「 『米中緊張』で求められる日本の自立 」
『週刊新潮』 2012年3月15日号
日本ルネッサンス拡大版 第501回
3月4日、中国全国人民代表大会の李肇星報道官は、2012年の国防予算が前年比11・2%増の2桁の伸び率となり、6,700億元強であると発表した。
円換算で約8兆7,000億と、日本の防衛費、4兆7,000億円を大きく上回る。しかも長年指摘されてきたように中国の実際の軍事予算は公表数字の2倍から3倍である。公表数字には2020年に完成を目指す中国独自の宇宙ステーションの開発費も、ステルス性の第5世代戦闘機の開発費も、空母建造費用も、含まれていない。
胡錦濤国家主席は10年間にわたる統治で国防予算を、公表ベースで02年の1,700億元から12年の6,700億元へと約4倍に増やしたのであり、この路線は、次に述べる理由で習近平氏に受けつがれるだろう。
中国共産党は1989年以来ほぼ四半世紀、たった1度の例外はあるが、ずっと軍事費2桁の伸び率を達成してきた。他に例のない異常な軍拡を、中国共産党傘下の新華社通信は3月4日配信の解説で次のように正当化した。「中国の国防費は合理的かつ適度な伸びを維持」という見出しで戦略専門家の言葉を引用し、書いている。「1840年から1世紀余り、中国人民は国防がなく、戦いを忘れれば危機に陥る苦汁をなめ尽くしており、強大な確固とした国防の確立を渇望し、簡単には得られない平和的発展の環境を一層大切にしている」
これが軍拡を正当化する中国人の心理だというのだ。
1840年はアヘン戦争を指す。清朝政府が英国の軍事力に圧倒されて屈辱的な南京条約の調印を迫られた。その後、米仏両国とも同様の条約を結ばされた。以降、中国は列強諸国の侵略を受け、苦汁をなめ尽くしたというこの主張は毛沢東以来だ。体験した苦渋の歴史的境遇ゆえ、中国は強大な軍事力の必要性を骨身に沁みて認識しているというのだ。
新華社はさらにこう解説する。「歴史的境遇」ゆえに「中国は永遠に世界の永続的平和と共同の繁栄の確固とした力」となる、と。
強大な軍事力を以て被害の歴史ゆえに軍拡するというのであれば、被害の記憶が消え去らない限り、軍拡は続くのである。
彼らは、軍事力を背景に、南シナ海と島々の8割以上を囲い込むいわゆる「9点破線」(9つの島々をつないだ線)が正式な海の境界だとも主張する。自国の島々と領海を中国に侵略されている東南アジア諸国からみれば、強大な軍事力は共同の繁栄のためだなどとの理屈は白々しい。
「永続的平和」、「共同の繁栄」という美しいスローガンが2桁台の伸び率と共に習近平副主席の訪米後に発表されたことは、これからの米中関係を見詰めるうえで深い意味がある。
2月14日からの訪米で、次期中国の指導者、習近平氏は驚くほど冷ややかに迎えられた。14日のオバマ大統領との会談では、わずか3年前、G2(米中二大国)が国際社会の秩序を決定すると論じたあの熱情は皆無だった。オバマ大統領は「米国は太平洋の一国」「太平洋諸国の一員として中国との関係を強化したい」と切り出した。太平洋を中国の海にはさせないとの意思を明確に表現したのだ。
中国の最大の弱点
「中国の平和的台頭」は歓迎するが、大国には世界経済のルールや人権問題などの重要な事案について負うべき責任があると、オバマ大統領が指摘したのとは対照的に、習副主席は両国関係の重要性を抽象的に語ったのみで、印象に残るメッセージも中国側の主張も発信し得ていない。
続いてバイデン副大統領及びクリントン国務長官主催の昼食会に臨んだ習副主席は、そこで非常に辛辣なスピーチに直面した。バイデン副大統領が極めて率直な批判を突きつけたのだ。
「米中は競合関係にある。競合こそ米国のDNAであり、米国民を奮い立たせる」と挑戦的ともいえる表現で、米国は協調もするが協調はあくまでも「公正になされて初めて互恵の果実を生み出す」と述べたのだ。中国に欠けているのは公正さだといったわけだ。
副大統領は中国が正すべきこととして、知的財産権、不当に安い為替レート、内外企業に公平に提供されるべき同等の競合条件、不当な最新技術の強制移転などを次々に指摘した。
「アメリカの外交の基本は人権擁護である」「人権を守ってこそ全ての社会の繁栄と安定が得られる」、然るに「中国の人権状況は悪化し、特に数名の人物の苦境は深刻化している」と厳しく述べたあと、副大統領は「これだけ考え方が違っていても」、米中は「北朝鮮、イラン、海洋の安全保障、サイバー攻撃、軍の交流」などについて、「協力中」であると語った。
米国政府は昨年、中国を念頭に、一定以上のサイバー攻撃は戦争と見做し反撃すると発表済みだ。そうした状況認識にも拘らず、イランやサイバー攻撃など、きわどい事柄も含めて協力中というのは、大いなる皮肉が込められていよう。
最後にバイデン副大統領は、スーダンと南アジア問題、気候変動と核兵器問題を習副主席に突きつけ、「貴方の率直な反応を聞きたい」と締めくくったが、歓迎のスピーチでここまであからさまな批判は珍しい。
習副主席は、オバマ大統領への返答とほぼ同じ無内容のスピーチを行ったが、人権問題について、「中国の人権状況は非常に改善された」「中国は中国のやり方で人権状況を改善する」と答えたのが新たな点だった。
習副主席は翌15日に民主、共和両党の上院院内総務と会い、その席で「人権事案は改善を続けるプロセスである。ベストはなく、ベターがあるだけだ」と弁明したが、人権問題こそ中国の最大の弱点である。
中国首脳は人権や民主主義について質されると、答えに窮するのが常である。彼ら自身、人権や民主主義を重要な価値観だと考えていないため、尋ねられても答えようがないのだ。だが、人権や民主主義、さらに国際経済における公正なルールなどは21世紀の世界の根底をなす価値観である。
米国が習副主席に突きつけた注文は、米中関係の緊張の原因であるだけでなく、世界を二分する価値基準だ。それは、日本が踏み出して主張しさえすれば、日本再生の絶好の機会となる。問われているのは、まさに日本の決意なのだ。
日米同盟依存だけでは…
米中関係の冷え込みが強く印象づけられた習訪米後に明らかにされた中国の大幅な軍事費の増加は、中国の米国に対する強い対抗意識の表れである。
シンクタンク「国家基本問題研究所」副理事長の田久保忠衛氏は、いまほど日本が長期的戦略的思考を磨かなければならないときはないと強調する。
「米中関係はいま険悪といってよいでしょう。しかし、米中関係の基本はあくまでも『関与』にあります。あらゆるレベルで交流を深めて、敵対することなく中国を民主主義国へと変質させていこうとするのが関与策です。米国の対中政策は関与と敵対的な防御(hedge)の間で揺れてきました。米中関係がどの方向に揺れても、日本は自力で立っていける国にならなければなりませんが、自立の覚悟さえ決めれば、国際情勢は日本にとって極めて有利であることが見えてきます」
2010年にチュニジアから始まったジャスミン革命は11年に入ってチュニジア、エジプト、リビアの長期独裁政権を倒した。現在、シリアに波及し、凄まじい戦闘が続くが、容赦ない弾圧で国民を虐殺し続けるアサド大統領を中国とロシアが必死に支えている。
国連安保理は2度、アサド政権に対する制裁決議案を可決しようとし、2度とも中露の拒否権で挫折した。
だが、民主化要求のデモはロシアにも波及した。ロシアの強権体制と似た者同士の中国首脳部は心底、肝を冷やしていることだろう。なんといっても中国では年間20万件近くの暴動が発生しているのである。100人以上の政府批判のデモや抗議が毎日500件から600件起きているのだ。怖れる理由は十分ある。
その中国の弱点に狙いを定めることが、日本にとっても米国にとっても活路を開く道だ。地球上で中国とロシア、その他少数の国を除けば、大半の国が、民主化の側にある。だからこそ、民主化の価値観で中国に迫り、同時に十分な軍事態勢の構築に向けて、オバマ政権は2011年の冬以来、明確な外交、安保政策の大転換を図った。
オバマ大統領は昨年11月16日、豪州北部の港町、ダーウィンへの海兵隊駐留を発表した。南シナ海、西太平洋、さらにはインド洋へと進出を続ける中国への備えである。
その直後、クリントン国務長官がミャンマーを訪問した。ミャンマーを民主化し、中国から引き剥がせば、ミャンマーの軍事政権と結んでミャンマーを拠点にアジアに勢力を伸長してきた中国の戦略は再調整を迫られる。アジアのパワーバランスを大きく変化させる強力な梃子に、ミャンマーはなるだろう。
ミャンマーの民主化は、隣接するチベットに影響を及ぼさずにはおかない。チベットの動きはウイグル、モンゴルに連鎖的に広がる。これこそ中国の恐れである。
中国に対して、アジア諸国はすでに米国を主軸とする体制作りに入った。日米に豪州、ニュージーランド、ASEAN、韓国にインドが連携し、軍事協力を進めてきた。
だが、いま、世界はもうひとつの深刻な問題に直面しつつある。イランの核である。イランの核保有を国家存亡の危機ととらえるイスラエルのイラン攻撃の可能性である。イスラエルのイラン攻撃で大きな地殻変動につながる国際紛争もあり得る。どの国も、まず、自国防衛の力をつけるべきときだ。日米同盟依存だけでは日本は危うい。野田政権がすべきことは、軍事力強化のための防衛予算増額である。次に日米同盟を機能させるための集団的自衛権の行使である。