「 拉致で正統派排除の動き 」
『週刊新潮』 2004年10月14日号
日本ルネッサンス 第136回
10月4日、警察庁で全国拉致容疑事案捜査担当課長会議が開かれた。警察庁が全国の公安課長と庁内の警備、鑑識、外事などの各課長を集めて、拉致問題に特化して行ったはじめての会議である。これまで、拉致問題の調査のために、警察がどのような捜査や調査を行ってきたかは必ずしも明らかではない。捜査や調査には秘密がつきまとい、公開出来ないことも多いからだ。しかし、特定失踪者の多くのケースを見れば、警察が拉致問題を積極的に捜査してきたとは言い難い。それだけに瀬川勝久警備局長が招集した今回の担当課長会議は、警察庁のやる気を反映したものといえる。
特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏は漆間(うるま)巌警察庁長官が拉致問題の捜査に前向きであることに加え、8月に瀬川氏が新警備局長に就任したことが今回の拉致問題課長会議につながったのではないかと語る。
「私たちの会では少なくとも31人が拉致されている可能性が高いと判断し、これらの人々のために一斉告発に踏み切ったばかりです。捜査権をもって拉致問題に取り組める機関は警察しかありません。私たちは家族と一緒にひたすら警察に頼むしかないのです」
姉のるみ子さんが拉致されたままの増元照明氏も語った。
「失踪者問題調査会ではこの31人の前に、寺越昭二、田中実、原敕晁の3氏について告発をしています。3人の場合は31人とは違って被疑者もはっきり分かっているのに、警察がどのように動いたのか、或いは動かなかったのか、全くわかりません。告発を受理して、そのまま放置し、塩漬けにしてしまうつもりかと疑われても仕方がないでしょう」
そのような状況下でのはじめての拉致課長会議である。関係者ならずとも期待するのは自然であろう。再び荒木氏が語る。
「警察が捜査を指揮し、被害の認定が進めば状況は変わる可能性があります。北朝鮮による拉致と正式に認定するのは官邸ですが、そこまで行くには警察の段階で十分な証拠がなければなりません。北朝鮮と国交正常化交渉を進めたい官邸が容易に拉致を認定するとは思えませんが、警察が動けば対外的に大きな意味を持ちます」
慰留されなかった中山参与
警備局長は訓示で、拉致問題で国民の期待に応えることが出来なければ「警察の鼎(かなえ)の軽重すらも問われかねない」と述べた。一連の拉致情報が救う会や家族会、失踪者問題調査会などの民間団体が掘り起こしてきたものであることを思えば、警察庁の動きは遅きに失したと言わざるを得ない。それでも4日の課長会議は拉致に取り組む意思を内外に公表したものだ。北朝鮮に対する明確なポーズであり、安易な妥協は日本の国民感情が許さないというメッセージになる。国家の役割を考えれば、この線からの撤退は金輪際許されないのだ。
横田早紀江さんが語った。
「私たち家族は、つとめて政治の動きに一喜一憂しないように自分を律してきました。そうしないと、心身ともに壊れてしまいそうな時がありますから。そう自戒していても、この頃の小泉さんのやり方には、本当に心が揺らぎそうになります」
警察の捜査は当然であり、前向きに考えたいが、官邸主導の北朝鮮政策についていけないというのだ。
「北朝鮮にいつもきっぱりと正論を言って下さった中山恭子さんが内閣参与をおやめになったことも理解出来ませんし、何があったのかと今も考えています」
9月28日に突然報じられた中山氏の辞任について、家族会には納得出来ている人はいないと横田滋さんも語った。
「私たちには事前に何の相談もありませんでした。それどころか9月27日、北京での日朝実務者協議から戻った斎木審議官らの報告を一緒に聞いたとき、中山さんは“これからも一所懸命やっていきましょう”と私たちと言い交わしたのです」
それが翌日にはマスメディアが辞任と伝えた。翌々日には小泉首相が殆ど慰留もせずに中山氏の辞任が決まった。中山氏は以前から原則論をきちんと主張する人だった。北朝鮮には「経済制裁の構え」をしっかりみせて交渉する必要性を指摘、現在の支援室は帰国した被害者の日本への適応への支援などだけでなく、特定失踪者問題も扱う拉致対策室への格上げが必要だとも言ってきた。
官邸は全く反応しないばかりか冷淡であり続けてきた。中山氏の不満が高まり、官邸が不快に思っていたであろうことは容易に想像がつく。
幕引きは許されない
「中山さんは物静かでしっかりした人だけに、言ってはいけないことはおっしゃいません。辞表を出した29日の午後1時20分に電話を頂きました。今官邸から戻ってきた、辞任が了承されたという報告でした。辞任の理由は、自分の役割は一段落した、ポストがなくてもこれまでどおり、拉致には関わっていくというものでした。ならば何故退くのか。到底納得出来ませんが、きっと私たちには言えない事情があるのでしょう。尋ねても恐らくおっしゃらない。それで私もそれ以上は立ち入りませんでした」と早紀江さんが語った。
余りの唐突さに中山参与は官邸から引導を渡された可能性があるとの見方さえある。北朝鮮が最も嫌がっている強硬派のひとりが中山参与で、官邸はだれよりも北朝鮮の主張に耳を傾けるからとの皮肉な見方だ。
続いてもう一人、北朝鮮から見ると強硬派になる斎木昭隆審議官の異動がほぼ確定と報じられた。信頼していただけに、家族会にとっては大きな衝撃だった。増元氏が語る。
「いやな予感がします。正論を言う人は皆、北朝鮮から見れば強硬派です。官邸主導で不透明な人脈を使い、前のめり外交に走るのではないか。残るのが山崎拓氏や田中均氏だとしたら、拉致問題は幕引きされます。姉のるみ子たちが置き去りにされてしまうようなことは許せないのです」
斎木審議官も、現職について約2年、異動しても通常の人事の範囲内と言われれば反論は難しい。けれど、彼らがいなくなったあとが怖いと早紀江さんが言う。
「外務省は、国民の運命を考えるという意味では愛も誠実さも熱情も不足している人が多いですから、後任にどんな人が来るのかが心配です。幸いにも新外相の町村信孝さんは、まず、国益を守ると言いました。国益は国民の利益です。子供たちを取りかえすのに経済制裁も考慮するという主旨を言いました。私たちはそれに期待するしかありません」
小泉政権が北との国交樹立を望んでも、核、ミサイル問題が解決されない限り、進展はあり得ない。焦って踏み込むと援助のただ取りをされかねない。そのことを官邸は過去の事例から学ぶべきだ。