「 多大な支援を送ってくれた台湾に非礼で応えた外務省と民主党 」
『週刊ダイヤモンド』 2012年3月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 929
東日本大震災から一年、見えてきたのは日本外交、とりわけ対中外交崩壊の姿である。
外交の目的は国益の実現である。国益とは、日本人が日本の国柄や価値観に基づいた暮らしをすることができるように他国との関係を整え、日本人と日本国が不名誉な立場に立たされたり、生命、財産、領土、領海を奪われたり、権益を失ったりなどの害を受けないように守ることである。
どの国も自国の立場、価値観、利益を守るために全身全霊を傾けて外交を展開する。そのために、虚々実々の駆け引きが行われる。外交は武器なき戦いだといわれるのはそのためだ。
ところが民主党政権の外交はそうではないらしい。3月11日、大震災の一周年追悼式典で台湾代表として出席した台北駐日経済文化代表処の羅坤燦副代表を、政府は外国政府代表として遇さず、来賓席にも案内せず、企業関係者らと共に一般席に座らせた。各国代表は国名が読み上げられてから献花する「指名献花」を行ったが、台湾はそこからもはずされ、一般参加者と同じ形での献花となった。
一方、「産経新聞」によると、日本が国家として承認していないパレスチナ代表団は国家代表として扱われたという。台湾に対するなんという非礼か。台湾国民に対するなんという裏切りか。
台湾の人々が震災当時、どれだけ日本と日本人を応援したかは記憶に新しい。台湾からの支援は200億円、どの国の支援をもはるかに超える額だった。総人口2,300万人の台湾のこの義援金には、日本への真心が込められている。日本人は台湾の人々の親愛の情にどれほど慰められ、励まされたか。日本人が感じた深い恩と感謝を、よもや政府も忘れてはいまい。震災から1年の追悼式典は、これまでを振り返り、未来を見つめて、あらためて日本人の感謝を台湾の人々に示すよい機会だったはずだ。
この国民の思いをわが国外交に反映しなければならない理由は、前述のように、外交とは日本人が日本人らしく生きることが出来るように、ありとあらゆる努力で、日本の国柄を守る闘いであるからだ。価値観の大きく異なる国際社会の中で、日本人が日本人らしく生きることが非常な困難を伴うのは、歴史や靖国神社参拝に関して不条理な干渉と介入を続ける中国を見れば明らかだ。台湾を代表して式典に臨んだ羅氏を粗略に扱うことは、中国を恐れ中国に気兼ねすることだ。恐怖心故に恩を忘れることは、日本人の価値観に合わないことであり、むしろ日本の価値観に逆行する恥ずべきことだ。
同件について自民党の世耕弘成氏が12日の参議院予算委員会で追及した。野田佳彦首相は「深く反省したい」と答えたが、藤村修官房長官は、「外務省と内閣府で式典のやり方を十分に調整した」「外交団の仕分け基準は外務省にきちんとしたものが伝統的にある」と答弁した。つまり台湾の接遇に問題はなかったとして、首相とは180度異なる見解を述べたのである。
藤村氏は翌日の会見で再び同件に触れて、台湾を外交団のリストからはずして一般扱いにしたこと自体に問題はないと語った。
一体、外務省の基準がどれほどのものだと考えているのか。外務省基準に機械的に従うことが外交だと考えているのか。そんなことで、国家としての日本を守っていけるはずはない。
肝心の外務省は、北京の新しい大使館の使用許可を得るために新潟市と名古屋市の広大な土地を中国政府に売り渡すべく便宜を図ると事実上約束した口上書を、中国政府に差し出した役所である。歴代の首相を靖国神社から遠ざけることが中国外交だと心得ているような人々の集合体が外務省だと言ってよいだろう。民主党外交がそんな外務省の基準に従うだけなら、本当にこんな政府は存続する意味がない。