「 命がけの行動だったイラクの国民議会選挙 “投票率60%”が持つ重み 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年2月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 579
戦いと流血のすえに行なわれたイラクの国民議会選挙は大成功だったといってよい。投票率は約60%と伝えられたが、この数字の意味はきわめて重い。なんといっても、投票に行くのは文字どおり、命がけの行動だったからだ。
選挙が失敗し、米国にダメージを与えることを目論むテロリストたちは、投票に行く者は容赦なく殺すと宣言した。彼らの脅しのメッセージは広く伝えられたし、彼らの“本気”は、誰もが身に染みて知っている。にもかかわらず、60%もの人びとが投票所に足を運んだ。イラクの女性が、投票所に出かける危険について問われ、「そうした理不尽な危険を乗り越えるためにも、公正な選挙が必要です。イラクの未来のために投票しました」と語っていた。これは多くの有権者の思いでもあったはずだ。
日本のメディアのなかには、“60%”を評価せず、この選挙をきわめて素気(そっけ)なく伝えたところもあった。だが、ブッシュ大統領の中東政策への好悪の感情を軸にしたかのような報道は、間違いだろう。日本の国政選挙の投票率は、せいぜい50~60%である。日本と同程度、むしろ、日本より高めの投票率に込められたイラク国民の未来への願いを過小評価するのは、公正な報道ではない。
ただ、イラク情勢の安定には、これから多くの難問が待っている。選挙は第一歩にすぎない。これまでは、主な相手はテロリストたちだった。彼らには、イラクの一般国民の多くも反対の立場だ。したがって、ブッシュ政権にとっても、米国を支持する日本や英国にとっても、対テロリスト戦略は比較的見えやすい。
しかし、今後は、イラク国内のシーア派、スンニ派の勢力争いに加えて、アラブ諸国の競合という要素が加わってくる。アラブ諸国はおしなべて、スンニ派が人口の大多数を占める。多数派を形成していなくても、スンニ派が政権の中枢を占めている国が圧倒的に多いのだ。当然、新生イラクとの摩擦も予想される。
対照的に、シーア派が政権中枢に位置を占め、国論を左右する立場にあるのがイランである。聖職者の意見が、議会も大統領も凌駕してきたイランは、独自の核開発を進めることでも緊張の要因となっている。米国とは、融和よりも対立の構図に立つのがイランである。
また、アラブ諸国全体にとって、民主主義は新しい価値観だ。サウジアラビアでは、選挙さえも行なわれない。イラクで生まれた民主主義の芽がどのような影響をアラブ諸国に与え、それがどのような連鎖反応を起こしていくのかは容易に読めない。確かなことは、これまでの米国の政策よりは、はるかに繊細な注意深い対処が必要とされることだ。イラク国民の意思を尊重しつつ、民主主義が育っていくことを、アラブ諸国全体を念頭において後押しする賢い政策が必要になる。
その点で、日本が果たせる役割は非常に大きい。日本は米国に占領され、憲法も教育基本法も変えられた。いまだに私たちはその呪縛から逃れることができないでいる。だからこそ、その国の伝統的価値や国民性を尊重することの重要性を体験に照らし合わせて、主張することができる。
欧米の某研究所がイラク国内で行なった調査では、「イラク再建に役割を果たすべき国はどこか」との問いに、なんと26・4%が「日本」と答えた。2位の「米国」の20・4%よりも高い。また、半数以上の52・1%の人びとが、イラクの将来は「よい方向に向かっている」と答えた。困難はあるが、未来展望は明るいのだ。自衛隊の早期撤退を主張するよりも、日本がどのようなかたちでイラクを助けていくことができるかを、今、考えるべきだ。