「 原発抜きで日本は生き残れるのか 」
『週刊新潮』 2011年9月29日号
日本ルネッサンス 第478回
福島県川内村の遠藤雄幸村長は、9月13日からの村議会で、来年3月を目標に全村民を村に戻す計画を発表した。村民は約3,000名、内2,800人が避難生活中だ。野田政権では、細野豪志原発事故担当相が、「(除染を)すべての避難区域の市町村で行いたい。特に避難している人が多い地域は、国が前面に出る」「福島の将来は除染が進むかにかかっている」と語っている。除染により安全な生活空間を確保する努力を国と自治体で加速させることになる。
前福島県知事の佐藤栄佐久氏は、ひとつでも企業が川内村に戻ってくれれば村民の雇用が確保され、生活基盤が安定する、そのような方向に企業を促す施策が必要だと強調した。原発と地域の結びつきについて、前知事はこう語った。
「原発のある地域では、1家族につき1人が原発やその関連施設で働いていたといってよいでしょう。周辺の村でも2家族に1人くらいは勤めていました。ですから、脱原発となると、地域全体が生活基盤をどう再生していくのかをしっかり手当しなければ、故郷に戻っても暮らせなくなる可能性があります」
福島県は現知事の佐藤雄平氏が8月11日、復興ビジョンを正式に決定し、脱原発を発表した。原発立地の自治体が脱原発を正式に決定するのは初めてで、新たな雇用の創出と生活基盤の整備が切実な問題となる。
日本のエネルギーと産業、被災地の復旧と復興、経済と雇用の全体像は、果たして原発抜きで考えられるのだろうか。去る9月12日に国家基本問題研究所が行ったシンポジウム、「原発抜きで日本は生き残れるか」では、主として2つの点が浮き彫りになった。世界の原発技術の進歩の中で日本が占める位置の重要さが第1点、原発を運用する日本人の意識と専門性の欠如の深刻さが第2点である。
後ろ向きの議論
北海道大学大学院教授の奈良林直氏が語る。
「まず、日本の原発すべてが危ういように報道されていますが、そうではありません。東京電力福島第一原発(F1)の1号機から4号機は事故を起こしましたが、F1の北にある東北電力の女川原発は、大地震と大津波に耐えてきちんと生き残りました。地図で見るとわかるように、こちらの方が震源にもっと近かった。女川もF1同様、大地震と大津波に襲われたのに、なぜ大丈夫だったのか。それは津波への備えをしていたからです」
東北電力が東電よりも5メートル高い所に原発を立地させていたのは周知のとおりだ。奈良林氏は、マグニチュード9という、これまで日本を襲った地震の中でも最大規模の地震と津波に、兎にも角にも耐えたのが女川原発であること、それほどの技術が日本にあることを忘れて東電F1のみに焦点を当てて後ろ向きの議論をするのは間違いだと指摘する。そのうえで、いま、世界で建設されているのはF1とは構造が大きく異なり安全性も高い原発だと強調した。
「中国の上海は6基の新原発建設計画を打ち出し、建設が始まっています。導入されるのは最新のAP1000型、3・5世代の原発で、東芝が買収したウェスチングハウスの技術です。
ざっと説明しますと、建屋の最上部、格納容器の真上に大容量のプールを設け水を貯めておきます。事故発生でプールの水が自動的に落下し、格納容器の鉄板を外側から冷やします。格納容器内が高温になるとバルブが溶けて、そこから水が注入され、中の原子炉全体が水浸しになる仕組みです。原子炉が熱を発し続けるために水が沸騰し蒸発しますが、蒸気は格納容器の上部の鉄板にぶつかります。鉄板は外側から流水で冷やされているために蒸気も冷やされ水に戻ります。こうして外からの注水に頼らずに、原子炉内の水が循環することで、原子炉が徐々に冷やされていく仕組みです」
つまり、外部電源なしで原子炉を冷やせるのだ。F1と同じ状況に置かれても水素爆発もその後の事故も発生しないということを意味する。
上海で建設中のこの世界最先端の3・5世代型原発に較べて、F1はまさに世界で最も古い第1世代だったが、日本にも新型の原発はすでに導入されている。第3世代のABWR(改良型沸騰水型軽水炉)がそれで、柏崎に2基、浜岡に1基、島根に1基、石川県の志賀に1基、その他に青森の大間に1基、建設中である。
第3世代の原発の特徴で、福島原発との決定的な違いは事故のときに燃料を露出させない構造になっている点である。
「日本経済を下支え」
奈良林氏は、世界の技術革新の中で原発をとらえ、その技術革新にどれだけ日本が貢献しているかを、日本人こそが理解すべきだと強調する。
「AP1000は東芝が所有する技術です。また、日立、GEを中心とする国際プロジェクトで新しい自然循環型の圧力容器を開発しています。その最先端の原子炉圧力容器を、ノズルを含めて溶接なしで一体として作れるのは日本製鋼所だけです。ですからフランスや米国など、どの国が受注しても、大型の原子炉圧力容器を作るのは、結局、日本企業なのです。日本が脱原発の立場をとれば、こうした技術も守れなくなります。脱原発で技術開発を終わらせるのでなく、さらに優れた技術の創出に挑み、最先端の位置を守り、裾野の広い原発産業で日本経済を下支えすることが重要です」
技術が優れていても、それでも事故は起きたと批判するのが、佐藤前知事である。前知事は環境、原発問題をはじめ重要政策の多くで国と戦ってきた。前知事は『知事抹殺--つくられた福島県汚職事件』(平凡社)で、こう書いている。
「原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専権事項」「その意を受けた原子力委員会の力が大きい」「原子力委員会の実態は、霞ヶ関ががっちり握っている」
だが、原子力委員会はつとに指摘されていた津波に関して問題意識を抱かず、原子力安全・保安院の中にも専門家がいなかったことが、今回明らかになった。前知事はこのことを含めて日本の原発行政は「完全無責任体制」の中で推移してきたと批判する。
前知事はまた、政府も東電も、原発の安全性を強調するあまり、知事や住民に対しても偽りを述べ騙すことも敢えて辞さない体質だと批判する。
その政府に最も依存し、政府の無責任を自らの無責任を覆い隠す盾に使ってきたのが東電である。
秀逸な技術を活かして、日本の経済基盤を支え、世界のエネルギー供給にも貢献するには、なんといっても専門家と良質な人材の育成が急がれるということだ。F1事故が人災だったとの自覚こそ必要だ。