「 安部裁判・初めての患者証言 」
『週刊新潮』 2003年10月9日号
日本ルネッサンス 第87回
安部英元帝京大学副学長を被告人とする薬害エイズ刑事法廷で、はじめて患者に証言の機会が与えられた。
安部氏無罪の判決を下した東京地裁永井敏雄裁判長の審理では、血友病専門医らの証言が重視され、患者の視点がほぼ抜け落ちていた。
控訴審が進行中の東京高裁では、被害患者の証言を聞くなど、地裁で尽くされなかった点が審理され、ようやく、司法の公平性が担保されようとしている。
9月18日、血友病A患者で凝固第8因子の活性が1%以下の重症患者である大平勝美氏が証言した。氏は患者組織、はばたき福祉事業団の理事長を務めている。
1949年生まれの氏は子供の頃から週2~3回の頻度で関節内出血を繰り返してきた。小学5年生の頃には頭蓋内出血をおこし、命が危ないと言われた。だが、全て、輸血で完治した。1960年当時は、血液製剤はなかったが、後遺症はない。
氏が初めて血液製剤を使用したのは1965年、東大の安部英氏らの下でのことだ。このときの血液製剤はAHGとよばれる、クリオ製剤よりもひと世代前のものだ。以来、大平氏は関節内出血があっても入院したことがない。
血友病治療の歴史の中で、出血の痛みから解放してくれたAHGを得たことは、「画期的な出来事」だったと述べた大平氏に検察官が問うた。
──消化器官や腹膜内の出血をAHFで治療した経験はありますか。
「3回ぐらいあります」
──AHFで止血が出来ないというような支障や後遺症はありましたか。
「全くありませんでした」
AHFはAHGのあとに出たミドリ十字のクリオ製剤のことだ。クリオ製剤は血友病の止血効果が十分ではない、したがってHIV感染をひきおこした非加熱濃縮製剤を処方し続けたからといって、安部医師の責任は問えないとした一審での判断を、大平氏は、患者としての体験に基づいて否定したのだ。氏が語った。
「血友病の治療が、本当に出来るんだというのがAHGの登場で(示された)、それが私にとって一番大きな出来事でした。クリオ製剤で自己注射が出来るようになったことは、社会生活の幅が広がったという点で(血友病治療の)第2の転換点というふうに考えました」
クリオ製剤の効能や利便性は、一審判決が強調した非加熱濃縮製剤の効能や利便性に較べて遜色はないということを強烈にアピールしたくだりだ。同製剤の自己注射は83年2月に保険が適用された。医師の勧めもあって、同製剤の使用はふえていったが、大平氏は92年まで、クリオ製剤での治療を続けた。例外は緊急用と旅行時のみだった。コンパクトだったため旅行先に携帯したが、氏はこれらの“例外対応”での非加熱濃縮製剤の使用でHIVに感染した。
非加熱製剤の恐怖
クリオ製剤を治療の軸にしていた大平氏らにとって、エイズ研究班の血液製剤問題小委員会の報告書は納得がいかない内容だった。同報告はクリオ製剤では、「頻度の高い関節内出血、筋肉内出血を含めた種々の出血」は「確実な治療が不可能」としたのだ。氏が語った。
「(私の認識と)全く一致していません」「クリオで十分。私も含めて仲間はきちっと治療をしてきて、生きてきて、そして社会生活をしてきたわけなんです。もし、これ(クリオ製剤)で治療が不可能だとしたら、私の存在もありませんし、多くの仲間の存在もなかったわけです。ですからこれは本当に、大変事実と反する報告だと思っています」
クリオ製剤は「アレルギー反応が比較的多く、循環血漿量の増加、フィブリノーゲンの増加及び溶血の問題がある」という報告書の指摘も氏は否定した。
氏自身、1970年から22年間使用して、体がポッと熱くなった程度のアレルギー反応が1度出たきりだからだ。
その大平氏は、1984年8月、非加熱濃縮製剤の恐怖を実感することになる。
全国血友病患者会総会が奈良で開催され、久し振りに会った先輩が激やせしていたのだ。本人は以前から体調不調の原因にHIVを疑い、そのことを口にも出していた。友人の面変わりはエイズの危機が身近に迫っていることを実感させた。友人は翌春に亡くなり、大平氏は背中を押されるように以前にまして行動を起こした。
84年11月、安部氏主催の第4回国際血友病治療学シンポジウムに出向き、安部氏に告げた。
「私はクリオで自己注射をしていますよ」
クリオで十分治療出来ていると安部氏に言ったのだ。安部氏がクリオ製剤に反対の立場であることを知ったうえでの発言は、血友病専門医の重鎮安部氏に、その強大な影響力を行使してクリオ使用の方向で他の専門医たちに話してほしいと考えたからだという。
会場での安部氏は大層機嫌がよく、「クリオの良さは十分よく知っている」と述べたそうだ。
血友病の権威の驕り
85年3月21日、『朝日新聞』が安部氏の患者2名のエイズ死と帝京大の安部氏の患者の半数近くがHIVに感染している事実を報じた。
「朝日の記事、それ以前の83年、84年の情報を見て、(エイズは)私たちと同じ治療を受けている血友病患者全体に広がっていくと思いました」
「死の病」と受けとめられていたHIVに半数近くが感染していることを知って、「血友病患者の多くが日本からいなくなってしまう」とも感じたという。
氏の言葉は、当時のHIVに対する恐れを生々しく想起させ、発症率や感染率でHIVを語ることの無意味さをも浮き彫りにした。
「1回しか治療しないのに感染した患者さんもいます。家庭療法で子供さんの治療をしていたお母さんが針刺し事故で感染し亡くなった例もあります」と大平氏。
安部氏弁護人らが1回の注射による感染率は0・何%であり、確率は低いと強調するのは無意味だと告げる証言だ。
高裁の河邉義正裁判長の下で、初めて法廷に立った薬害エイズ被害患者は、淡々とした証言を通じて、クリオ製剤中心の治療で、患者はしっかり生きてくることが出来ていたことを裁判長に示した。それはまた、「非加熱製剤によって高い治療効果をあげることとエイズの予防に万全を期すことは、容易に両立し難い関係にあった」と決めつけた一審の永井裁判長らの判決の前提が間違いであることをも、明確に示していた。
安部氏は、2人の患者がエイズで亡くなっていく姿を眼前にしていた。眼前の患者ひとりひとりを救うことに、血友病の権威として君臨した安部氏はなぜもっと力を尽くさなかったのかと質す証言でもあった。