「 日本で暗躍するロシア人スパイを描く『秘匿捜査』に実名で登場の鈴木宗男氏 」
『週刊ダイヤモンド』 2009年6月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 793
一見平和でのどかな日本で、日々、熾烈なスパイ活動が進行中だ。安全と水はタダなどと表現される日本人の思い込みとは裏腹に、情報工作員らを相手にした闘いの実態はきわめて厳しい。
その一端を描いた竹内明氏の『ドキュメント 秘匿捜査』(講談社)は、日本でうごめくロシア人スパイたち、彼らに取り込まれ情報提供する日本人たちの姿に焦点を当てる。
氏はテレビ局勤務の記者である。「諜報戦への国民の関心を喚起したい」との思いから、8年間、100人近くへの取材を重ねた。ノンフィクションとして完成させた同書だが、日本の情報機関で働く男たち、および彼らの監視対象となった人びとの多くが仮名で登場する。実名で登場するのはロシア人スパイたちとごく少数の日本人である。
日本外交のなかでも、ロシア外交にはとりわけ暗い影がつきまとう。日露関係自体が他のいかなる国との外交と比べても、多くの問題を含んでいる。
日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に攻め込んだ旧ソ連軍、日本人女性への蛮行、60万人とも70万人ともいわれる軍人ら日本人男性の強制抑留とおびただしい犠牲、北方四島の不法占拠。これらすべてについて、非も認めず開き直ってきたのがロシアである。
現在でも、サハリン2のプロジェクトのように、国際契約の条件を突然変え、経営権を奪い取る。国益追求に当たって、他国なら、それでも考慮するような表面的繕いや理論武装にさえ気をつかわず、力で押してくるのがロシアである。わかりやすいといえばわかりやすく、粗野といえば粗野である。
近年、そのロシアを日本の外交カードとして、対中国、対米国に活用すべしと主張する人びとがいる。むろん日露関係もよいほうがよい。だが、ロシアがどれほど信頼出来る国かについて冷徹な分析を忘れてはならない。日露関係緊密化を主張する人びとには、1945年8月の敗戦に至るまでの日ソ交渉、ソ連に終戦の仲介を頼った日本への回答が8月9日の対日参戦だったことを、忘れないでほしい。
『秘匿捜査』には複数のスパイ事件が登場するが、SVR(ロシア対外諜報庁)のボリス・V・スミルノフをめぐる「あまりにも不条理な出来事」(120ページ)には、思わず注目した。
ロシア人スパイで、東京から米国に亡命した人物にレフチェンコという人物がいた。有楽町の外国特派員協会のメンバーで、彼の亡命は、記者クラブの記者仲間でも大きな話題となった。スミルノフの名前はその「レフチェンコ証言」に登場する。彼は「レフチェンコの前任者として、政治家や新聞社幹部ら11人のエージェントを運営して、対日工作にあたっていた」のだ。
その大物スパイのスミルノフが98年9月、2度目の東京赴任を果たした。表向きは外交官だが、実質はSVRの東京「駐在部長」だったという。
警視庁外事一課は彼を「強制追尾」の対象とした。背後にピッタリと張り付く手法で、摘発された元KGB機関員のプレオブラジェンスキーが、回顧録で「ソ連のスパイなら誰でも夢にまでうなされる」と書いたほどの効果があったと、竹内氏は書いている。
だが、強制追尾は、突然、国会議員からの電話が発端で、中止された。竹内氏はこう書いている。
「オモテ班員(強制追尾をする警視庁外事一課の班員)はすぐにピンと来た。その国会議員の名も、そしてスミルノフと国会議員を仲介しているある人物のことも」
さらに、氏はこう記した。「電話の主は鈴木宗男だった」と。
ロシアスパイ、熾烈な情報戦、国益をかけた闘い。そのなかで、命を落とした人も、落としそうになった人もいる。竹内氏は、事実の記述にとどめ、それ以上の踏み込みはしていない。それは同書を手に取る読者一人ひとりの知的洞察に任されているということだ。