「 鈴木宗男はロシアにひれ伏す 」
『文藝春秋』 2002年4月号
大特集 苦悶する宰相
二島先行返還という暴論。とんだ国益の代弁者だ
田中真紀子前外相が思う存分好き勝手なことを言い、鈴木宗男議員が限りなく灰色の姿を見せたのが2月20日の衆院予算委員会での参考人質疑だった。
両者に共通する際立った特徴の第一は、どうみても不正直かつ不誠実であることだ。第二に国会議員もしくは閣僚として担うべき日本の国益を、大いに損ねている点だ。たとえば鈴木氏である。
「正確にお答えします」「明確にしておきます」「はっきりさせておきます」
――氏がこんな言葉を前置きにして語れば語るほど、物事の実態が隠され、説明と事実が乖離していくと感じるのは、氏の言行不一致が透視されるからだ。
自らを叩きあげと呼ぶだけあって、氏は実に精力的だ。恐らく情にも厚いのであろう。選挙区の根室管内に在住する北方領土の元島民に心を寄せ、北方領土問題を民族の悲願としてライフワークとしたいと語ったときには、うっすらと涙が浮かんでいた。アフリカ諸国の飢餓や貧困に関連しておなかの膨れた栄養不良の子どもたちのために尽力したいと語った口調は熱かった。
だが、本来は高く評価すべきそうした氏の決意表明も、額面どおりに受けとるわけにはいかない。
私が氏の言動に愕然としたのは2000年7月の野中広務氏の発言に端を発した、一連の連鎖反応を見たときだ。
野中氏が日露間に横たわる北方領土問題について「ひとつの前提を解決しなければ友好条約はあり得ないという考えではなしに、並行して領土問題を考えていくことだ」と7月27日の講演の中で発言した旨、報じられた。
この発言はロシア問題専門家の間を電撃のように走った。なぜなら野中氏の提案は、従来の日本政府の対ソ、対露外交の基本から大きく外れることを意味したからだ。日本側は従来四島の返還と平和条約の締結は一体のものと考えてきた。国会でも四島返還要求は全会一致で繰り返されてきた。だが、野中氏は北方四島の返還と日露友好条約締結を分離して並行協議しようと言ったわけで、日本のロシア外交の大転換を意味していたのだ。しかもこの大転換は、日本外交の年来の苦労を一瞬のうちに消し去る、益なくして害のみ多いものと分析された。
野中氏は後に「領土問題と平和条約交渉を分離したものという一部報道があるが、真意ではない」と弁明したが、当時、この野中発言を「重く受けとめた」と明言した人々がいる。外務官僚たちである。明言したのは東郷和彦(当時・欧亜局長)、川島裕(同・事務次官)の両氏である。
彼らは外交のプロでありながら、国益を損ねる野中発言にブレーキをかけることもせず、なぜ、容易に“重く受けとめる”などと論評したのか。
外務省中枢部に近い人物が匿名で語った。
「野中発言の直後、鈴木宗男さんがすぐに外務省に電話をしてきて、野中発言に関してはコメントするな、取材され質問されたときは、『重く受けとめる』と言えと指示したのです」
鈴木氏が外務省に強い影響力をもつという具体的事例が垣間見えたわけだが、それにしてもなぜ、東郷、川島両氏ら外務省高官は、外相でもない鈴木宗男氏の言葉に羊のように大人しく従うのか。別の関係者が語った。
「鈴木さんの口グセは、大声で言う『誰のおかげか!』です。東郷さんも『誰のおかげで欧亜局長になれたんだ!』と言われていた。人一倍出世欲の強かった東郷さんは鈴木の言葉に従うことで保身をはかり出世しようとしたのです」
現在オランダ大使になっている東郷氏は鈴木氏の言葉に常に全面的に従った。たとえば、ロシア関係の電報を鈴木氏が見たいといって外務省に要求した折り、担当責任者は、鈴木氏が機密にあたる資料を見るべき立場にないとして拒否。面罵されながらもこの人物が拒否を貫くと、東郷氏が電報の写しを入手し鈴木氏に渡したという
「この類の事例は枚挙に暇がないのです。省内の心ある者たちは鈴木氏の手下になり果てた東郷氏らを苦々しく思っています」と、先の人物は語る。
鈴木氏のもうひとつの口グセは「平場でやろう」というものだ。自民党の部会で吊るしあげるぞという意味だという。
党の部会に呼びつけて鈴木氏が一言問題提起する。すると氏に同調する特定の議員らが激しく論じ、斬り込み隊の役割を果たす。最後に鈴木氏が議論をまとめる形でひきとるパターンだ。
「気の弱い人間なら、この“平場”での自民党議員の激しい議論やつっ込みにさらされて引いてしまいます。こうして鈴木支配が強まっていったと思います」
プーチンとサシで会談
こうして、外務省内の北方領土問題に関する主張の変化は、目立って明らかになっていく。
戦後の北方領土問題は1956年の日ソ共同宣言から始まる。同宣言第九項には「歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」ただし「平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と明記されている。
当時、ソ連が上の二島返還を申し出たのを日本側は四島を求めて対立した。その結果残り二島の問題は平和条約の継続交渉の中で解決するという含みだった。
つまり、歯舞、色丹の返還は既定のこととされたのだ。この二島は再び交渉したり合意したりしなければならないことではなく、国後、択捉の返還についてのみ、平和条約の締結交渉の中で話し合えばよい状況がつくられたのが56年だった。
その後、73年の田中・ブレジネフ会談で領土問題は二島でなく四島問題だと確認された。さらに20年後の93年にはエリツィン大統領が来日し、四島は歯舞、色丹、国後、択捉であると固有名詞を書き入れた。このあたりまでの日本の対ソ、対露外交は基本戦略からぶれることなく、しっかりしていた。だが問題はこの数年のことである。対露外交はその歴史の中で固めてきた四島一括返還の立場と、二島先行返還を主張する立場に分裂していき、大きく迷走を始めたのだ。背景には明らかに鈴木氏の影があり、氏は二島先行返還論を主張した。
2000年9月に来日したプーチン大統領は東京・元赤坂の迎賓館で鈴木氏と30分にわたって会談した。いかに鈴木氏のロシアコネクションが強いかを見せつけた会談だった。誰もが“おっ”と驚いた会談でもある。
プーチンとの並々ならぬ親密さを見せつけた鈴木氏は、その“力”を背景に政界にも大きな影響力を行使していく。
典型的なエピソードがある。2001年2月20日の自民党外交調査会で党総務局長の鈴木氏が橋本龍太郎氏を批判したのだ。かつての総理で沖縄・北方担当大臣として入閣していた橋本氏が北方領土交渉の政府方針を「四島一括返還」と説明したのに対し、鈴木氏は「時計の針を逆に戻すもの」と批判した。
鈴木氏は「四島一括返還という言葉は政府は91年秋から使用していない」との立場から、橋本発言は「ロシア側に誤ったメッセージを送ることになる」と憤った。河野洋平外相が橋本発言は「許容限度内」と語ったことについても、鈴木氏は厳しい批判を展開した。
鈴木ラインに傾く日露関係の中で、河野外相がロシア側から屈辱的な扱いを受けたのもこの頃だった。同年1月にモスクワを訪れイワノフ外相と会談した河野氏は、領土問題は四島返還が前提だと当然の主張をした。鈴木氏の唱える二島先行返還論や野中氏の領土問題と平和条約交渉の切り離しの可能性などを期待していたであろうロシア側は明らかに不快感を抱いたと思われる。外相同士の話し合いは順調にはいかず、河野氏は森首相とプーチン大統領の首脳会談の日程に関して、前代未聞の恥をかかされることになった。河野氏は首脳会談は2月25日に決定したと記者発表して帰国の途についたのだが、帰国してみるとその日程はなんとキャンセルされていたのだ。
ロシア側がロシアに不利な主張をする人々を退け、有利な主張の人々を厚遇する構図の中でこの一連の動きはおきた。
その後首脳会談は改めて3月25日に決定され、森首相がイルクーツクを訪れた。この時、森首相がとった立場は56年の日ソ共同宣言を文書によって確認するという馬鹿気たものだった。一気に45年間も歴史を逆戻りさせたのだ。日本にとって歯舞、色丹両島の返還は既定のはずである。ロシアは両島返還について法的義務を負っている。にもかかわらずなぜ、こんなことを議題にしたのか。
「時計の針を逆に戻すもの」とはまさにこのことだ。そしてその背景には東郷氏がいて、さらにそのうしろには鈴木氏がいた。
先の外務省関係者も「鈴木さんの息のかかった東郷さんらが、外交に無知な森首相に働きかけた」結果だと語る。
国益に反する男
鈴木氏は2001年5月29日の産経新聞でこう語っている。
「私の選挙区は北方四島の目の前で、元島民も高齢化しており、ひとつでもふたつでも島が早く返るならそうしてほしいというのが本音。冷戦時代の論理を繰り返して何も進まないより一歩でも二歩でも進めたいと思ってやっている」
耳ざわりのよい主張である。だがロシア通の鈴木氏なればこそ、二島先行返還論こそがロシアの望みであることを知っているはずだ。森首相の訪問以降、ロシアは日本与し易しとみて矢継ぎ早に強硬論を打ち出した。
会談直後の昨年4月4日、ロシュコフ外務次官が歯舞、色丹両島の引き渡しで領土問題は最終決着と発言。4月19日、サハリン州議会は四島返還反対声明を採択、5月11日、サハリン州を管轄するプリコフスキー全権代表が「些細な譲歩も許されない」と語り、ロシアの上院、下院両議長が「日本への譲歩はロシアの直面する種々の領土問題が大きな危機を抱え込むことになる」と発言した。
こうした発言を受けて5月末、ロシュコフ外務次官は、二島返還での決着に踏み込もうとしているロシアは大きな一歩を踏み出したのであり、日本も同様の柔軟性を発揮すべきだと述べた。六月にはパノフ駐日大使も「二島ずつの協議がよい。最も現実的だ」と語った。
鈴木氏とロシア側の歩調は双子のようにぴったり一致する。しかしその中で、日本の国益だけが著しく阻害されていく。
日露関係はたしかに遅々として進まない。しかし、領土問題で目先の利を追えば追うほど、ロシア側の思うツボにはまっていく。日本側は今、こちらから動いてはならないのだ。ロシア側からの動きを冷静に分析し動きを待つべきなのだ。
73年にソ連が日本に接近して二島ではなく四島問題だと認めたのは米中両国が接近し、ソ連が国際的孤立を恐れたからだ。93年のロシアの譲歩は、ソ連が崩壊した状況下で援助を必要としていたからだ。プーチンのロシアもまた、非常なる援助を必要としている。そのプーチン大統領と、特別に30分間面談して、鈴木氏は一体、何を語り合ったのか。日本国の政治家ならば、日本の国益をこそ考えよ。
日露関係の変化を追ってみると鈴木氏の私益には通じても日本の国益に反する事例が見えてくる。連日のように報じられる不当不法な氏の行動を国会は十分に調査し、必要ならば議員辞職を求めよ。さらに必要ならば刑事告発にも踏み切ることだ。そこまで自浄してはじめて外務省と政治の立ち直りが始まる。