「 武士道の国の自衛官 」
『週刊新潮』 2004年2月19日号
日本ルネッサンス 第104回
「日本人らしく誠実に心をこめ、武士道の国の自衛官らしく規律正しく堂々と取り組みます」
陸上自衛隊イラク派遣本隊隊長の番匠幸一郎一等陸佐の言葉を、私は感銘をもって受けとめた。
自らを厳しく律し、恥を知り、責任を全うすることを重んずる武士道の心を、私たち日本人は戦後久しく忘れ去ってきた。だが、新渡戸稲造博士の著した『武士道』によって、その心は初めて言葉を通して表現された。以来、日本の武士道は国境を越え、多くの人々の心を揺り動かしてきた。
台湾の李登輝前総統は、自信を失って変わり果てようとする現代の日本人に、“新渡戸先生の武士道精神を取り戻せ”とエールを送り、「ラスト・サムライ」を作ったトム・クルーズは武士道に魅せられ、新渡戸博士の著書を“何十回となく”繰り返し読んだと述べている。
番匠隊長の言葉は2月1日、北海道旭川市で行われた陸上自衛隊の隊旗授与記念式典の際に語られたものだ。式で石破茂防衛庁長官から隊旗を授与された番匠隊長の表情は、一瞬、別人かと思うほどだった。「アンパンマン」の愛称からも想像されるように、番匠一佐は穏やかな、或いは明るい笑顔が特徴の人物だ。顔一杯の笑顔はその愛称に相応しく、部下からの信頼も厚い。その人物の、別人かと見まごうばかりの厳しい表情が、今回の自衛隊イラク派遣の重要さを象徴していた。
旭川に拠点を置く第2師団の隊員を軸とするイラク・サマワでの任務は、陸自の約600名に空自、海自の3自衛隊が、日本国と日本人の代表として取り組む。だが、副隊長の藤原修二等陸佐らが、すでにサマワ入りしたいま、私たちは彼らが日本を代表して任務についていることをどれだけ明確に認識しているだろうか。戦車の専門家である藤原副隊長は、報道陣に“女房も頑張って、と言っておりました”と語っていた。私たちは、全ての隊員とその全家族に、真に日本代表として任地で頑張るための正当な根拠をどれだけ目に見える形で表現し、伝えているだろうか。
他国に護衛される自衛隊
防衛政策全体の構造や関連法規は、自衛隊員が気の毒なほど不十分だ。大きな枠組みで言えば、日本の防衛計画の大綱は米ソ冷戦に対処する形で、米国の補完勢力としての特徴を備えて策定された。米軍を軸として初めて自衛隊の力が最大限に活用される形は、米軍なしにはこの国を守ることも容易ではないことを示している。日本の防衛力整備は、外敵侵入時に、米軍が到着し助けてくれるまでの間持ちこたえる、最小限の軍事力を持つことを基調としてきた。
だが、そんな政策は冷戦の終結と共に大きな壁に直面、冷戦終結による国際情勢の流動化によって、これまで考えてもみなかった海外への自衛隊派遣という課題を突きつけられたのだ。国内の安全を確保するにも多くの規制があって、自衛隊の手足が縛られているときに、海外で十分な活動が出来るのか。答えは「ノー」である。
番匠隊長以下、隊員を送り出すのに、私たちはまだ、彼らを軍として扱うことさえしていない。自衛隊が軍として振る舞うことを禁じられているのに対し、外国では、テロリストも含めて、当然、自衛隊を軍とみる。警察と同じ基準を適用され、軍としての行動がとれない自衛隊は、万が一の危機のときには、大きなハンディを背負うことになる。よく指摘される事例が正当防衛問題である。
攻撃されるとの危機を感じても、自衛隊は先方から攻撃されるまで応戦出来ないのだ。先に撃てば、殺人罪にも問われかねない。手足を縛られた状況に加えて集団的自衛権も行使出来ない。クウェートに着いた自衛隊がサマワに向かうのに、なぜ、オランダ軍に護衛してもらわなければならないのか。理由は、「集団的自衛権はあっても、その権利を行使してはならない」という理解を超えた内閣法制局の憲法解釈があるからだ。自衛隊を護衛するオランダ軍が攻撃されても、自衛隊は共に戦うことを許されず、ひとり退去せよというが、私たちはそのような不名誉を是とするだろうか。
政府は自衛隊を援護せよ
一連の歪な制約は、自衛隊員らの身を危険に晒すだけでなく、すでに痛ましい犠牲を出した。奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官である。
現地の日本大使館が、現地の警備会社に警備されているのは周知のとおりだ。が、各国の大使館はその国の軍が護るのが国際社会の常識である。日本のみ、自衛隊の海外派遣が厳しく禁じられ、大使館の館員の護衛さえ、お金で雇う外国のガードマンに依存してこざるを得なかった。
奥大使と井ノ上一等書記官を喪って何が変わったのか。基本的に何も変わってはいない。そんな状況の下、自衛隊が赴くサマワの状況は容易ではない。サマワは比較的安全な地域だとされてきた。しかしテロリズムはいつでも状況を一変させる。
サマワではイスラム教導師のアルワエリ師が自衛隊の保護を呼びかける宗教令(ファトワ)を出した。自衛隊の支援を成功させて、安定を取り戻したいとの期待感が強いのだ。が、テロリストは逆に考える。自衛隊の復興支援の成功は、イラク国内の混乱と、その結果の米英など外国勢力の撤退こそが好ましいテロリストたちにとって許されないことだ。結果、自衛隊へのテロ攻撃の危険は高まりかねない。
また、サマワの人々が望んでいる雇用の創出やインフラ整備は自衛隊の手に負えない課題である。過度の期待は、裏切られたとき、日本と自衛隊への反動となって噴き出る。
かつて塩野七生さんが、軍人は軍人としての能力に、政治家と外交官の能力を併せ持てという主旨を語っておられた。軍事力という、最後の選択としての国権を行使する立場の者は、政治家よりもなお、政治の意味を考え、外交官よりもなお、武力行使以前の解決の法を考えよという意味であろう。番匠隊長の「武士道の国の自衛官」という誇り高くも潔い言葉にこめられた意味も、同様であろうと思う。
しかし、サマワの期待を数百名の自衛官の肩にのみ置くのは、正しい判断でも可能な解決法でもない。日本政府が強力に前面に出て、日本の出来ることと出来ないことを、現地の部族長にきちんと伝えることだ。日本政府と自衛官が行おうとしている貢献の種類と規模を説明し、過度の期待をおさえる責務は政府及び外交当局者にある。
イラク人がフセインの拘束を基本的に極めて好感しているのは世論調査でも明らかだ。日本の復興支援を、テロリストから、平和と安定を望む一般のイラク国民を切り離す手だてとするために、武士道の国の自衛官への全面的なバックアップを、政府は全力で行わなければならない。