「 国交省案で『民営化の危機』 近藤新総裁の『早過ぎる変節 」
『週刊新潮』 2003年12月11日号
日本ルネッサンス 第96回
改革路線の堅持を約した第二次小泉内閣。首相は「改革への決意は揺るがない」と強調するが、目玉の道路公団民営化論議も一向に進展がない。民営化推進委員会の意見書はこの1年間棚上げされ、その一方で、このほど国交省は建設推進の独自案を提出。追い討ちをかけるように近藤剛公団新総裁の発言も後退した。改革の原点を忘れた議論に、ジャーナリスト・櫻井よしこが警鐘を鳴らす。
「国交省の案は、民営化といっているけれども、道路公団の名前を変えるだけのものにすぎない。私たち民営化委員会の意見を完全に無視するものです」
道路関係4公団民営化推進委員会の委員長代理、田中一昭氏が憤った。同じく川本裕子委員も批判した。
「言語道断だと思います。国交省案のうち2つの案は、我々が昨年から委員会で百数十時間かけて練り上げてきた思想から大きく逸脱しています」
両氏が激しく反発した国土交通省の道路関係4公団の民営化法案は、11月28日に、ようやく提出された。昨年12月の委員会の意見書を受けて小泉首相が国交省に作成を命じてから、ほぼ丸1年間棚上げされた末に、明らかにされたものだ。
提出された3案に民営化委員会の意見書に沿った内容の案は入っているが、残り2案は道路を作り続けたい国交省の欲望丸出しだ。
1番目の案をA案とすると、A案は民営化委員会の考えに基本的に沿った内容だ。公団の資産と債務を引きつぐ「保有・債務返済機構」は民営化された新会社に道路をリースし、新会社は料金収入の大半を機構に払う。機構はリース料収入で債務を返済する。新会社は新たな高速道路の建設も出来るが、資金は金融市場で自ら調達する。料金収入を充てることは許されないので、採算性が厳しく問われ、新会社の実力と現実の需要以上の道路建設には歯止めがかけられる。
次の案、B案は新たな高速道路建設の資金は新会社が調達するが、道路が完成した後、機構がそれを買い取る仕組だ。採算がとれるか否かに関係なく確実に機構が買い取ることは、政府が保証することを意味し、民営化とは程遠い。
3番目のC案はもっと露骨に高速道路建設に傾いた内容だ。機構が新会社から受けとるリース料の一部を直接、新会社の建設資金に充てるもので、民営化委員会で烈しい議論を経て否定されたスキームだ。BC両案なら道路建設は基本的にこれまでと同じ構図の中で進むことになる。
民営化委員会の議論のなかで多数決で否定され、消し去られてきたはずの案が復活し、改めて提出されたことに関して、田中氏は石原伸晃国交大臣を強く批判した。
「国交省も石原大臣も厚顔無恥です。我々委員会は、なぜ、今井氏が辞任するほど頑張ったのか。この種の法案に道路公団を委ねてはならないと考えたからです。行革大臣として我々の議論をずっと聞いて知っている石原大臣が、あんな案を国交省から出させたことは、まさに厚顔無恥。また、我々と共に議論してきた猪瀬氏が石原大臣にぴったり寄り添い続けるのですから、事態は複雑です」
世の中に改革の旗手であるかのように受けとめられている猪瀬直樹氏への批判も強い。氏は国交省3案について11月29日、フジテレビの番組『ワッツ!? ニッポン』でこう語っている。
「A案からB案までが民営化委員会の意見書を反映している。C案は、当時今井(敬)委員長と中村(英夫)委員が推薦していた案」
民営化委員会としてはどうなのかと問われ、猪瀬氏は「だからB案を、限りなくA案に近づけながら、B案をどういうふうに現実的に歯止めをかけるかということ」と答えている。
氏は小誌の取材にも「A案とB案の接点を探っていきたい。これが僕の3案への見解です」と述べた。
AB両案が民営化委員会の意見書を反映するとの氏の解説を、B案は委員会が葬り去った案だとして、真っ向から否定するのが川本氏だ。
「B案では新会社が建設した道路資産は機構が買い取ります。しかし、その道路が採算を取れるかどうかは分かりません。ですから建設資金の融資には政府の保証がつくでしょう。意見書でも機構の解散時までに限り、政府保証をつけることは認めています。けれど、それは過渡期の資金調達への配慮です。不採算路線の建設のためではありません。民営化と自動的な政府保証による融資は二律背反で、受け容れられる考え方ではありません。委員会の多数決で捨てたB案と、それより露骨なC案がなぜ復活したのか。非常に不思議です」
無視された「民営化委案」
田中氏や川本氏らが猛烈に反発する内容の法案を、国交省はぎりぎりのタイミングで出してきた。国交省案を議論し、民営化に相応しい法案に変えていくには時間が要る。12月中旬に最終決定、来年1月の通常国会に提出という切羽詰まった出し方は、時間切れの中で、十分な議論をさせないことを狙った官僚たちの狡猾な計算だ。民営化委員会の意見書に反して、所定の9,342キロまでの建設を可能にする法案を前に、道路公団新総裁の近藤剛氏は、どう対処するのか。
その存在を余り知られていなかった近藤新総裁だが、就任直後からの発言のぶれの大きさには驚かざるを得ない。複雑な道路問題を学ぶ過程で、発言が揺れることは当然あるだろう。だが、新総裁のそれは、国交省寄りに主張を変え、節を曲げたと批判されても仕方がないほどのものだ。民間企業で役員を経験し、財界代表で政界入りした人物らしからぬ経営の根本に関する考え方の変化は、どのようにしておこったのか。氏の発言を辿ってみる。
11月20日、総裁に就任した日、公団職員を前にして、氏は「私は絶望的な未来を見るためにここにいるのではありません」と力強く語った。道路公団が生まれ変わるために、「経営の自律性」などを強調し、「波風立てずに無難に」の事なかれ主義は「やめて頂きたい」と述べた。江戸時代の松代藩の財政立て直しにならって「一切嘘をつかない」ことを職員に求め、自らも誓った。
新総裁としての高揚ぶりを感じさせる挨拶をした氏は6日後の26日、参議院予算委員会で、極めて重要な事を述べた。江田五月議員の質問に答えて国会の場ではじめて、新総裁としての固い決意を表明したのだ。
氏は、基本的に民営化委員会の意見に可能な限り沿った民営化を実現すると述べ、なかでも「大変重要だと認識している点が2点」あると言明したのだ。
「まず、(新会社は)上下一体でなければならないと私自身固く信じております。したがいまして、過渡的には分離であって一向に差し支えない。しかしながら最終的な姿としては上下一体でないとならない」
「新会社の自主判断を最大限確保する。これがまた大変重要なことだろうと考えております」
思わず国会中継の画面を凝視した瞬間だった。新総裁が断言したことは、民営化が本物になり得るかどうかの分岐点でもあるからだ。民営化委員会でも、上下一体か分離かは大きな争点だった。上下一体論を主張したのは田中、川本、大宅映子の3氏、上下分離は今井敬委員長、中村英夫、猪瀬、松田昌士の各氏だった。
先に触れたように上下分離は4公団の資産と債務を機構が保有し、民営化会社は道路施設を機構からリースして高速料金の収受を担う形だ。だが、資産も負債もない会社には利益を生み出す動機も、より良い経営へのインセンティブもない。資産も負債もゼロなら、株主にも、金融市場にも相手にされない。そのような民営化は名目だけの民営化で、小泉首相が期待した将来の株式上場も無理である。
近藤氏は、そのような会社では駄目だと言ったことになる。会社に資産も負債ももたせて、責任ある経営をさせよと言っているのだ。民営化委員会の意見書は、10年を目処に資産を機構から買い戻すとした。買い戻したときにはじめて民営化が始まるのであり、それまでの10年間は民営化ではない状況が続く。近藤氏の言葉は、10年といわず早期に会社に資産を買い戻すことの重要性を訴えていたともとれる。
上下分離は新会社に自律的経営権を与えないだけでなく、道路行政の権限をいつまでも手中に残しておきたい国交省や族議員らの思惑に沿うものだ。道路資産を保有する機構の下で、新会社は子会社のような位置に甘んじなければならず、官僚の天下り先がひとつふえるようなものだ。
近藤氏の発言は、上下分離によって生じるこの種の問題を意識した極めて明確な意思表示だと思われた。小泉政権の改革の旗を鮮やかに掲げたと思われた発言でもあった。
後退を続ける新総裁
が、わずか2日後、状況がガラリと変わった。11月28日、『ニュースステーション』に出演した氏は明らかに論を後退させたのだ。
「一体化といってもね、それ(道路)を所有するということが絶対の条件なのかといえば必ずしもそうではない」「所有しなくてもですね、事実上の一体化の方法は沢山ありますから」「えーと、例えばね、自由に営業出来る権利を頂くとかね」
近藤氏の発言全体を読み返すと、言葉の端々に、ためらいの影が落ちている。28日夜の近藤氏の発言は、興味深いことに、上下分離を主張し道路資産を所有しなくても独占的使用権があればよいという猪瀬氏らの考え方と極めて似通っている。一体なにがあったのか。政治評論家の屋山太郎氏が語る。
「『朝日新聞』が報じましたが、その日の昼に、近藤氏は石原国交相と会っています。そこで何が話し合われたかは知りませんが、その日を境に、近藤発言は反転し、ニュース番組での腰砕け発言になっています。わずか2日で発言撤回です。彼は参議院議員を辞め、財界から総反発を食らい、退路を断った。もはや、受け皿はない。特殊法人の総裁である氏が手腕を発揮するには、小泉改革の大義に基づいて国交省ともやり合わなければならない。攻めに出なければ本省の命令ひとつで全てを決められてしまう立場なのですから」
だが、近藤氏の後退は、これにとどまらなかった。12月1日、自民党本部で道路調査会の検討委員会が開かれ、民営化委員会の意見書を否定する意見がまとめられた。高速道路は公共財であり、民間会社に所有させるのは相応しくないとの理由で、新会社が将来高速道路資産を買い戻すことに反対する意見だ。道路はあくまでも渡さないという考えだ。
同委員会に参考人として出席した近藤氏はこの意見に同調した。「所有していなくても、所有しているかの如く判断権が与えられれば、実態的に上下一体と言える」と述べた旨、報じられた。
資産を他者に握られてそれを借りて運用するだけなら、表現は悪いが雇われ社長にすぎない。?自律的経営判断?など出来ようがない。上下一体の主張をはっきりと取り下げた氏は、『ニュースステーション』に出演する前日、マスコミ各社の取材に応じ、公共財の所有について、実は、次のように語っていたのだ。
「公共性の高い資産の民間保有はあり得ないわけではない。現に鉄道、電力、ガス事業は民有である。公共性が高いものは民間会社が行ってはいけないということが正しいとは思わない」
近藤氏が、28日の昼食の席で石原国交相とその取り巻きに説得されたであろうことは十分に想像がつく。氏が、非常な重みがあるはずの国会での発言をわずか2日で撤回し、自分の発言に責任も持てない人物だとしたら、道路公団の改革は無理だろう。そのような人物に、既得権益と決別し、厳しい政治的圧力に耐えることが出来るとは思えない。
国鉄改革に詳しい屋山氏が語った。
「旧国鉄改革が成功したのは、改革案の作成に着手したと同時に新規工事をストップし、新規工事は全て新会社に任せたからです。新幹線も当初は上下分離でしたが、4年半後にJR各社が保有機構から新幹線を買い取り、上下一体にしました。上下分離では経営が成功しないことが判ったからで、上下一体にすることはこれほど重要なことなのです。小泉首相はJRの例に学んで道路の民営化を目指したはず。ならば、この国交省案を差し戻し、法案を根本から作り変えさせることです。さもなければ道路改革は失敗すると考えます」
変節は国民への裏切り
民営化委員会は設置法に基づいて作られ、その意見は尊重されなければならないと、田中氏が強調する。
「国交省案は、道路は作り続けるという前提に立ち、我々委員会の意見を蔑ろにし、小泉首相の改革をも無視するものです。委員会の中にも同じような動きがあります。あと2,000キロの道路を建設するには約20兆円が要る。それを2割削減して16兆円とし、内3兆円分を民営化前の2年間に建設する。残り13兆円の内、3兆円は国と地方自治体が負担する新直轄方式で建設する。最後の10兆はコストを3割削れば7兆円で出来る。これなら大幅なコスト削減で小泉首相の顔も立つという類の主張をする委員もいます。紙の上の計算は道路官僚の手法と同じです。民間会社は、あくまでも不必要な道路は作らないという原則を守るべきです。道路建設を民間会社の叡智で決めるのか、役所の命令で決めるのか。両者間には、大きな違いがあります。上意下達で良いのなら、民営化の必要はないのです」
氏は民営化委員会の意見を法案に盛り込むことなどが聞き入れられなければ委員会の存在意義は失われたとして、重大な決意をすると述べた。
近藤氏が、道路族や国交大臣やその同調者の意見に沿って民営化とはいえない民営化を進めるとしたら、現行の道路公団方式よりも更に事態は悪化しかねない。機構は公的機関であり、機構が建設資金を出せば、国の意向が大きく反映される。その中で道路の建設が進み、国と機構と新会社による3段構えの責任所在の曖昧化につながるからだ。
総裁の早すぎる変節の下での改革は、改革に見せかけた誤魔化しに終わる可能性が早くも見えてきた。