「 “後出し”判決文の大いなる矛盾 薬害エイズ裁判批判 」
『中央公論』 2002年1月号
判決宣告の後に作られる判決文
薬害エイズ事件で安部英・元帝京大学副学長を無罪とする判決文は8月8日に出された。3月28日に無罪判決と判決要旨が出されてから四ヵ月以上が経っていた。今回改めて内容を検討すると驚くべき点がいくつも目についた。
まず、第一の驚きはそのタイミングの遅さである。なぜ、判決言い渡しから判決文まで四ヵ月以上もかかるのか。374頁にのぼる判決文を手にして感ずるのは、日本の司法のあり方への制度的な疑問である。
民事訴訟では、判決の言い渡しは判決書の原本に基づいて行われ、判決宣告時に判決文ができていなければならない。法律には素人であっても、これは筋が通っていると思う。
一方、刑事訴訟では状況は異なる。判決は宣告によって発効し、上訴期間も宣告の日から数えられるが、判例によって判決文は判決言い渡しのときに作成されている必要はないのだ。
上の判例は昭和25年11月17日の最高裁判所によって示されたが、法律の素人は素朴な疑問を抱く。上訴は判決に不服があってのことだ。司法の場では日常生活では考えられないような微細なことも正確に書かなければならない。にもかかわらず、不服申し立ての基である判決文がなかなか出されてこないとき、上訴する的確な理由をどう構築すればよいのか。
現在、刑事訴訟では判決言い渡しより判決文が遅れるのが常態となっているが、その基となったのが上の最高裁判例である。
だが、それも次のように書いている。
「もとより判決は、その宣告するところと判決書に記載するところと異なることがないように、判決宣告の際に判決書が作成されていることが望ましいことであり、殊に本件のように判決宣告後40日を経て判決書が作成されることは、妥当とは言えないが、それだからといって直ちに右判決を違法であるということはできない」
直ちに違法ではないが、判決宣告と判決文は同時であってほしいと言っているのだ。さらに「40日」の遅れは「妥当とは言えない」といっている。この判例の主旨からいえば、判決文が遅れる現状は改めるべきなのだ。
にもかかわらず、安部氏への無罪の判決文は40日どころか、133日間も遅れて出された。担当判事の永井敏雄、上田哲裁判官らは松村明仁元厚生省生物製剤課長の一審裁判も担当したが、こちらのケースでも松村氏有罪の判決文は、9月28日の判決言い渡しから2ヵ月が過ぎているにもかかわらず、11月26日現在、未だ出されていない。
長すぎる裁判が被害者を苦しめる
四角四面な法律論でいえば、「迅速な裁判を受ける権利」は、刑事被告人のために作られた条文であり、安部氏への無罪判決文が迅速に出されなくとも、判決が無罪である以上、安部氏の不利益になるわけではないとの説明も成り立つ。しかし、迅速な裁判を受ける権利は、被告人にのみあるわけではない。被害者にも同じ権利が認められて当然である。
刑法の精神も近年急速に変わりつつある。加害者保護に重点をおき、被害者保護の法律を欠いてきた現状は、厳しく批判されている。「犯罪被害者の会」は「犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、専ら国家、社会の秩序維持という公益を図るためのものであって、被害者の被害の回復を目的とするものではない」という最高裁の判断に異を唱えた。
国家、社会を構成するのはひとりひとりの人間である。生身の人間の集合体である社会や国家の秩序は、人間の心を守ったうえに構築されていなければならない。心や想いを踏みにじった末の秩序だとしたら、そんな秩序になんの意味があるのかと、被害者らは訴える。
またオウム真理教の一連の犯罪の被害者らは、遅々として進まない麻原の裁判に強い批判を寄せている。裁判のプロセスは、被害者にとって被害の苦しみをもう一度辿るようなものである。しかし、犯罪がなぜ発生したのか、自分はどのように傷つけられたのか、事実を知ることによって被害者の心は悲しみの中にも、少しずつ立ち直っていくことができる。にもかかわらず、被告人の権利のためとはいえ、長すぎる裁判が被害者の権利を結果として侵しているのではないかというのだ。
薬害エイズ事件でも同じである。迅速な裁判を行ってもらう権利は、被告人だけでなく、被害者にもある。
そう考えれば永井裁判長の判決文提出の時期はあまりにも遅く、被害者の権利への配慮に欠ける。一体、先進法治国家で、判決から4ヵ月以上が過ぎて漸く判決文を出して許されるような国があるだろうか。この遅さ自体、司法におけるプロフェッショナリズムの欠落である。
メディアへの反論で、矛盾が拡大
次に判決文の内容である。どう読んでも、無罪判決に対する種々の批判を意識して書いたのではないかと推測せざるを得ない部分がある。平たくいえば後出しジャンケンの印象を抱かせられるのだ。具体例の第一が「通常の血友病専門医」についての説明である。
判決言い渡しと同時に出された判決要旨はその61頁の「被告人の本件刑事責任」の部分で「本件において刑事責任が問われるのは、通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれれば、およそそのような判断はしないはずであるのに、利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる」とした。
テレビ報道も、全国紙の報道や社説も、多くが安部氏を「通常の血友病専門医」と同列視した裁判所の判断基準に疑問を唱えた。
たとえば、「この判決には割り切れなさがつきまとう。それは安部被告が単なる一人の医師というのではなく、当時の血友病の最高権威であり、大学病院の第一内科長という事実上の最高責任者であり、しかも厚生省研究班のトップでもあったという立場を考えるからである」と3月29日の『日経』社説は書いた。
同日の『毎日』も社説で「安部元副学長は“日本の血栓止血学の父”と呼ばれた権威で、厚生省エイズ研究班の班長なども務め、厚生行政を左右する立場にあった。……後進と同列に扱って援護するのでは著しく公平性を欠くのではないか」と批判した。
また『毎日』は28日夕刊で「判決は、当時の医学界の一般的な知識を持ち出して予見可能性を否定する元副学長の『論理のすり替え』を追認しただけではないか」と野沢和弘記者の署名入り解説記事で報じた。
この点について判決文は305頁で「本件においては、……『通常の血友病専門医』の注意能力が基準になるものと考えられる」と、書いた。
「なお、ここでいう『血友病専門医』は(中略)大学病院や専門性の高い医療施設に所属して専門医としての立場から血友病の診断を行うほか、その専門分野については自ら先端的研究を行って、医学雑誌に論文を発表するような医師であって、一般開業医を始めとする内科あるいは小児科の単なる臨床医よりも専門性が高いと考えられる医師の類型である」
これは永井氏らの考え方を凝縮したような興味深い記述である。「通常の血友病専門医」といえば全国津々浦々で血友病の治療をしている医師をさすと考えるのが常識だ。だからこそ、そのような通常の医師と、エイズ研究班の班長まで務め、最高権威であると永井裁判長も認めた安部氏を同列に置くのはおかしいとの批判が巻き起こった。そうした批判へのこれが答えだと考えられる。だが、この補充説明ないし反論によって、判決要旨にみられた矛盾はさらに拡大される結果となった。拡大された特徴の第一は、裁判官が血友病治療の現場をほとんど知らないということだ。永井裁判長のいう「単なる臨床医」は、安部氏が持っていた類の情報は、持ってはいなかった。それでも、米国でHIVが出現し、血友病患者が含まれていると分かったときから非加熱製剤の使用を極力排してきた医師もいるのである。
川崎幸(かわさきさいわい)クリニック院長の杉山孝博氏は、血友病の専門医ではないため永井判決の定義に従えば内科あるいは小児科の単なる臨床医の一人である。杉山医師はHIVについての米国情報が伝わってきたとき、5000人から1万人もの血漿をプールしてつくる非加熱製剤の危険性を強く感じ、自分の患者への投与は余程のことがない限り控えた。杉山医師の患者、仁科豊氏は、杉山医師から、
「非加熱製剤を使うときは覚悟して使うように」と言われたことを思い出すという。
「それだけ杉山先生は非加熱製剤を警戒していたのです」と仁科氏は語る。
安部氏が刑事責任を問われた裁判の被害者は、今は亡き水上健伍さん(仮名)だ。彼は手首関節内出血に2000単位という量の非加熱製剤を打たれ、HIVに感染し亡くなった。“単なる臨床医”の杉山医師は、手首関節内出血という血友病の出血症状のなかでも最も軽い症状をどう治療するだろうか。2000単位もの非加熱製剤を処方するだろうか。
「まずあり得ません」と杉山医師は述べた。せいぜい100単位か200単位のクリオ製剤を投与するケースだという。仁科氏の自覚もあり、杉山医師の血液製剤に対する警戒もあり、仁科氏はHIV感染を免れた。「単なる臨床医」の下で患者はよりよく守られていたのだ。
こうしてみると、「先端的研究を行って、医学の雑誌に論文を発表するような医師」と区別して「単なる臨床医」などと表現するのは、いかにも臨床医を見下した不適切な言い方である。安部氏をはじめとする先端的研究をする医師たちは、患者の不安や訴えに耳を貸さなかった医師たちである。非加熱製剤が危ないのではないかと恐れる患者たちに思い過ごしだなどと告げた人々である。そのような専門医の頂点に安部医師がいた。
明らかに偏っている証言採用
判決文は判決要旨に見られた臨床医寄りの、つまり安部氏寄りの姿勢を、より鮮明にしつつ、次にストックホルム会議について書き込んでいる。
1983年6月から7月にかけてストックホルムで開催されたWFH(世界血友病連盟)の会議は、安部氏が非加熱製剤を主軸とする現在の治療法のままでよい、と主張した有力な根拠のひとつとなった。WFH総会の決定であるから、日本も非加熱製剤の使用を継続したという主張は、取材で幾度も聞かされた。
非加熱製剤継続使用のお墨付きとして安部氏が日本に紹介したストックホルム総会について、判決文は33頁以降および337頁以降で、「当時、血友病に関する一番レベルの高い国際学会である」(長尾大医師)や、「信頼できる価値ある情報が集約されている」(安部氏の一番弟子だった風間睦美医師)などの証言を引用して、同総会を高く評価し、「治療法は変えなくて良いという結論だった」という安部医師の見方を認めた。
永井裁判長はこの決議が日本で「クリオ製剤を選択しないことの合理的な理由づけになるものではない」という検察側の主張を退けただけでなく、安部氏が同決議を日本に持ち帰り、エイズ研究班などに報告したことが「我が国の血友病治療の医療水準を誤らせたなどということ」ではないと断じた。
こうした判断の背景には、総会を「当時、一番レベルの高い国際学会」と位置づけた長尾医師の証言などがあるだろう。永井裁判長は同証言について判決文中で次のようにも書いた。
「WFH医学委員会の委員であった長尾医師も、その証言において、決議文の趣旨は、血液製剤を替えることを勧告するに足る証拠はない、したがって、各医師の判断に従って現在使用している血液製剤、それが何であっても、それを用いて従来の治療を継続すべきであるというものであった旨を供述している」
では「医学委員会」とはどんなものだったのか。永井判決が35頁で書いたように議長は米国のディートリッヒ医師である。彼女は医学委員会を代表して非加熱製剤を主軸とした現行の治療法を、議事録によれば、「should continue」(継続すべし)という強い表現で総会に提案した。総会ではスイスのコーラー博士やオランダのシュミット氏が、性急な採決に反対し「更なる決議」を行えば異なる結論となり「決議は多分改定改訂されるであろう」などと述べたが採決された。
判決文に書かれているのはざっとここまでの内容である。判決要旨を読んで永井、上田両裁判官が、客観的条件を殊更に安部氏有利に読み込んでいるのではないかと感じていたが、上のくだりを読んでそれは確信に近いものとなった。
一連の公判で明らかになったのは、このストックホルム会議がいかにメーカーの金にまみれていたかということである。法廷尋問でその実態はすでに明らかにされている。たとえば総会には、安部医師が血友病専門医らを引き連れて、メーカー、特にミドリ十字の資金で参加したことが証言された。旅行には製薬メーカーの社員が同行して食事から観光まできめ細かに専門医の世話をしたこと、WFHの総会そのものも製薬会社の資金によって支援されていたこと、総会には安部氏が議決権を有する唯一の日本代表として出席したことなども明らかにされた。
もうひとつ付け加えるなら、非加熱製剤を軸とする現状の治療法を継続すべしと総会に提案したディートリッヒ医師は、同総会で決定された「世界血友病エイズセンター」を設立した人物だ。彼女はより大きなセンター設立のために、血液製剤メーカー・アルファ社の資金援助を受けていた。このセンター設立を秘密裡に進めていたことが判明して、勤務先の病院から解雇されたが、彼女に資金を渡していたアルファ社は、ミドリ十字が100%出資した子会社だったのである。
ミドリ十字は、先述のように、安部氏ら専門医のストックホルム総会出席の資金を出した。ミドリ十字は同総会で決定された非加熱製剤中心の治療法を継続するという方針に満足したと思われる。なぜなら、同社は国内で同製剤の50%のシェアをもつ最大手だったからだ。
メーカーの金まみれのストックホルム会議については、その価値を疑ってみるのが常識だ。が、裁判官は、その点に全く想いを致していない。お金の裏にどんなメーカー側の意図が隠されていたのか、全く見ていない。それどころか、証言の採用にも明らかに偏りがある。
たしかにストックホルム総会について風間医師も、判決文に書かれたように前向きの証言をしたかもしれない。だが、風間氏は検察官の尋問に対して「総会は学術会議ではない。私たちは学術会議に興味を持っておりましたので、それ以来、総会には出席しておりません」と証言しているのだ。
「それ以来」というのは81年にコスタリカで開催されて以来という意味だ。総会では学術的、医学的討論よりも「たとえばコスタリカの総会では、割当金の討議が行われ」たと述べている。判決文に登場したシュミット氏もストックホルム総会を「失望させられた会議」と言い、木下俊彦医師も「学問的根拠は疑わしい」と証言した。
このように相反する証言が行われているとき、裁判官は一方的に長尾医師らの証言を受け入れた。長尾医師の立場は、安部医師の立場とほぼ同じである。
裁判官による「司法の否定」
永井、上田両裁判官が安部氏寄りの姿勢であると、どうしても思わざるを得ないさらに別の点が、判決文によって明らかになっている。細かく読むと幾つか具体例はあるのだが一点に絞ってみよう。
判決要旨の中で永井裁判長は、安部氏に不利な証言をしたかつての弟子、松田重三医師と木下医師に対し「自身の責任の追及を緩和するため検察官に迎合」「誘導に沿って安易に供述」「不自然」などの表現を用い、彼らの証言を切って捨てた。
それに対して言っていることがおかしいのは安部氏の方だという批判が出された。検察官による取り調べのときは「弟子が非加熱製剤の使用を中止してクリオ製剤への転換を図るように進言してくれたことが正しかったのであり、その進言を受け入れなかったことについては自分の誤りを認めざるを得ません」などと供述していたにもかかわらず、法廷では、安部氏弁護人は、そのような弟子の進言はなかったと主張した。つまり、弟子が嘘を言ったというのである。このように検察官に供述した内容と法廷での主張が大きく異なることを裁判官はどう受け止めたのかとの厳しい批判に答えるかのように、判決文は326頁で次のように書いた。
「そもそもそれらの供述は、被告人が逮捕・勾留されて検察官の取り調べを受けていた際に、本件当時の治療方針を振り返って供述したものである」「被告人の過失の成否は、被告人自身が後日になって『誤り』を認めたかどうかにより決定されるような性質のものではなく」「事実関係に立脚して」「規範的観点から評価」すべきだというのだ。
一言で言えば、安部氏が正しかったか否かの価値判断は裁判所が判断すると言っているのだ。判決文は続いて、こう結論づけた。
「この種の被告人の供述は、本件においてはそもそもそれ自体が重要な意味を持ち得るものではないというべきである」
驚くべき判決文だ。検察官による取り調べはほとんど意味がないといって切り捨てているのである。その理由を判決文は縷々あげているが、理由を読んでも右の主張は暴論である。検察官の取り調べに対して、安部医師は自分が間違っていたと述べると同時に、弟子の進言のあったことを認めていた。弁護人は法廷でそれを否定した。「自分が間違っていた」の部分は価値判断であり、その正否は裁判所が決めるにしても、弟子が進言したという事実関係を反転させたことはどうみても追及すべき点だ。事実関係の逆転までも価値判断と一緒にして、検察官の調書には意味がないというのはおかしい。裁判官は事実関係の主張が180度転換した矛盾をなぜ突かない。それをしないのは、司法の否定である。強烈な臨床医寄りの姿勢といわれても弁明できまい。
判決要旨には安部医師寄りとしか思えない視点が幾つもあった。それらは様々なメディアで批判された。判決文にはそれらの疑問や批判を意識したとしか思えない後出しジャンケン的説明が目立つ。だが後出しジャンケン論法によって判決要旨の欠点や偏りが、なお、増幅され、目立っている。
さらに安部ルートでの判決文と松村ルートでの判決要旨のいずれもが、薬害エイズ事件に絡むお金の話に全く触れていない。安部氏への献金も含めて巨額のお金が随所で流れていたことを全く無視した判決は、事件の全体像を見ているとは到底、いえない。お金を病院経営や業界と解釈し、さらに医師の立場や天下り官僚の一生をも考慮に入れれば、医療行政の7割方はお金にまつわると言われる。製薬メーカーも加担した官業医三者の薬害エイズ事件で、お金から目を背けた判決は事件の本質の7割方を考慮せずに出されたと言える。永井判決は、吟味すべき点を吟味せず、事件の重要要素を無視したという意味で、司法の不作為を厳しく責められるべきものである。
安部、松村両ルートで、永井判決はまた、被害患者にほとんど触れていない。特に安部氏への無罪判決では全く触れていない。一人の青年が不当に感染し、苦しみ、死んでいったことに、なんの想いも寄せてはいない。残された母親の想いについては「生じた結果が悲惨で重大であることや、被告人に特徴的な言動があることなどから、処罰の要請を考慮するあまり」冷静な判断を揺るがせてはならないとして、冷たく退けた。
判決文を読めば、薬害エイズ事件を裁く日本の裁判所に対し、新たな憤りが深まるのだ。