「 事実を歪曲する中国の独自思想 」
『週刊新潮』 2010年11月4日号
日本ルネッサンス 第434回
事実を曲げて強硬な主張をする厄介な隣人、中国を、私たちはどのように理解すべきか。
〈尖閣諸島は中国領だ、東シナ海は中国の海だ、尖閣周辺の中国の領海内で日本の海上保安庁の船が中国の漁船を取り囲んだ、日本側が体当たりして衝突事件を起こした〉
中華人民共和国はこう主張する。彼らにとって、事実は問題ではなく、彼らが主張することが事実なのだ。主張と現実が異なれば、主張に合わせるべく 現実を変えようとする。だから、日本がどれほど尖閣諸島は明治の時代から日本の領土で、かつて248人もの日本人が居住していたと説明しても、海保の船に体当たりしたのは中国の漁船で、そもそもその海は日本の領海だと説明しても、中国政府も国民も聞く耳を持たない。
私はこれまで、このような中国人の思考を中華帝国主義と呼んできた。他方、金谷譲(じょう)氏はそもそも、中国人は古代から現在まで「物の理(ことわり)」を理解出来ない人々だと説明する。「理」が通じないために、「理」によって外交問題を処理しようとする日本や欧米諸国と往々にして摩擦を起こしがちだというのだ。
ちなみに金谷氏は、シンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)の客員研究員である。英語、ロシア語、中国語に通じ、『中国人と日本人 ホンネの対話』、『チベットの核』など、多くの著訳書を世に問うてきた。その人物が『中国はなぜ「軍拡」「膨張」「恫喝」をやめないのか』(文藝春秋) の中で、中国人の思考の特徴について、興味深い分析を行った。
中国に科学的で民主的な思考が根付かないのは、彼らの思考の中で「倫理」と「物理」が基本的に未分化だからだというのだ。仮説をたてて推論し、それを実験によって検証するという自然科学的思考様式が彼らの中に存在しないというのである。
であれば、中国人には科学的発想、つまり、宇宙の森羅万象を客観的、理性的に考えることが出来にくいということになる。中国共産党の掲げる国家目標は「科学的発展観」に基づいて、「人民を根本とする」「持続可能な均衡」ある国をつくることだ。では、彼らの言う「科学的発展」の科学とは何を 意味するのだろうか。
結果責任ではなく心情倫理
日本人も欧米人も、科学といえばほぼ自動的に自然科学、物理や数学、実証可能な思考を考えるだろう。だが、中国の「科学的発展」の科学は「社会科学」を指すと金谷氏はいう。さらに踏み込めば、それは「マルクス主義」だともいう。中国の問題は、社会の体制や規範としてのマルクス主義と、自然法則としての科学を同一視していることなのだ。
学問の遅れた前時代的なこの知的混濁がどのようにして現代中国にまで続くのか。以下、氏の分析である。
共産革命後の現代中国の思想はマルクス主義だが、革命前の伝統的な王朝中国の思想は「儒教」だった。儒教では、人間は倫理的行動によって自然法則を左右出来ると考える。そこから結果責任ではなく、心情倫理を重視する思考が生まれる。動機が善なら、結果に拘らずその行為は讃えられ、動機が悪なら結果如何に拘らず評価されないという類だ。
好例が2005年の反日デモで若者たちが唱えた「愛国無罪」だった。正義は中国にあり、中国人は正しいのだから、何をしてもよい、反対に日本は 「本質的に」「野蛮な」「軍国主義」の民族だから、やることはすべて悪だという考え方だ。
知的混濁の中にあった儒教的な清朝中国は、1840年のアヘン戦争によって変化を迫られた。日本の鎖国が黒船来航で打ち破られたように、中国でも列強による攻勢を機に洋務運動と呼ばれる最初の近代化運動が始まった。これは中国の伝統や思想を保ったまま、兵器や機械の輸入だけで近代化を達成し、従来の清王朝の専制体制を強化し存続させることを目的としていた。清朝の中国人は、近代化を軍備の近代化としてのみ、とらえたのだ。
だが、洋務運動は、中国より遅れて開国した日本に日清戦争で敗れることで破綻した。
清朝中国の真の改革派は若き光緒帝だった。革新思想家の康有為(コウユウイ)らが、27歳の皇帝を支え、変法運動を起こした。彼らは、兵器や機械、製作技術といった形あるものの導入に関心を払うだけで、それら文明の利器を生み出した西洋文明やその社会や文化体制について、ほとんど無関心だったことが洋務運動失敗の原因と見て、文明の利器を生んだ考え方や価値観をこそ導入しようとした。古代以来の中国の社会・文化体制を変えようとしたわけである。
安易な同調は譲歩につながる
彼らのお手本となったのが明治維新であり、まさに変法運動の先駆だった。福沢諭吉は『文明論之概略』で、文明を発展させなければ一国の独立は保てないと強調している。欧米にあって東洋にないものは、軍艦や巨砲など、形あるものだけではないとして、先進文明の利器を造る技術が確立されていないのは、国の文明が育っていないからだと説いた。東洋にない二つのものとして、数理学(数学と物理)と独立心を挙げて、日本人に西洋の自然科学の学びと自立心の育成を説いた。
光緒帝らはシナを日本のように立憲君主国にする夢を描いたが、試みはわずか百日で伯母の西太后ら保守派に阻まれ、失敗した。光緒帝は西太后に10年間いびられ、死亡した。
以後、中国は清朝打倒に向かったが、このプロセスで、変法運動の精神は失われ、光緒帝らが否定した儒教的価値観が残った。こうして、科学を、自然科学ではなく、社会科学として認識する非科学的思考が中国の一般常識として定着していったと、金谷氏は指摘するのだ。
10月8日にノーベル平和賞受賞が決まった劉暁波氏も『現代中国知識人批判』(徳間書店)で同様のことを言っている。劉氏は、「中国の『実用理性』と西洋の実用精神にはなんの共通点もない」と書き、西洋の理は、事実を真理の検証の基準とするが、その際、「ただ真実であるか否かを問うだけで、政治的利益と道徳的善悪を問わない。真実が宗教的タブーや権威の意志に反するとき、真実が政治的権力や道徳規範および社会常識と衝突するとき、実証主義の精神は真実だけに従う」と強調している。
「中国の『実用理性』は、事実や真実と向き合うことを最も嫌」うことを特徴とし、それは「ただ政治権力と道徳規範だけに従う」とも、劉氏は書いた。
日中のみならず、中国との相互理解は非常に難しい。安易な同調が譲歩につながることは明らかで、心して対処しなければならない。
金谷論文を載せた前掲書は国基研の中国研究をまとめたものだ。国基研も中国研究も、日本国の未来の危うさへの危機感から生まれた。一読の面白さがあると思い、お薦めする。