世界とのかかわりを学んでいきながら、このことについても考えてみたい」と続けているのだ。
欠落しているのは、伊藤博文に関する説明と想いである。当時の日本のロシアへの恐怖感と中国に対する懸念も全く説明されていない。中露の両勢力と日本との関係について触れることなく伊藤博文の暗殺をこのような形で取り上げる背景には、安重根の暗殺行為を肯定し、その角度から歴史を考えようとする視点がある。つまり、この点において、教育出版の教科書は韓国の教科書であってもおかしくない内容なのだ。
同様の視点からであろう、韓国の教科書でサラリと触れられているか、又は全く取り上げられていない人々が逆に日本の従来の教科書で日本への抵抗運動の英雄として詳しく長く紹介されている。また、日本側の英雄は全くといってよい程、登場しない。フィンランドには、今も、「アドミラル・トーゴー」というビールがある。日露戦争で見事な戦いを指揮した連合艦隊司令長官東郷平八郎を讃えるビールである。
しかし、従来の日本の中学の教科書には、東郷は全く登場しない。小泉議員は「イギリスでネルソン、アメリカでアイゼンハワーを知らない中学生がいるだろうか」と反問しているが、私も同感である。おかしいのは、扶桑社以外の従来の教科書なのだ。