今も続く中国のチベット人への凄まじい拷問と弾圧
『週刊ダイヤモンド』 2011年9月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 904
〈故郷のほうを向いて/短い真実の歌を歌うよ/風よ、私たちに気づいたなら/この歌を故郷に運んでおくれ/つらい思いをしている父よ、母よ、どうか悲しまないで/再会の日はきっと巡りくる〉
これは、ダプチ刑務所にとらわれていたチベットの尼僧14人が獄中で秘かに歌った多くの歌の一つである。彼女らが録音したテープは外部に持ち出され、獄外のチベット人に、さらに国際社会に、知られることになった。ダプチ刑務所はチベット人政治犯拘留の中心施設で、ピーク時には520余人(うち女性が250人、その中に多くの尼僧がいた)を収容していた。拷問の残忍さから中国一の悪名高い刑務所としても知られている(『暗闇に差した光──ダプチ刑務所の14人』チベット女性協会編、亀田浩史訳)。
80ページほどの同書は、理由もなく逮捕された尼僧の記録である。
ダライ・ラマ法王14世がノーベル平和賞を受賞した1989年、中国政府は天安門で人民解放軍を出動させて、政府発表でも319人の市民を殺害した。自由と民主主義を求めただけで、漢人でも殺される。チベット人などのいわゆる少数民族はなおさらである。
チベット自治区の区都ラサ西方の小さな村で生まれたフンツォク・ニドロンさんは17歳でメチュングリ尼僧院に入った。法王14世の受賞で街には喜びと祝福が溢れ、多くの人びとが通りに出た。彼女もその一人だった。が、彼女は突然、5人の尼僧とともに逮捕され、15年間、拘留された。
「刑務所は想像を絶する拷問の連続でした。鉄パイプや電気棒での殴打は日常茶飯でした。入獄してひと月後、彼らは靴を作る工作機械の針で私の爪に穴を通しました」と、彼女は語る。
私は以前、中国には約50種の少数民族への拷問の方法があり、その一つが上に紹介した方法だと聞いていたが、実際にその拷問を受けた人の体験談に接したのは初めてだ。改めて中国の弾圧の凄まじさを実感する。
ンガワン・サングドルさんは89年8月、ダライ・ラマ法王の夏の宮殿、ノルブリンカ宮殿前で非暴力のデモに参加して逮捕された。わずか13歳だった。彼女は語る。
「彼らは鉄パイプと電気棒で殴り、裸の電気ワイヤーを私の舌に当てました。私を後ろ手に縛り天井から吊しました。激痛を伴う『飛行機』拷問です」
13歳の幼さでも、拷問の対象外とはならないのだ。しかし、彼らもさすがに13歳の尼僧を長期間拘留することはせず、9ヵ月後に解放した。その間に父も兄も逮捕され、母は死亡していた。そして彼女は釈放2年後の92年、15歳で再び逮捕された。
「6ヵ月半、独房に閉じ込められました。冬のあいだ、毎日、シャツ一枚で雪の中庭に直立不動の姿勢を取らされ、少しでも動くと殴打が待っていました」
生命の危機に瀕したンガワンさんを助けるために、第三房の87人の囚人全員がハンストに入った。ようやく5日目に人民武装警察はンガワンさんへの殴打をやめるといって譲歩した。
彼女は98年5月1日のメーデーのことも語る。
「全員が中庭に出され、人民武装警察に殴られました。彼らは2時間、電気棒と金属製のベルトのバックルで、殴り続け、一面、血の海になりました」
凄まじい集団拷問はたびたび行われ、翌月には22歳から28歳の5人の尼僧が死亡した。その他の多くのチベット人女性も死亡した。刑期を終えて出獄した女性たちも後遺症に苦しむ。
チベット女性協会が出版したもう一冊、『尋問の記憶──あるチベット人女性の証言』は著名なチベット人歌手のジャミアン・キ氏がつい、3年ほど前に体験した拷問の記録である。華々しい経済成長を続け、軍事力を拡大し、大国意識を振りまく中国は、現在も異民族への虐待をやめていないのである。